ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィル定期演奏会を聴きに行く。

2023年05月18日 | 音楽
5月13日 名古屋フィルの512回定期演奏会を聴きに行く。

指揮は井上道義さん。

最初にバルトークのルーマニア舞曲 Sz 47a BB61が演奏される。

ちょっとおどけた感じと 不安な感じなどが入り乱れた舞曲で いかにも 井上道義さんが好きそうな感じの曲と思った。

次に バイオリン独奏服部百音さんで 同じく バルトークのバイオリン協奏曲第2番Sz112 BB117が演奏される。

演奏中 結構 楽しんで聴いている自分がいることに気づく。

昔はバルトークは退屈することが多かったけれど たぶん 40歳代の時に ショスタコーヴィチの交響曲を かなり CDで聴いたので バルトークのようなちょっと暗くて 陰鬱な世界に自分の感覚が慣れたのだと思う。

ショスタコーヴィチの バイオリン協奏曲第一番にちょっと似ていると思ったけれど 家に帰ってから 作曲年代を調べてみると バルトークの方が10年ほど先に作曲されているので ショスタコーヴィチがバルトークに似ているという方が 正解だとは思うけれど、、、

たぶん 同時代の作曲家で 互いにこの二人は 大きな影響を与え合っているのだろうと思う。

バルトークの管楽器の転がし方は ショスタコーヴィチに似ていると思うこともあるし、、、。

この曲は そこそこ規模の大きな曲なのに なぜか 道義さんは 指揮台を使わずに指揮している。

それに 普通 指揮者は オーケストラに 垂直方向を向くものだけれど オーケストラに向かって垂直方向から 反時計回りに45度くらいの角度で立っておられる。

微妙に 指揮者の左手にいる 服部百音さんと向かい合うような感じで なんか 変だなと思っていた。
服部百音さんも演奏中に道義さんの方に 妙に近づいて行ったり。

何かヘンだと思っていた。

曲の 終盤 第三楽章で 二人が ちょっとした しぐさをした瞬間に 「ああ 道義さんと 百音さん 二人で ダンスをするイメージだ」と直観的にわかった。

「まあ バルトークだけれど 固くならずに 僕とダンスをするイメージでやろうよ」とか 道義さんなら言いそうな気がするし。

実際は なんて言ったか知らないけれど、、、。

若くて 期待のバイオリン奏者と ダンスとは 道義さんも役得だなとは 思ってしまう。

けれど プロのオーケストラを指揮してバルトークを演奏することは 生易しいことではないようにも思う。

と まあ あれこれ 考えつつ 楽しめる 演奏だったと思う。

百音さんが アンコールをしてくださったけれど 20世紀の音楽風の曲とは思ったけれど 僕の知らない曲だった。

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20分の休憩をはさんで 次に
クセナキスの ノモス ガンマ という曲が演奏された。

この曲の演奏ではオーケストラは 円盤状に並んで その 円盤の中心に道義さんが立って指揮するという構成だった。

今度は 道義さんは ステージ奥のパイプオルガンに向かって 垂直方向から 時計回りに 30度から40度くらいの角度で立っておられた。

なんだか この日は 斜めに 立たれることが多いなと思った。

曲は 混とんとしていて 一見 雑音の嵐のようにも思えるのだけれど 結構楽しい。

たぶん 道義さんの 演出がうまいからだと思う。

打楽器が あちこちで ババババンとなった時 一瞬 花火の連発の光景を思い浮かべた。

また 日本の祭りの和太鼓を思い浮かべた場面もあった。

きっと 打楽器の響きって 洋の東西を問わず 結構 普遍的なものであるのかな とそんなことを思った。

僕は 最近 あまり 指揮者を見ていなくて オーケストラの 楽器を見ていることが多いのだけれど たまたま 微妙な位置関係で 楽器が 見にくいときがあったので 指揮者 道義さんの方に視線を移した。

すると 道義さんは パイプオルガンの垂直方向から時計回りに30度から40度の角度で立っている その 視線のまっすぐ先には ティンパニーの奏者がおられることに気づいた。

道義さんが何の意味もなく ティンパニーの方を向いて立つということは あるはずもなく 何か 意味があるのだろうと思った。

どんな 意味かは わからないけれど ティンパニーの方を向いて立っておられる道義さんを見て もう ずいぶん昔に 大阪のザ シンフォニーホールで ベートーヴェンの第九を道義さんの指揮で聴いた時 僕は パイプオルガンに近い席にいて その時 道義さんが 第二楽章の演奏を開始するときに ティンパニーの奏者に 目配せをしてから 入られたことを思い出した。

あの場面は 印象深かったので 今でも覚えている。

きっと 第九の第二楽章でも そして クセキナスの ノモス ガンマ でも 道義さんは ティンパニーが演奏のかなめと思っておられた可能性は 十分にあるような気がした。

弦楽器が 弓で 弦をたたくような 場面もあり その時は そういえば ベルリオーズの幻想交響曲の第五楽章の最後の方 怒涛のように曲が盛り上がっていく場面で 弓で弦をたたくような奏法が確か あったな と心の中でそんなことを考えていた。

