北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

ピンポイント的 故郷

2024-12-30 21:14:03 | 日記
昔、私が現役で働いていた時、職場は両親の暮らしている場所から2キロ程の所にあった。
少しずつ中性脂肪が溜りポッコリ型になっていた私は昼食を済ませると両親の住む家までウォーキングすることが多くなった。
自分の運動も含め、両親の無事を気遣ってのことだ。

普通に歩くと20分の距離を15分で歩き鉄製の階段を上がって2階にある親の住む家のドアをピンポンもしないで開け「大丈夫? 元気?」と云うのが常だった。

母は私を見ると必ず仏壇に供えていた菓子を私の前に並べて「どれでも好きなのを食べて」と、ウォーキングでカロリー消費を頑張っている私の努力を無にする言葉を発し「俺は痩せるために歩いているんだから 食べない」と拒否すると「美味しいのにねぇ・・・・」と残念そうな顔をして自分の口に入れ私を羨ましがらせた。

父が「最近 胃の具合がわるくてねぇ どうしたら良い?」と云うので「病院へ行けば」と突き放そうと思ったのだけれど、「試しに牛乳を飲んでみたら」と云ったら、それがドンピシャだったようで翌日には珍しく電話をくれ症状が消えたと喜んでくれたのは良いのだけれど、電話口の横にいる母からは色々な種類の牛乳を毎日買いに行かされると嘆かれた。
母は牛乳が嫌いな人だったのを思い出した。

数日後、また昼休みに鉄の階段を駆け上がり玄関のドアを開けたら、ほんの1m先にあるトイレのドアが全開で、父がズボンを全部下げ、尻丸出しで放尿しているのが見えた。

いつも掛ける言葉が口から出ず、尻とお玉ちゃんを眺めていたら放尿を終えた父がこちらを向いて
「おぉ 来たのか」と恥ずかし気もなく、私の2倍はある立派なアレをブランブラン。

「父さんのはデカイんだねぇ」と羨ましそうに云う私に、ブランブランに手を添えて
「これか? もうダメだぁ」と悲しそうに呟いた。

その時、私は確かに見た。
ブランブランの先から、涙のような雫が数滴落ちたのを。

私は家の中へ入らず「じゃ 帰るからね」の言葉を残して玄関から出たのだが、今思い出してみれば、あのブランブランが、私のピンポイント的な本当の故郷ではないかと思った。

滴(しずく)なんか気にせず、きちんと握手して挨拶しておくべきだったと、今頃思っている。

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