『新植物をつくりだす』 岡田吉美 著 岩波ジュニア新書
植物はわたしたち人間を含む多くの生物が生きるために欠かすことのできない食糧や酸素を供給してくれている。分子生物学の発展は新しい植物を作りだし、それは人間の生活にさらに恩恵をもたらす可能性を秘めるとともに、不安や危険も秘めている。
わたしたちが口にしている農作物の多くは近代科学発展以前にすでに栽培植物として存在していたもので、人類祖先の努力によって栽培に適した良い植物が選抜(育種の第一歩)され、今日まで伝えられたのである。
近代科学が発達してくると遺伝学、生理学、生態学などを基盤にした科学的な育種技術がうまれ、合理的な植物改良が行われる。育種とは、違う品種間で交配を繰り返すことで、植物の悪い性質を改良し、病気に強く、収穫量の良い、新しい品種の植物に一歩一歩改良すること。いろいろ方法はあるが、広く行われているのは二つの品種を掛け合わせ(交配)て行う交雑育種である。交配とは二つの植物を掛け合わせて受粉を行うこと。100年前まで経験的に行われてきたが、20世紀になるとメンデルの遺伝法則を応用した科学的な育種が行われるようになった。
形質や、対立形質、表現形とは植物を改良するための基礎となる遺伝学の用語である。
形質とは、「生物にあらわれた遺伝子によって決定されている性質で花の色や形、茎の長さなどのこと」。遺伝とは、形質が子孫に伝わっていく現象。どのように伝わり、どのように現れるのかを調べるのが遺伝学である。染色体とは細胞の核の中にある「たくさんの遺伝子の集合体」。遺伝子の本体はDNAという核酸の一種。染色体のDNAはヒストンというたんぱく質と結合して安定している。染色体は遺伝子DNAとたんぱく質からできている構造体で、生物の形質を決めるおおもとである。人間の体の細胞には対をなして2本ずつあり、ひとつは父親から、もうひとつは母親から受け継いだものでこれを相同染色体という。染色体は人は46本、はつかねずみは40本、ショウジョウバエは8本というように数や形は生物によって違う。相同染色体の間で、あるひとつの形質が互いに異なっている場合(一方の花は赤、もう一方は白など)を対立形質という。それに関係している遺伝子を対立遺伝子という。植物の形質として現れる形態や生理的な性質の型をこの植物の表原型という。表現型として現れる形質を優性形質、隠れている形質を劣性形質という。優れている、劣っているという意味ではない。
1856年メンデルはエンドウの交配実験の結果をまとめ、発表するも注目されず、1900年フリースら3名が引き継ぎ、論文を発表すると真価が認められ、近代育種の出発点となる。劣性形質が3対1の割合で現れてくる現象をメンデルの分離の法則という。メンデルの遺伝学の法則はソラマメの交配実験によって見つけられた。もうひとつ重要なのが遺伝の粒子説を提唱したこと。流体のようなものが遺伝をつかさどっていると考えられていたが分離の法則が説明できなかったので、メンデルは粒子のようなものが遺伝をつかさどっているのだ(遺伝因子)と考えた。この因子が遺伝子と呼ばれるようになる。
交配による育種の特徴は、交配によって生まれる子孫が一種類ではなく、ランダムにできてしまう。良い品種が生まれるかどうかは運まかせだった。また植物育種の基盤技術になっている交配は同じ種の中でしか成立せず、種の壁が存在した。イネはイネ、トマトはトマトというように同種でしか交配できない。
フリースはメンデルの法則に従わない形質をを持つものが突然現れることを発見する(突然変異)。その後、ビードルがアカパンカビを使って遺伝子が支配している形質の現れ方(発現)を研究し、栄養要求株が突然変異によって現れることを発見し、さらに放射線を当てると栄養要求株の現れる確立が非常に高くなることが分かった。遺伝子は普通安定物質で、細胞の中で正確にコピーされ子孫に伝えられるが、時折エラーが生じる。放射線はエラーを引き起こす原因となる。エラーは、遺伝子である核酸分子の塩基配列に変化が起こることで、それは遺伝子が指定しているたんぱく質のアミノ酸の並び方も変わることであり、結果、生物の形質も変化する。