人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

公案 『隻手の音声』

2017-05-03 17:04:13 | 日記

白隠禅師が用いた禅の公案を知る機会に恵まれました。与えられた公案は「両掌打って音声あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」というもの。両掌は両手、隻手は片手。柏手のように両手を打てば音がでますが、片手では打つことができませんし、音も響きません。その片手の音をどう聞くのでしょう。

この公案は、別冊太陽への龍雲寺の細川晋輔師の寄稿によれば、臨済宗の専門道場では「初透関」と呼ばれ、最初にして最大の関門とされているようです。白隠禅師はこの「隻手音声」をという公案を証明できたものに「龍杖図」という入門許可証というべきものを書き与えました。これで終わりではなく、初心を忘れずもっと精進せいという意味も込められているようです。

私も参禅してこの公案をいただきました。本などの書き物を読めば、いろいろと解説が書かれていますが、今は白紙でこの公案の証明にチャレンジしようと思っています。公案を下さった老師は、坐禅三昧でいつもこの「隻手音声」のことを考え続ければ、自ずと答えは出るとおしゃっていました。

その前に白隠禅師の『白隠禅師坐禅和讃』の世界に浸らなければいけません。まずはそこから・・・。   

「みんな、仏さま」の思いを感ずる必要があります。

 

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きょうの旅 ーー 白隠禅師250年遠諱(おんき)に参加 ーー

2017-05-03 13:06:16 | 日記

4月28日(金)から30日(日)までの3日間、京都の妙心寺で行われた「白隠禅師250年遠諱」の報恩攝心にいきました。妙心寺とのご縁は平成23年1月から4年半の間、妙心寺近くに住んだことからはじまります。妙心寺の境内を通り通勤していましたので、毎月行われていた霊雲院の坐禅会に顔をだし、約3年間30回以上は参加したと思います。

鎌倉に戻ってから、去年はじめて「大衆禅堂大攝心」に参加しました。正直、その中身については、他の参加者についていくだけで、何をしたかも殆ど覚えていません。その点、今回は少しだけ進歩したと思います。ゆったりと坐禅をし、求めて警策(きょうさく)でたたかれること数度、お釈迦様に捧げる「般若心経」と白隠禅師に捧げる「白隠禅師坐禅和讃」にも慣れました。「衆生本来仏なり」からはじまるこの和讃はもっと深く内容を知りたいと思いました。

そして何よりも「参禅」という行為を体感できたことは、これから禅を学ぶうえで大きなプラスとなったと思います。あの夏目漱石も答が見つからず苦悶したという公案。静寂のなか老師と対面する極度の緊張感のため、初心者の私は老師が何を言っているのかすら分かりませんでした。「『りょうしょううっておんじょうあり、せきしゅになんのおんじょうかある』それがあなたに出す課題です。考えてみなさい。」と老師にいきなり言われたら皆さんどうしますか?今回は大衆禅堂だから親切に教えていただけましたが、無教養の私では質問の意味すら分からず、そこで退場でしょうね。

何はともあれ、貴重な時間を過ごせた3日間でした。禅を知りたいと思っても、どうアプローチしたらよいのか分からずにいましたが、白隠禅師の「白隠禅師坐禅和讃」を読むことでキッカケが掴めるかもしれません。やっと総門の前に着いたようです。次は「隻手の音声」の意味を突き詰める必要があります。果たしてできるか、どうか・・・。

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