人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

国府津・曾我丘陵ウオーキングコース⑩《弓張の滝》

2023-02-01 17:31:58 | 日記

伝曾我祐信の墓から城前寺に下っていきますと弓張の滝への案内がありました。600m程度の距離なので曽我兄弟ゆかりの場所かとも思い行ってみることにしました。剣沢川の上流、曽我谷津というところにあります。滝までいきましたが、冬なので水量は少ないものの、雨の多い季節なら見ごたえのある滝かと思いました。案内板をには次のような説明がありました。

『鎧の滝・弓張の滝』 曽我の里の谷津と別所の境を流れる剣沢川の上流、剣沢山の深い谷筋に二段の滝があり上段は鎧の滝、下段は弓張の滝と呼ばれてきた。『新編相模国風土記稿』によれば、当時鎧の滝は高さ八尺(約2.5m)弓張の滝は一丈五尺(約4.5m)であった。 室町時代、剣沢には剣状の岩が立ち、名所として知られていた。文明八年(1486)の冬、ここを訪れた聖護院道與准后は「此頃はみさびわれたる剣沢ごほりしよりぞ名は光ある」。 また戦国時代には、風流をたしなむ小田原北条氏配下の数人の若侍たちが、この滝の下で藤の花見を楽しんだという。その一人はその情景を「滝水にうつろう影もしげり行松に契りてさける藤波」(小田原起)と詠んでいる。 小田原市教育委員会

説明文には、曽我兄弟のことは出てきませんが、曽我祐信の城からもさほど遠くなく、間違いなくこの場所は兄弟の遊び場だったと思われます。それに弓張の意味も書かれていません。また文中にある聖護院道與准后とは、室町時代に生きた聖護院の門跡で歌人。関白近衛房嗣の子。私と同じく冬に訪れたようで滝は氷結していたようです。

 

 

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国府津・曾我丘陵ウオーキングコース⑨《伝曾我祐信墓》

2023-02-01 08:45:09 | 日記

本日曽我の里に来た目的はこの曽我祐信の墓を見る事でした。そのために国府津駅からウオーキングコースを歩き、3時間かけて来ました。途中富士山を眺め、相模湾の景色を楽しみ、みかんも買い求め、六本松跡とか忍石など新たな知識も仕入れました。教訓は「労を惜しむな」「百聞は一見に如かず」ですね。現地に行ってはじめて理解できることがたくさんあることを改めて認識しました。

さて前置きはさておき、伝曽我祐信墓は六本松から下って20分位の所にありました。この山彦山の山頂近くにあると思ったのですが里から30~40m登ったところです。なぜこの場所に墓と言われる宝篋印塔を建てたのか?本当に曽我祐信の墓なのか?いまは木立に覆われていますが、木がなければ富士山が望める場所ですが、城前寺のある麓でも富士山は拝めます。謎は深まるばかりですね。ともかく案内板の説明をご覧ください。

『曽我祐信宝篋印塔』 昔から土地の人々に「祐信さんの供養塔」と呼ばれています。銘をもたないので、造塔の意図、年時、造立者、大工名など、一切不明ですが、死者往生を本願としたものと思われます。 塔の総高は220センチ(基壇を除く)に達し、基壇の上に蓮座、基礎、塔身、笠、相輪の順で積み上げられいます。 関東における基本的な様式を備えた大宝篋印塔で、県下においても屈指の貴重なものです。 小田原市教育委員会

曽我の里の人々の曽我祐信愛を感じる説明文章です。今となっては否定することは出来ず、後世まで伝曽我祐信墓として大切にされていくものと思います。

 

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