クセキナスの音楽も怒涛のような音楽だったけれど。

あと オーケストラが 円盤状に並び その中心に 道義さんがいるので 当然 道義さんは360度を意識しながら 指揮しなければならない。

いかにも 道義さんらしいな と思ったのは ときおり というか かなり頻繁に 道義さんが 自分の 背後の 奏者にも シグナルを送っておられたことだ。

それは 指揮棒の先を スッと 後ろに 向けたり 手首をうまく使って 指先を真後ろの奏者に向けたりとか、、、。

見ていて 結構 楽しかった。

最後に演奏されたのは ラベルのボレロ。

ステージを暗くする 演出だったので 僕は ステージに目を凝らすことをあきらめ 音を聴くことに 集中した。

集中と言っても いろいろ 他ごとをかんがえていたけれど、、、。

音だけをきいていると この曲に 展開というものがないということを やはり よりいっそう 意識させられることになる。

展開がなく 同じことを 延々と繰り返す。

変わるのは 基本的に 楽器の音色と 音量。

それだけで 一曲 構成してしまうのは やはり ラベルはすごいな と思ってしまう。

木管が しみじみと ホールに響いていて 泣きそうになった場面もあった。

延々と続く 同じメロディ そして ダンスのための音楽 と思ったときに 心の中に 故郷 岐阜県の民謡 郡上節が 思い浮かんだ。

郡上節も 同じことを 延々と繰り返す。 そして 踊りのための 音楽というか歌。

前半で演奏された バルトークも 民謡と思われる メロディが いろいろ 出てきたし ボレロも ダンスのための 民族的な要素の強い音楽。
それを 聴いていて 郡上節に 思いが至ったというのは 案外 前半のバルトークから続くコンサート全体の流れの中でそうなったような気がする。

もちろん 道義さんが 具体的に 郡上節を思い描かれたはずは ないと思うけれど コンサート全体を通して 音楽の持つ 全世界的な普遍性 そういうものを 道義さんは 意識されていたのではないか そんな 気がする。

道義さんにとって 最後の 名古屋フィルのステージだと聞くし 戦争や コロナで 世界の秩序が おかしくなりかけている時代。

そういう時に 道義さんが 音楽の持つ 全人類的な普遍性を 問いかけたのではないだろうか そんな気がしてならない。

ボレロの演奏は 今まで聴いた ボレロの生演奏では 僕にとって 最も 印象深いものになった。

なお 後半のクセキナスのノモス ガンマ そして ラヴェルのボレロを演奏されるのに先立って道義さんはプレトークをされた。

そのプレトークで 道義さんは「前半のバルトークのバイオリン協奏曲を聴いて難曲だと思った人は手をあげてください」「では 名曲だと思った人は手をあげてください」と会場のみんなに問いかけられた。

難曲で手を挙げた人と 名曲で手を挙げた人の数は 大体同じくらいだったと思う。

そして その 問いかけをモチーフにして 道義さんは 「音楽はわかりやすさも大切 そして 難しいものに挑戦することも大切。クセキナスはわかりにくいかもしれないけれど そのあとに ラヴェルのボレロを用意しています」という主旨のことをおっしゃった。

ベートーヴェンも第九の歓喜の歌のメロディのようにわかりやすいものもあれば 難しいものもあるという主旨のこともそのはなしのなかでおっしゃっていた。

名フィル512回定期演奏会のプログラムに即しても バルトークは 民謡の素材が豊富でわかりやす部分 楽しい部分がある反面 陰鬱で 難しいと感じる場面もある。

クセキナスが難解とすれば ボレロは 同じメロディの繰り返しでわかりやすいと言えばわかりやすい。

本当に わかりやすく楽しいことを求める心と 難しいものに挑戦する心意気の両方が大切と思った。

考えてみれば バルトークやショスタコーヴィチは僕が 中学生 高校生の頃は 難しい音楽と感じていたし 今ほど演奏される機会もなかったように思うけれど 最近は 若い演奏家が 当たり前のように取り上げておられることもある。

それだけ みんなが努力した結果として 昔ほど難しい音楽ではなくなったような気がする。

そういうのも時代の流れなのだと思う。

個人的には 道義さんのステージでは 5月13日の名古屋フィル定期と 何年前か忘れたけれど 大阪のフェスティバルホールで ショスタコーヴィチの交響曲第4番を演奏されたことが 僕にとっては 一番の思い出になった。

あと もう一つ 道義さんが2008年ころに 兵庫芸術文化センターのオーケストラとベートーヴェンの交響曲を1番から8番まで演奏されて 確か 7番8番の時に ウィーンやベルリンからやってきた 管楽器の名手の人が 入って演奏したことがあった。

そのとき 指揮者は同じでも 奏者が一人 二人入るだけで オーケストラ全体から出る音がこんなに違ってくるのか と思ったことも僕にとってはいい体験になった。

コンサートがひけて ロビーに出ると まだ ホールの中から 拍手が聴こえるので もう一度ホールに入ると スタンディングオベーションの中 道義さんがステージに一人で出てきて挨拶をしておられた。

本当に 動きが きびきびと しておられて これで 最後とは 信じられないけれど 道義さんのステージは本当に いつも 楽しかったな と思う。

たくさんのいい思い出をありがとうございました。

といいつつ まだ 聴く機会が ありそうな気がするけれど、、、。

それはともかく 一日 いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。