この本のタイトルについてコメントしていませんでした。
世界7大大陸最高峰登頂者田部井淳子をモデルにした小説のタイトル、「淳子のてっぺん」と言うと、おそらく誰もが「山のてっぺん」、つまり山頂のことだと思われるはずです。
でも、ここで言う「てっぺん」はアンナプルナの山頂でもエベレストの山頂でもありません。
「ママ、おかえり」
飛びついて来た梢を淳子はしっかりと抱き上げた。半年分、大きくなった重みが両腕に嬉しい。
「ただいま」
言ったとたん、涙が頬に溢れていった。登攀の間、家のことは極力忘れるように努めて来た。何よりも副隊長として振る舞うことを自分に課してきた。しかし、この時をどんなに待ち焦がれていたか、淳子は痛いほど感じていた。
エベレストの頂上に立てた喜びは深く、確かなものだ。
だからこをわかる。
ここが、こここそが、私のてっぺん。
淳子は長かった登攀がようやく終わったことを噛み締めていた。
よく言われることですが、山頂は登山の「通過点」でしかありません。無事に家に帰ってはじめて登山が完了します。
そのことはエベレスト登山でも、藪山登山でも同じことです。タカ長たちの裏山歩きで、中国自然歩道を歩く時は一度も「山頂」を踏みませんが、それでも「登山」ですし、無事に家に帰ったらそこが「てっぺん」で、そのてっぺんを踏んではじめてその日の登山が終了します。
これはタカ長の「屁理屈」ではありません。多くの登山者が下山中に事故を起こしている現実を知ればすぐに理解できることです。
エベレストの山頂を踏んだあと無事に下山できなかった登山家が何名いるのか。
そのことに思いをはせれば、山屋のてっぺんはどこか、すぐに分かります。
今日の裏山歩きは9名でカフェ50に登りました。里山キング組も9名。
それぞれの人がそれぞれの山を楽しみ、今日も「てっぺん」を踏んでくれるはずです。