このような変異した遺伝子を持っている個体を変異体、変異株という。自然界における突然変異の頻度は普通10万分の1から100万分の1程度で、ペチュニアやアサガオのように頻度の高い遺伝子もある。放射線照射によって頻度を高めるという方法は植物の生存に不利に働くものが多く農作物の改良に利用できるものはなかった。現在は自然界の突然変異を探し出し、有望な遺伝子を見つけ育種に利用するのが主流。自然突然変異株は国際間の紛争を招くほど重要な資源となっている。しかし、突然変異の持つ形質も交配によってしか目的の栽培植物に導入できない。主の壁は越えられない。
1950年代に、大腸菌と大腸菌に感染してそれを殺すウィルスの遺伝子の分子レベルの研究を中心にした分子生物という学問が誕生。この研究から種の壁を越えた遺伝子組み換え技術が誕生した。生きている細胞が研究対象だったが、やがて、生きている細胞を壊して、内部物質の有様を探る学問の生化学が生まれる。生化学は細胞の中で起こる化学反応を発見し、酵素という特別の機能をもったたんぱく質が重要な役割を果たしていることをつかんだ。その後、物理学者が「生命現象も物理学の法則に従っているのか、それとも生命特有の法則によって支配されているものなのか」という問題意識から分子生物学の研究に参入してきた。生化学の研究対象は主に動物細胞だったが、独立した生命を持ち、もっとも単純な系である大腸菌やファージを研究したほうが解析しやすく、研究も進むと考えた。分子という視点から見た生命現象には種の壁はなく、遺伝子こそ生命現象の中心にある分子だと考えた。DNAの二重らせん構造の発見によって遺伝子は物質としての姿を現し、遺伝という現象はDNAという分子のふるまいだと理解された。遺伝子に記された情報はDNA分子の塩基の並び方であり、配列とその意味の解読が始まった。セントラルドグマというDNAからRNA、RNAからたんぱく質という情報の流れ、またその過程で機能する反応が解明され、「遺伝コード」が地球上の生物種すべてに共通していることを発見した。遺伝コードとは、mRNAの塩基配列がアミノ酸に翻訳されるときに使われる辞書。たとえば、ウラシルが三つ並んだ「UUU」という配列は「フェニルアラニン」というアミノ酸を指定するコードである。この遺伝コードが地球上の生物すべてに使われていることが分かった。つまり、まったく異なった生物種間(細胞からできている)でもDNAという分子レベルでは種の壁はなく、交配が可能という発想が生まれた。それを実現させた技術が遺伝子組み換えである。1974年カエルの遺伝子DNAを切り出して、大腸菌の中で増やす実験に成功し、75年DNAの塩基配列がどのようになっているかを突きとめる技術も開発され、「ある生物の遺伝子を、人工的に多種の生物の遺伝子の中に加えたり、入れ替えたりする」ことが可能になった。こうして組み換え動物、組み換え植物が誕生し、分子生物学は真核細胞の遺伝子セットであるゲノム研究へと向かった。
遺伝子の本体がDNAという核酸の分子であると突き止めたのは形質転換という実験を繰り返し行った細菌学者のエイブリーである。
遺伝の仕組みはDNAの2重らせん構造によって説明できた。DNAは、リン酸と糖が交互につながった長い鎖状の分子。糖には塩基がついている。塩基にはアデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)の4種類ある。「リン酸、糖、塩基」を一単位としてヌクレオチドという。DNAはヌクレオチドが長くつながってできた分子。ヌクレオチドがたくさんという意味でポリヌクレオチド呼ばれている。DNAの塩基配列はACGTというように表す。遺伝情報はすべてDNAの塩基配列として書き込まれているため順番は非常に重要である。DNAはどんな立体構造をしているか、シャルガフはDNAの塩基組成を分析し、どんな生物からとったDNAでもGとCの含有量は等しく、またAとTの含量も等しいという規則性を見つけ、ワトソンとクリックはDNAの分子構造のモデル二十らせん構造モデルを打ち立てた。それは、互いに逆方向の二本のポリヌクレオチド鎖が二十らせん構造をとり、そのらせんの内側に向けて塩基が飛び出しているというモデルである。このモデルでさらにDNA遺伝子としての生物学的性質も説明することができた。
