先日、亡父の十七回忌の法要があり名古屋に出かけました。宗派は曹洞宗でどんなお経をあげていただけるのか神妙な気持ちでいました。最初は『般若心経』でした。これは臨済宗でも同じで必ず上げるお経です。
次は『法華経』の「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」。この観音経は長いのですが、和尚さん、初めから終わりまですべてあげていただきました。もちろん参列者も一緒です。和尚さんの声を聞きながら経典を読むのですが、ついていくだけで精一杯。それでもなんとか最後まで読み上げることができ一安心。
最後は『大悲円満無礙神咒(大悲咒)』というお経です。和尚さんは「なむからたんおー」と仰っていました。このお経は京都の妙心寺霊雲院の月例坐禅会の最後にいつもあげていたお経です。たいていのお経は漢字を見れば何となく意味が分かりますが、このお経は全く漢字の意味が分かりません。その内容は、「三宝に帰命す。聖なる観音菩薩。大いなる慈悲者に帰命す。一切の恐怖から救う者よ、観音菩薩に帰命しおわり。観音菩薩威力貴頸という真言を説く。一切の目的を成就させる、清浄なる、一切の鬼神も打ち勝ちがたい。清浄なる真言、即ちオン。・・・・。三宝に帰命す。聖なる観音菩薩に帰命す。真言の成就、幸いあれ。」という途中を省略しましたが、観音菩薩を讃える大変ありがたいお経です。
ほぼ40分間、休みなしにお経を読み上げましたが、終わってみると不思議に清々しい気持ちになっています。最近は三回忌くらいで法要はすましてしまうようですが、生きているものが達者なうちは故人を偲び供養するのがよいようです。この追善供養の考え方は中国から伝わったものですが、亡くなって四十九日を過ぎれば仏になるのですから、十七回忌ともなれば亡くなった人は別の世界で悠々暮らしている訳で、故人を忘れないこと、生きている者の現世での幸せを願うことが目的かと思います。その意味では現世利益を請願してくれる観音菩薩を敬うのは理にかなっているかと考えます。
なむからたんのー とらやー なむおりやー ぼりょきちいしふらやー ふじさとぼやー もこさとぼやー もこーきゃるにきゃー えん ・・・・。(大悲咒より)