人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

令和に思う

2019-05-20 20:27:36 | 日記

5月1日に令和元年となり、もう2週間以上が経ちました。最初はあまり関心なかったのですが、新聞やテレビなどで報道されることを知るにつれて、これは大変な瞬間に立ち会っているのだと思うようになりました。

今回の譲位は202年前の119代光格天皇から仁孝天皇への譲位以来で、江戸時代までは譲位は当たり前のように行われていたのに、明治以降は万世一代限り、先帝が崩御するまで代替わりはなったこと。主権在民の憲法のもとではじめての譲位であったこと。平成に変わったときには、国中が自粛ムード。バブルの崩壊時期と相俟って、その後の暗黒の20年間をもたらしたこと。先の平成天皇はこのことに心を痛め、元気なうちに次代に託す方法を、光格天皇の時代に遡り研究していたと思われること等・・・・です。

かねてから、なんで明治時代以降、第二次世界大戦に敗戦するまで、ほぼ10年毎に戦争をしていたのだろうと考えていました。その答えになるかどうか分りませんが、ある方が「権威」と「権力」という言葉を使って江戸時代の徳川幕府による統治の方法を説明されていました。「権威」は京都の天皇で「権力」は江戸の幕府。そのバランスがとれている時期に国家は平和で安定していると・・・。明治以降、憲法は、天皇は統帥権を総攬する神聖不可侵の元首で、天皇大権を明文化しました。これは「権威」と「権力」を天皇に一体化したものです。実際の政治は天皇主権下のもと任命された大臣らが行うわけであり、特に日露戦争以降、天皇の名を借りて破滅の道に突き進んだのも事実です。

新憲法では、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴として明文化しました。この象徴の意味について、これまであまり意識して考えませんでしたが、今回の譲位にかかわる一連の儀式をみますと、随所に主権は国民にあるという工夫がされており、このことのもっと深く考えることが必要と思った次第です。

写真は葉山御用邸前の「小磯の鼻」からの風景です。葉山御用邸は昭和天皇が践祚された場所です。

 

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