DNA塩基配列は大きく分けて二つある。一つは構造遺伝子と呼ばれ、細胞やその集合体である個々の生物が生きていくために必要な、たんぱく質のアミノ酸の配列を塩基の配列として指定(コードする)しているもので、生物の形質はたんぱく質によってきまる。もう一つは構造遺伝子の働きを制御しているもの。DNA分子の塩基配列の指令に従って、たんぱく質が生合成される過程を形質発現という。形質発現の過程はすべての生物細胞で共通の基本的な方式でそれがセントラルドグマ。DNAの塩基配列の構造遺伝子の領域が、RNAポリメラーゼという酵素の働きで、RNAの塩基配列に読み替えられ(転写)そのRNAの塩基配列が「リボソーム」と呼ばれる細胞内の粒子の上で、アミノ酸配列に変換されて(翻訳)たんぱく質が合成される。しかし、原核細胞と真核細胞とではセントラルドグマに従うも形質発現の機構には大きな違いがある。それは遺伝子の編成が違うから。原核細胞は細菌の細胞のこと。細胞内部で遺伝子DNAは裸で存在している。真核細胞は動物や植物の細胞で、微生物の仲間で酵母も真核細胞。
真核細胞では、細胞分化という現象があるため原核細胞より遺伝子の発現を制御する機構は複雑で、その過程では細胞分裂の際に形質の違う二つの細胞になる現象が起こる。植物では分裂した一つの細胞は根の細胞になりもう一つは葉の細胞になるという現象が起こる。これを細胞分化といい、転写の過程に原因があると考えられている。
種の壁を越えた遺伝子操作が可能になったのは、長いDNA分子の鎖をある特定の場所でだけ切断する制限酵素と呼ばれる酵素が発見されたため。制限酵素とはDNA鎖の4つまたは6つの塩基配列だけを認識してその場所だけでDNAをある長さをもった断片に切断する酵素。いろいろな細菌が制限酵素を持っており100種類もの酵素が取り出され市販されている。制限酵素の一種EcoRIは認識配列を四塩基ずれた位置で切断するので生じた二つの末端には四塩基の一本鎖DNAの部分が残る。この一本部分同士はお互いが結合して二本鎖DNAをつくることのできる相補的塩基配列になっているから別のDNAのEcoRI断片と簡単に結合して、組み換えDNAを作ることができる。このときの遺伝子が動物や植物の遺伝子だと種の壁を越えた組み換えができたことになる。DNAをハサミで切断し、できた断片ののりしろ同士をつなぎ合わせて遺伝子を組み換えるというのは制限酵素の機能を説明するもの。
ある特定の遺伝子だけを取り出して大量に増やすことをクローニングといい、後に植物へ外来遺伝子を導入する方法に応用された。大腸菌の細胞には染色体とは別に細胞質で自己増殖している、小さな環状DNAがある。これをプラスミドと呼び外来遺伝子を目的の細胞に運ぶ運び屋(ベクター)としてつごうのよい性質を持っている。このプラスミドのDNAに増やしたい外来遺伝子のDNAを組み込めば、プラスミドの増殖とともに外来遺伝子も何百倍に増やすことができる。
1976年には人成長ホルモンを組み込んだ大腸菌が78年にはヒトインシュリン遺伝子を組み込んだ大腸菌が作られ、今では大腸菌に人の成長ホルモンやインシュリンを作らせ医薬品として使用されている。
バーグは、大腸菌のベクターに動物ウイルスの遺伝子を挿入した、組み換えDNA遺伝子を初めて試験管内で作りノーベル賞を受賞している。
しかし、バーグも倫理的な問題意識から組み換えDNAを大腸菌に導入して増殖させる実験をすぐには行っていない。そして1975年にはDNA組み換え実験に関する会議を開き、組み換えDNA実験のガイドラインを作ることにし、科学者が作った新しい技術が生み出すかもしれない危険性を想定し自主規制した。
遺伝子組み換え植物が最初に実用化され市場に登場したのは92年に中国で作られたタバコ、94年アメリカでは日持ちのよいトマトが登場した。99年のマーケット取引高は20億ドルを突破している。
