自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

浅田次郎 『蒼穹の昴』

2005-10-25 02:11:08 | 小説

浅田次郎 『蒼穹の昴』(講談社文庫 全4巻)を読んでいる。

 主人公、春児は淨身し、占い師のおばばの必ず当たるとい
う予言を信じ、天子のいる宮廷を目指す。

 また春児の兄の朋友、文秀は科挙の試験に次々合格し、
進士となる。彼もまたおばばから国政の方向を定めるような地
位に就くと予言される。そして不思議なことが起こるも、
結果的には主席で合格してしまうのである。
 
 説明しにくいが、一巻を読み終えたとき、中国の古典って
こんなにも美しいのだろうか、と思った。
 四書五経(ししょ ごきょう)や政策論、詩文など科挙試験に
受かった中国の官吏は相当頭が良く、あらゆることに精通し
ていたのだろうと想像させる。

「~惟うに一国の善治を成すに当たりは俗儒の論を語らず、
すべからく心に基づき命に則り、敬を貫き、庶事万民の利を
計るを以ってすべし。天下百年の安寧なくしてなんぞ
四百余邦の永泰あらんや。九職相議して朝に一礼を発すと
いえども、社稷の誹りを得べくんば忽ち夕べに一制改む。
けだし政治を柔にして和すること、剛にして殻なるに 優れる也~」

他には、帝は傍らの政治助言者に対し、「朕惟うに」ではじまる。
そして家臣は
「臣対臣聞」→お答え申し上げます、臣の聞き及びますところ
では~とし、末尾には、「臣謹対」~以上謹んでお答え申し上げます。
という書式でしめくくるそうだ。

「~臣は末学にして新進ながら忌諱するを識らず、陛下の箴言
を冒し奉ること恐懼に勝えず。以下御下問の策論につき、
臣、謹んで対え奉る。」

他にも
「朕はそちの内心考えるがごとく、天主教の伝道を迫害しつつそち
たちの持つ技術のみをかすめ取ろうとしたわけではない。朕は
それほどに老獪な、姑息な施政者ではない。そちたち伝道者は
決して気付いておるまいが、ヨーロッパの諸王は天主教の伝道に
ことよせて、この国を手中に収めんと考えておる。もし朕が
天主教を公許すれば、そちたちの背後に控えおる者どもが、
布教の名を借りて、聖戦の名のもとに必ずやこのを侵すであろう。
朕がそちたちに対して、一見矛盾せつ扱いをなしたるは~天主教を
迫害しつつ技芸を重用したるは、すなわち、国を守りつつヨーロッパ
を理解したかったからじゃ。そちたちは朕のなしたる迫害と弾圧を
呪っておるであろう。しかし、考えてもみよ、耶蘇の訓えは貧しき
民草のものである。尊い訓えを戦の口実にして民草の血を流す
ことこそ、迫害に勝る神への冒涜であろう。よって朕は民の平安と
伝道者たちの名誉のために、迫害を行ったのじゃ。朕はひそかに
宣教師たちのなしたる著述を紐解き、できうる限り天主教の教理
を学んだ。その訓えは尊い。しかし尊ければ尊いほど、信ずる者には
同じだけの良識がなければならぬ。わが国にも、いずれヨーロッパに
ならぶ科学を持ちうる日が来るであろう。天主教の尊い教理は、
そのときわが臣民に理解されればよい。それこそが正しき信仰の
姿であると、朕は信じておる。百年、いや二百年先かも知れぬ。
だが主は~耶蘇はその時間をお許しになるだろう」

 この最後のほうの言葉なんか、なぞの宗教を信じている人々に
読んでもらいたい。広く、おおきな言葉ではないでしょうか。科学や
信仰が人間を振り回すという、あってはならないことが起こっている
この世の中。日本・世界は自己と他者の関係を冷静に見直してみる
べき時期に差し掛かっているように思います。