差別を含む暴力に対し、
非暴力という名の抵抗が有効であることはガンジーが過去に証明してみせた。
文字通り、命をかけての真理の追求であったのだが。
日本も、この方法にかけてみるというのも有効な選択肢の一つではないだろうか。
具体的な一例では、北朝鮮の脅威に対して、非暴力的な態度を貫くのだ。何があっても。その時、建前であってはならない。ガンジーの非暴力は建前ではない。本質である。だから彼は真理という表現を取っているのだ私は思う。
人間は、時にいくらでも狡猾になれると思うが、その同一人物の中には、人を思いやる気持ち、つまりは優しさも同時に存在するのだ。
ごく少数だが、狡猾さしか持ち合わせていない人間もいるかもしれないが、その人達さえも窮地に追い込むほどの覚悟が必要なのだ。