近いうち登場する新植物には大きく分けて3つある。①生産者である農家だけでなく消費者にも利益をもたらす新植物。②暑さ、寒さ、乾燥などの悪い環境にも強い新植物。③分子農業に利用できる植物。①は食糧や飼料などの栄養価を向上させるような形質を持った作物。すでにアメリカでは95年にオレイン酸高生産性ダイズが商品化されている。オレイン酸は血中コレステロールの値を下げる効果の脂肪酸である。また主食である米としてゴールデンライスと呼ばれる開発途上の人々のビタミンA不足を解決するために計画された組み換え作物が注目されている。②に関しては不飽和脂肪酸の含量を低くすることで暑さに強い植物作るという研究や乾燥に強い作物を作るために塩害に強い植物の研究が進められている。③は植物を工場のように利用しようという研究。すでに医薬品や検査薬が植物から生産されている。注射でなく食べるワクチン開発もこの分野の課題。開発途上の人々にとっては食べるワクチンができればおなかを満たすだけでなく、健康をも改善できるものになる。
ここまで遺伝と植物の進化を述べたが、組み換え遺伝子技術へのリスクにどういったことが考えられ、何が不安材料か。まず、遺伝子技術に対する理解を深めるための教育的課題として、アメリカの有名大学では生物学を全学生の必須科目にしているのに対し、日本では生物学の単位を取らなくても医学部に入学できることを述べている。そもそも日本では理解される土壌ができていないといえるのではないだろうか。
種の壁を越えた遺伝子組み換えは自然の摂理に反する技術か。DNAのレベルでは種の壁は存在しないことが分かった。遺伝コードは地球上の生物すべてにおいて共通している。また細菌などの原核生物の世界では種の壁を越えた遺伝子組み換えが、頻繁に起きていることが分かっているとする。わたしは遺伝子組み換えの研究に当たっている研究者は高い倫理のもとで行動し、恩恵を享受する消費者には組み換え技術について理解を深めるための教育が必要であり、さらに著者が指摘しているように輸出国と輸入国双方の行政機関が責任を持って流通の過程を厳しくチェックすることは最低限必要なことだと思う。
植物はわたしたち人間を含む多くの生物が生きるために欠かすことのできない食糧や酸素を供給してくれている。分子生物学の発展は新しい植物を作りだし、それは人間の生活にさらに恩恵をもたらす可能性を秘めるとともに、不安や危険も秘めている。
わたしたちが口にしている農作物の多くは近代科学発展以前にすでに栽培植物として存在していたもので、人類祖先の努力によって栽培に適した良い植物が選抜(育種の第一歩)され、今日まで伝えられたのである。
近代科学が発達してくると遺伝学、生理学、生態学などを基盤にした科学的な育種技術がうまれ、合理的な植物改良が行われる。育種とは、違う品種間で交配を繰り返すことで、植物の悪い性質を改良し、病気に強く、収穫量の良い、新しい品種の植物に一歩一歩改良すること。いろいろ方法はあるが、広く行われているのは二つの品種を掛け合わせ(交配)て行う交雑育種である。交配とは二つの植物を掛け合わせて受粉を行うこと。100年前まで経験的に行われてきたが、20世紀になるとメンデルの遺伝法則を応用した科学的な育種が行われるようになった。
形質や、対立形質、表現形とは植物を改良するための基礎となる遺伝学の用語である。
形質とは、「生物にあらわれた遺伝子によって決定されている性質で花の色や形、茎の長さなどのこと」。遺伝とは、形質が子孫に伝わっていく現象。どのように伝わり、どのように現れるのかを調べるのが遺伝学である。染色体とは細胞の核の中にある「たくさんの遺伝子の集合体」。遺伝子の本体はDNAという核酸の一種。染色体のDNAはヒストンというたんぱく質と結合して安定している。染色体は遺伝子DNAとたんぱく質からできている構造体で、生物の形質を決めるおおもとである。人間の体の細胞には対をなして2本ずつあり、ひとつは父親から、もうひとつは母親から受け継いだものでこれを相同染色体という。染色体は人は46本、はつかねずみは40本、ショウジョウバエは8本というように数や形は生物によって違う。相同染色体の間で、あるひとつの形質が互いに異なっている場合(一方の花は赤、もう一方は白など)を対立形質という。それに関係している遺伝子を対立遺伝子という。植物の形質として現れる形態や生理的な性質の型をこの植物の表原型という。表現型として現れる形質を優性形質、隠れている形質を劣性形質という。優れている、劣っているという意味ではない。
