七里ヶ浜の海岸で令和四年の初日の出前、赤く染まる富士山を写しました。快晴のもと、富士山は昨年と変わらない姿をみせていました。いつ見てもそこにある富士山は堂々としていて美しい。ただ白い雪のキャンバスが赤く染まる富士山を拝むのは元日のこの瞬間だけでしょうか。真っ青やオレンジ色のキャンバスに浮ぶ富士山はいつでも出かけて見ますが、夜明け前の寒い朝にわざわざ海岸に行く気は起こりません。富士山は変わらずそこにあるのに日本人のDNAでしょうか?不思議ですね。
今朝も目を覚まし、インターネットで日の出時刻を検索し、まだ間に合うと思ったら走りだしていました。写真に撮れば、明日写しても同じ景色なのに、それを良しとしない気持ちが湧いてきます。古代から穢れを嫌うというDNAが日本人にすり込まれており、何でも「初」「新」が良いと考えてしまいます。お年玉も新札でないといけないとかですね・・。私自身ももっと合理的に行動した方が良いなどといつも考えるのですが、今朝の行動を見る限り、やはり普通の日本人だと思ってしまいます。
元日早々、理屈っぽい話をしてしまいました。今年は「莫妄想」で過ごしたいと思いますが、まず無理かもしれません。