人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

源実朝を知りたい ー無常の歌ー

2019-03-09 19:48:29 | 日記

世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海人の小船の綱手かなしも

源実朝の歌で『金槐和歌集』雑部、『新勅撰和歌集』(藤原定家が承久の乱後に撰修した勅撰集)に入集し、『小倉百人一首』にもとられた有名な歌です。この和歌の石碑が鎌倉海浜公園(坂ノ下地区)にありますので、ご覧になられた方も多いと思います。

とは言っても、私自身この歌の意味を分かっていません。ふたたび『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』(坂井孝一著)からの抜粋です。

 『古今』の東歌「陸奥は いづくはあれど 塩竈の 浦漕ぐ舟の 綱手かなしも」をもとに詠まれた歌であり、歌意は世のなかは永遠に変わらないでいてほしいものだ、波打ち際を漕いでいく漁夫の小舟の引綱をみていると、なんとも切なくなってくる、である。 (一部略) 「世のなかは 常にもがもな」という初句・二句からみて、無常の世の中を人が生きていくことへの哀愁・共感を詠んだ歌とする点は動かないであろう。

また大佛次郎の『源実朝』にも「無常」を詠んだ歌として上げられていることから、「無常」というキーワードは間違いないと思います。この歌は建保元年(1213)に起こった和田合戦のあとに詠まれた歌らしく、北条義時に滅ぼされた和田一族の無念を思う気持ちが込められているかもしれません。

この後に「唐ふね」建造の思いつき?が持ち上がります。この出来事についてもいろいろな解釈がありますが、大佛次郎は次のように語っています。

 文弱の若人と見られて来た実朝は、この列の中(無着菩薩や維摩居士、世親菩薩など)に加わっても決して見劣りしない巨像ではなかったか?畏怖を感じながら私はそう考え始めたのである。私が「今様」と言ったのも、この、時代の刻印を受けた性格のことなのである。それを頭においてかからぬと、やがて、これから展開される、実朝が突然に宋へ渡ろうとした事件も、ただの青春の気まぐれとも見えようからである。

なんとも奥深い世界に入り込んでしまったようですが、実に楽しみな世界です・・・。

 

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