1856年メンデルはエンドウの交配実験の結果をまとめ、発表するも注目されず、1900年フリースら3名が引き継ぎ、論文を発表すると真価が認められ、近代育種の出発点となる。劣性形質が3対1の割合で現れてくる現象をメンデルの分離の法則という。メンデルの遺伝学の法則はソラマメの交配実験によって見つけられた。もうひとつ重要なのが遺伝の粒子説を提唱したこと。流体のようなものが遺伝をつかさどっていると考えられていたが分離の法則が説明できなかったので、メンデルは粒子のようなものが遺伝をつかさどっているのだ(遺伝因子)と考えた。この因子が遺伝子と呼ばれるようになる。
交配による育種の特徴は、交配によって生まれる子孫が一種類ではなく、ランダムにできてしまう。良い品種が生まれるかどうかは運まかせだった。また植物育種の基盤技術になっている交配は同じ種の中でしか成立せず、種の壁が存在した。イネはイネ、トマトはトマトというように同種でしか交配できない。
フリースはメンデルの法則に従わない形質をを持つものが突然現れることを発見する(突然変異)。その後、ビードルがアカパンカビを使って遺伝子が支配している形質の現れ方(発現)を研究し、栄養要求株が突然変異によって現れることを発見し、さらに放射線を当てると栄養要求株の現れる確立が非常に高くなることが分かった。遺伝子は普通安定物質で、細胞の中で正確にコピーされ子孫に伝えられるが、時折エラーが生じる。放射線はエラーを引き起こす原因となる。エラーは、遺伝子である核酸分子の塩基配列に変化が起こることで、それは遺伝子が指定しているたんぱく質のアミノ酸の並び方も変わることであり、結果、生物の形質も変化する。このような変異した遺伝子を持っている個体を変異体、変異株という。自然界における突然変異の頻度は普通10万分の1から100万分の1程度で、ペチュニアやアサガオのように頻度の高い遺伝子もある。放射線照射によって頻度を高めるという方法は植物の生存に不利に働くものが多く農作物の改良に利用できるものはなかった。現在は自然界の突然変異を探し出し、有望な遺伝子を見つけ育種に利用するのが主流。自然突然変異株は国際間の紛争を招くほど重要な資源となっている。しかし、突然変異の持つ形質も交配によってしか目的の栽培植物に導入できない。主の壁は越えられない。
1950年代に、大腸菌と大腸菌に感染してそれを殺すウィルスの遺伝子の分子レベルの研究を中心にした分子生物という学問が誕生。この研究から種の壁を越えた遺伝子組み換え技術が誕生した。生きている細胞が研究対象だったが、やがて、生きている細胞を壊して、内部物質の有様を探る学問の生化学が生まれる。生化学は細胞の中で起こる化学反応を発見し、酵素という特別の機能をもったたんぱく質が重要な役割を果たしていることをつかんだ。その後、物理学者が「生命現象も物理学の法則に従っているのか、それとも生命特有の法則によって支配されているものなのか」という問題意識から分子生物学の研究に参入してきた。生化学の研究対象は主に動物細胞だったが、独立した生命を持ち、もっとも単純な系である大腸菌やファージを研究したほうが解析しやすく、研究も進むと考えた。分子という視点から見た生命現象には種の壁はなく、遺伝子こそ生命現象の中心にある分子だと考えた。DNAの二重らせん構造の発見によって遺伝子は物質としての姿を現し、遺伝という現象はDNAという分子のふるまいだと理解された。遺伝子に記された情報はDNA分子の塩基の並び方であり、配列とその意味の解読が始まった。セントラルドグマというDNAからRNA、RNAからたんぱく質という情報の流れ、またその過程で機能する反応が解明され、「遺伝コード」が地球上の生物種すべてに共通していることを発見した。