證菩提寺は横浜市栄区上郷町にあります。このお寺のある山ノ内荘はもともとは鎌倉郡にありました。寺の縁起によれば、源頼朝が石橋山で挙兵した際に頼朝の身代わりとなって討死した佐那田与一義忠のため、鎌倉の鬼門にあたる当地山ノ内本郷に、建久八年(1197)に創建したとあります。真言宗で源頼朝と縁のあるお寺です。
先日、お寺の収蔵庫を見る機会がありましたが、阿弥陀三尊像のほかに、文覚上人像や西行の石造などが安置されていました。この文覚上人像は文覚が彫ったとされるもので、この證菩提寺のほか、鎌倉市南の補陀洛寺、西の成就院にもあります。実のところ、何故にこの三か寺に安置されているのか不思議に思いましたが、この三か所は鎌倉の「四角四境」(六浦、小坪、稲村、山内)の地の近くにあります。あくまで推測ですが、この文覚上人像は意図して三か寺に安置されたと思われます。誰かが鬼門の地をおさえるために置いたものでしょうか・・・?
そして文覚上人像といえば、荻原碌山にふれない訳にはいけません。荻原碌山の傑作「文覚」は成就院ある文覚上人像に触発されて誕生しました。腕を組んだ二つの像は確かによく似ています。この碌山は源頼朝に石橋山の挙兵を促した文覚上人という人物だけでなく、「袈裟と文覚」の遠藤盛遠と袈裟御前の物語を自らに重ねて一気に文覚像を彫りあげたと思われます。文覚像の腕を組んだ苦渋に満ちた表情は心の奥底に抱えた思いがあるに違いない。
その思いは何かを知りたい方は、芥川龍之介の短編小説『袈裟と盛遠』を読んでみてください。それは頼朝を助けた偉大な文覚上人というより不貞の妻、袈裟御前の物語です。
歴史は勝手に想像するのが実におもしろい。誰も傷つくひとはいませんから・・・。