3月初め、材木座にある光明寺の山門に登ることができました。山門楼上には、釈迦三尊・四天王・十六羅漢が祀られています。なかでも気になったのが、仏殿の左右の柱に書かれている七言の文字でした。
(左側) 妙諦拈花成寶地 (右側) 明心指月現金光
教えていただいたり、色々調べていくなかで、この七言を理解するキーワードは、左柱が「拈花」、右柱が「指月」ではないかと自分なりに理解しました。
まず「拈花」ですが、これはお釈迦様と高弟の摩訶迦葉の故事「拈華微笑」からのもの。角川漢和中辞典によれば、「文字やことばによらず、心から心に伝わること。釈迦が蓮華をとって、弟子に示したところ、だれもその意味がわからなかった。ただ迦葉だけがひとり微笑した。そこで釈迦はかれに仏教の心理を授けたという故事」とあります。法然上人は藤原兼実のたっての願いにより晩年に書いた『選択本願念仏集』(選択集・せんじゃくしゅう)以外に著作は少なく、この「以心伝心」が教えの根本だったのではないかと思います。
次に「指月」について。これはインドの高僧である龍樹の『大智度論』にある「指月の譬」ではないかと教えていただきました。「指月の譬」とは、言葉=指、真実=月であり、次のことが書かれています。
人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、『われは指を以って月を指し、汝をしてこれをしらしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる』、と言うが如く
この「指月」の譬も、「拈花」の故事と同意でしょう。これは楹聯(対子)と言われるもので、中国では門柱や壁に書かれるものであり、『楹聯叢話應制』という辞典もあります。冒頭の二つの七言もこの書物の中にありました。光明寺の山門は江戸時代末に建てられたものですが、その楼上に相応しい七言を選んだ先人の学識にリスペクトです。