概要
時事通信社のベイルート特派員出身で静岡産業大学教授【森戸幸次氏】
アラビア語を駆使して調査したそうだ。
パレスティナ問題の理解には、
・国際システム
・中東システム
・アラブシステム
以上すべての近現代史の読み解きが不可欠とのこと。
トルコ・イラン・エジプトの一部を除き、近代化はされておらず、
有力部族支配がいまだ色濃く残っている。そんな中で独裁政権が崩れ、
復古派・過激派が台頭。ISにつながる。スンニ(スンナとも呼ばれる)派
過激派がシリア内戦・イラク分裂を利用して、シリア東部・イラク北部を占拠。
ネットを駆使して、権力正当化を図っている。
ユダヤ人の問題
それからトルコ人もキー。
アラブ人の問題
アメリカとイスラエルの同盟
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の宗教の問題
等未解決問題が集中。
エネルギー問題や、イギリスの二枚舌外交からのバルフォア宣言も
白黒つけられない状況にした。ちなみにイスラエルの諜報機関モサドは、パレスチナが
イギリス支配下にあった際に、反英国武装闘争の地下組織が前身だったんだそうだ。
たぶんムハンマドがどのような役割を果たしたか、この辺からアプローチしないと
わからないだろう。
ローマとペルシャが6世紀末に衰退。代わって、
ローマ、ペルシャ、インド、中華4つの帝国からユーラシア帝国へ統合される時代。
ユーラシア帝国は7世紀から14世紀(アラブ人→トルコ人→モンゴル人)まで。
アラビア半島のアラブ人が地中海南部から西アジア中央アジアの巨大な地域に
イスラム帝国を成立させる(ユーラシア)。
東西の交流が経済を促し、スーパー帝国に向かって世界史は進む。
歩兵中心の軍隊に対して騎馬遊牧民が圧倒していく。
7世紀後半から8世紀後半までアラブ遊牧民の軍事征服と大征服運動。
アッバース朝(イスラム独特の都市間交通による交通網)
草原・海・川、各道は、北欧・アフリカ・スペイン・中国とつながる。
イスラーム勢力は、ササン朝を倒し、ビザンツ(東ローマ帝国)から
シリア・エジプトを奪い取り、陸のペルシャと海のローマ2強間の争いにピリオドを打った。
6世紀末、ペルシャ(ササン朝)とビザンツ(東ローマ帝国)が戦争で、首都クテシフォンと
コンスタンティノープルが衰退。代わってメッカが新興宗教都市として成長。
イスラム帝国は大乾燥地帯=ユーラシアの古代史の完結とともに世界史をスタートさせた。
中心人物はアラビア半島の都市メッカに生まれたムハンマド(570-630年)だった。
ムハンマドの死後、スンニ派(正統カリフ)とシーア派(ムハンマドの従妹アリーとその子孫を後継者とする集団)
が対立を深める。
メッカは約200人で構成の遊牧部族がそれぞれの神(360)を祭った。つまり7万2000人?
→このイスラーム帝国の形成(地中海支配)が今度はヨーロッパキリスト教の再編を促す。
ローマ教会とフランク王国(フランス・ドイツ)が提携(ローマ教皇と皇帝カール大帝)。
参考松岡正剛『世界と日本のまちがい』、宮崎正勝『世界史』