遺伝コードとは、mRNAの塩基配列がアミノ酸に翻訳されるときに使われる辞書。たとえば、ウラシルが三つ並んだ「UUU」という配列は「フェニルアラニン」というアミノ酸を指定するコードである。この遺伝コードが地球上の生物すべてに使われていることが分かった。つまり、まったく異なった生物種間(細胞からできている)でもDNAという分子レベルでは種の壁はなく、交配が可能という発想が生まれた。それを実現させた技術が遺伝子組み換えである。1974年カエルの遺伝子DNAを切り出して、大腸菌の中で増やす実験に成功し、75年DNAの塩基配列がどのようになっているかを突きとめる技術も開発され、「ある生物の遺伝子を、人工的に多種の生物の遺伝子の中に加えたり、入れ替えたりする」ことが可能になった。こうして組み換え動物、組み換え植物が誕生し、分子生物学は真核細胞の遺伝子セットであるゲノム研究へと向かった。
遺伝子の本体がDNAという核酸の分子であると突き止めたのは形質転換という実験を繰り返し行った細菌学者のエイブリーである。
遺伝の仕組みはDNAの2重らせん構造によって説明できた。DNAは、リン酸と糖が交互につながった長い鎖状の分子。糖には塩基がついている。塩基にはアデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)の4種類ある。「リン酸、糖、塩基」を一単位としてヌクレオチドという。DNAはヌクレオチドが長くつながってできた分子。ヌクレオチドがたくさんという意味でポリヌクレオチド呼ばれている。DNAの塩基配列はACGTというように表す。遺伝情報はすべてDNAの塩基配列として書き込まれているため順番は非常に重要である。DNAはどんな立体構造をしているか、シャルガフはDNAの塩基組成を分析し、どんな生物からとったDNAでもGとCの含有量は等しく、またAとTの含量も等しいという規則性を見つけ、ワトソンとクリックはDNAの分子構造のモデル二十らせん構造モデルを打ち立てた。それは、互いに逆方向の二本のポリヌクレオチド鎖が二十らせん構造をとり、そのらせんの内側に向けて塩基が飛び出しているというモデルである。このモデルでさらにDNA遺伝子としての生物学的性質も説明することができた。
DNA塩基配列は大きく分けて二つある。一つは構造遺伝子と呼ばれ、細胞やその集合体である個々の生物が生きていくために必要な、たんぱく質のアミノ酸の配列を塩基の配列として指定(コードする)しているもので、生物の形質はたんぱく質によってきまる。もう一つは構造遺伝子の働きを制御しているもの。DNA分子の塩基配列の指令に従って、たんぱく質が生合成される過程を形質発現という。形質発現の過程はすべての生物細胞で共通の基本的な方式でそれがセントラルドグマ。DNAの塩基配列の構造遺伝子の領域が、RNAポリメラーゼという酵素の働きで、RNAの塩基配列に読み替えられ(転写)そのRNAの塩基配列が「リボソーム」と呼ばれる細胞内の粒子の上で、アミノ酸配列に変換されて(翻訳)たんぱく質が合成される。しかし、原核細胞と真核細胞とではセントラルドグマに従うも形質発現の機構には大きな違いがある。それは遺伝子の編成が違うから。原核細胞は細菌の細胞のこと。細胞内部で遺伝子DNAは裸で存在している。真核細胞は動物や植物の細胞で、微生物の仲間で酵母も真核細胞。
真核細胞では、細胞分化という現象があるため原核細胞より遺伝子の発現を制御する機構は複雑で、その過程では細胞分裂の際に形質の違う二つの細胞になる現象が起こる。植物では分裂した一つの細胞は根の細胞になりもう一つは葉の細胞になるという現象が起こる。これを細胞分化といい、転写の過程に原因があると考えられている。
