人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --大倉幕府跡--

2022-12-11 11:05:01 | 日記

最近、妄想が過ぎると指摘されている我が身にとって、久しぶりに実地検証を経た根拠のある話を聞くことができました。昨日その講演会が行われたのですが、演題は「二つの法華堂と大倉御所~遺跡から~」というものです。講師は鎌倉市教育委員会文化財課の技術職員 鈴木弘太さんです。自己紹介で、鎌倉の発掘は大学・大学院の通算11年間、そのあと岩手県一関で奥州藤原氏の関連遺跡の発掘調査に携わったとのことでした。書籍からと人づての話で妄想を膨らませている私とは大違いです。やはり発掘調査という地道な研究にかかわった人の話は説得力があります。本日の中心テーマは大倉御所遺跡でしたが、これまでの集めた資料では分からなかった疑問点について少し分かったような気がしました。

まず大倉御所の規模ですが、東側は東御門川(現在「東御門」の石碑がある場所)、西側は西御門川(横浜国大付属小中学校の校庭の西端)、南側は六浦道(現在の金沢街道)、北側は頼朝の法華堂(現在の白旗神社)のある所。現在「西御門」の石碑のある場所は学校の校舎を避けて建立されたと思われます。形は不整形な四角形。この説は『吾妻鏡』を読みこんだ京都大学の山村亜希教授の学説を根拠としているようです。また発掘調査の結果、大倉御所の敷地の西側は柵があり、南側には溝、東側は幅5.2mで深さ2.5mの堀があったと推測しています。

次に大倉御所内の建物のイメージですが、従来は九州大学の名誉教授だった太田静六(1911-2009)先生の『神殿造りの研究』にある建久二年再建大倉御所復元図がベースになっており、それは京都東三条殿復元模型(京都文化博物館)がモデルだと鈴木講師は話していました。大河館にあるジオラマもそれに倣っており、かなり立派な建築遺構が再現されていました。ただこの点について鈴木講師は、どちらかと言えば岩手県平泉町の柳之御所遺跡の発掘調査結果から再現された復元模型の方が近いのではないかとの話でした。柳之御所遺跡は比較的簡素ではありますが、巨大な御殿と付属建物、持仏堂などの遺構が発掘されています。大倉御所遺跡の発掘箇所は限られており、推測でしかないのですが、建物跡とみられる直径1.5m以上の柱穴(底には厚さ4㎝・40㎝四方の礎板も発見された)や直径1mの柱穴が約2.5m間隔で並んでいる大型の掘立柱跡が発見され、それは柳之御所遺跡の建物構成に近いようです。私の手元にある大倉御所のイメージ図は太田説によったかなり立派な御殿であり、ちょっと懐疑的にみていたのですが、本日の話を聞きなるほどと思った次第です。

大倉御所遺跡の敷地の大半は横浜国大付属の小中学校校庭、清泉小学校敷地、その外は個人の住宅でもう発掘の余地はないのですが、最近、かなり広い空き地が出現しました。マンション建設用地でしたが突然整地され広大な地面が広がっています。この土地を発掘したら何が出来るのでしょうか?中世の遺構は地中3m掘らないといけないのですが、狭い土地だと垂直に堀ることはできず、斜めに掘れば目指す地面は限られます。この空き地の広さであれば・・・。発掘調査が楽しみです。

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