人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

安芸の宮島への旅 --大聖院への道ーー

2020-01-04 16:01:36 | 日記

安芸の宮島への旅の最後は大聖院です。お寺の由緒書きには、宮島にある寺院で最も歴史が深いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大聖院である。空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山で修業し、大同元年(806)に開基。鳥羽天皇の祈願道場として、明治天皇行幸の際の宿泊先に、秀吉が茶会を開いたこともある格式高いお寺。明治維新までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた総本坊でもありました。また今回は登りませんでしたが、弥山の山頂付近の弥山本堂には虚空像菩薩、三鬼堂には弥山の守護神である三鬼大権現、大師修法の霊火を守る不動明王本尊の不消霊火堂などが建ち並んでいます。この霊火は「きえずの火」と言われ、806年に弘法大師が弥山にて護摩修業をされた時の残り火で、広島平和記念公園の「ともしびの火」の種火だそうです。私も20数年前に何度か弥山に登り、この霊火で焚かれている万病に効くという大茶釜の霊水を飲みましたが、今でも健康でいられるのはそのお蔭かもしれません。

写真は大聖院への参道で滝小路と言います。途中に棚守屋敷跡や林家住宅(上卿屋敷)などが並んでいます。案内板によれば、江戸時代、厳島神社は神仏習合の社として信仰を集め、その管理・運営は棚守・座主・大願寺によって行われていました。棚守は、神職を代表して神事を行い、自らも舞楽を舞っていた。林家は古くから厳島神社の神職をつとめ、朝廷の差遣される奉幣使の代参をつとめて上卿(じょうけい)とよばれていた。大願寺は、室町時代末期に厳島神社の修理造営権を握り、厳島神社諸建築の建造や復旧に当たりました。また鍛冶・番匠(大工)を檜皮師などの職人集団を率いていたとあります。どうもこの三位が一体となって厳島神社の運営にあたっていたわけで、神仏分離令によって仏の部分を無くすのは困難であったのではないかと考えられます。

 

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安芸の宮島への旅 --大願寺ーー

2020-01-04 13:38:32 | 日記

厳島弁財天が祀られる大願寺は亀居山放光院大願寺といわれ、真言宗のお寺。厳島神社を出てすぐ正面にあります。宮島観光協会の資料によれば、その昔は大願寺側が厳島神社の入口で、参拝者は船で大鳥居をくぐり大願寺近くの砂浜に上陸した後、裏にあった大風呂で身を清め、僧房で休憩、着替えをしてから厳島神社に参拝しました。本尊の厳島弁財天は、江の島、琵琶湖の竹生島とともに、日本三大弁財天の一つ。厳島弁財天祭が毎年6月17日に行われ、年に一度この大祭の時に御開帳されます。神仏分離令までは、厳島神社のご本殿にお祀りしてありました。どんなお姿か?写真がないので、実際に参拝した人の感想になりますが、ほかの弁財天とは違ったツルっとしたお姿をしているとのこと。一度、大祭のときに拝観したいものです。

山号である亀居山というのは、厳島神社の東側の千畳閣・五重塔がある山のことを言うらしいのですが、昔はその塔の岡から西側の多宝塔・経の尾付近までが大願寺の境内地で厳島伽藍と呼ばれていました。千畳閣は豊臣秀吉が建立したものですが、明治元年に仏像を大願寺に移し、明治5年に秀吉を祀った豊国神社になりました。神仏分離令の措置でなにか興ざめしますが、壊されなっかだけでも良しとしなければなりません。京都の伏見稲荷大社とか鎌倉の鶴岡八幡宮では仏教的な施設は跡形もなくなくなっていますが、この宮島では神仏が切り離されただけで済みました。このあたりの経緯(いきさつ)を知りたいところです。

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迎春

2020-01-02 16:10:00 | 日記
本年もこのブログ「人生悠遊」を退屈凌ぎにご贔屓いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
鎌倉を舞台にした歴史や人物、寺社などを題材して面白おかしく紹介させていただきます。たまに脇道に逸れるかもしれませんが、見捨てずにお付き合いください。
ブログネーム「tabito (旅人)」は新元号である「令和」で一躍有名になった大伴旅人からつけたものです。✊ブログデビューは平成27年(2015)ころですが、それ以前から大伴旅人の歌がが好きでした。
大伴旅人の酒を讃(ほ)むる歌十三首から三首を紹介します。大酒飲み?大宰府長官の姿です。
 
  340 いにしへの七の賢(さか)しき人たちも欲(ほり)せしものは酒にしあるらし
 
  344 あな醜(みにく)さかしらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
 
  349 生ける者遂にも死ぬるものにあれば今ある間(ほど)は楽しくをあらな
 
tabito2015
 
 
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