種の壁を越えた遺伝子操作が可能になったのは、長いDNA分子の鎖をある特定の場所でだけ切断する制限酵素と呼ばれる酵素が発見されたため。制限酵素とはDNA鎖の4つまたは6つの塩基配列だけを認識してその場所だけでDNAをある長さをもった断片に切断する酵素。いろいろな細菌が制限酵素を持っており100種類もの酵素が取り出され市販されている。制限酵素の一種EcoRIは認識配列を四塩基ずれた位置で切断するので生じた二つの末端には四塩基の一本鎖DNAの部分が残る。この一本部分同士はお互いが結合して二本鎖DNAをつくることのできる相補的塩基配列になっているから別のDNAのEcoRI断片と簡単に結合して、組み換えDNAを作ることができる。このときの遺伝子が動物や植物の遺伝子だと種の壁を越えた組み換えができたことになる。DNAをハサミで切断し、できた断片ののりしろ同士をつなぎ合わせて遺伝子を組み換えるというのは制限酵素の機能を説明するもの。
ある特定の遺伝子だけを取り出して大量に増やすことをクローニングといい、後に植物へ外来遺伝子を導入する方法に応用された。大腸菌の細胞には染色体とは別に細胞質で自己増殖している、小さな環状DNAがある。これをプラスミドと呼び外来遺伝子を目的の細胞に運ぶ運び屋(ベクター)としてつごうのよい性質を持っている。このプラスミドのDNAに増やしたい外来遺伝子のDNAを組み込めば、プラスミドの増殖とともに外来遺伝子も何百倍に増やすことができる。
1976年には人成長ホルモンを組み込んだ大腸菌が78年にはヒトインシュリン遺伝子を組み込んだ大腸菌が作られ、今では大腸菌に人の成長ホルモンやインシュリンを作らせ医薬品として使用されている。
バーグは、大腸菌のベクターに動物ウイルスの遺伝子を挿入した、組み換えDNA遺伝子を初めて試験管内で作りノーベル賞を受賞している。
しかし、バーグも倫理的な問題意識から組み換えDNAを大腸菌に導入して増殖させる実験をすぐには行っていない。そして1975年にはDNA組み換え実験に関する会議を開き、組み換えDNA実験のガイドラインを作ることにし、科学者が作った新しい技術が生み出すかもしれない危険性を想定し自主規制した。
遺伝子組み換え植物が最初に実用化され市場に登場したのは92年に中国で作られたタバコ、94年アメリカでは日持ちのよいトマトが登場した。99年のマーケット取引高は20億ドルを突破している。
近いうち登場する新植物には大きく分けて3つある。①生産者である農家だけでなく消費者にも利益をもたらす新植物。②暑さ、寒さ、乾燥などの悪い環境にも強い新植物。③分子農業に利用できる植物。①は食糧や飼料などの栄養価を向上させるような形質を持った作物。すでにアメリカでは95年にオレイン酸高生産性ダイズが商品化されている。オレイン酸は血中コレステロールの値を下げる効果の脂肪酸である。また主食である米としてゴールデンライスと呼ばれる開発途上の人々のビタミンA不足を解決するために計画された組み換え作物が注目されている。②に関しては不飽和脂肪酸の含量を低くすることで暑さに強い植物作るという研究や乾燥に強い作物を作るために塩害に強い植物の研究が進められている。③は植物を工場のように利用しようという研究。すでに医薬品や検査薬が植物から生産されている。注射でなく食べるワクチン開発もこの分野の課題。開発途上の人々にとっては食べるワクチンができればおなかを満たすだけでなく、健康をも改善できるものになる。
ここまで遺伝と植物の進化を述べたが、組み換え遺伝子技術へのリスクにどういったことが考えられ、何が不安材料か。まず、遺伝子技術に対する理解を深めるための教育的課題として、アメリカの有名大学では生物学を全学生の必須科目にしているのに対し、日本では生物学の単位を取らなくても医学部に入学できることを述べている。そもそも日本では理解される土壌ができていないといえるのではないだろうか。
種の壁を越えた遺伝子組み換えは自然の摂理に反する技術か。DNAのレベルでは種の壁は存在しないことが分かった。遺伝コードは地球上の生物すべてにおいて共通している。また細菌などの原核生物の世界では種の壁を越えた遺伝子組み換えが、頻繁に起きていることが分かっているとする。わたしは遺伝子組み換えの研究に当たっている研究者は高い倫理のもとで行動し、恩恵を享受する消費者には組み換え技術について理解を深めるための教育が必要であり、さらに著者が指摘しているように輸出国と輸入国双方の行政機関が責任を持って流通の過程を厳しくチェックすることは最低限必要なことだと思う。