12月7日愛知県芸術劇場コンサートホールに
名古屋フィルハーモニー交響楽団第529回定期演奏会を聴きに行く。
指揮はアントニ ヴィットさん
最初に
シューマン 序曲「ヘルマンとドロテア」が演奏された。
ラマルセイエーズのメロディが頻繁に形を変えて出てきた。ちょうど知り合いの人がフランスに行っているときだったので、フランスに思いを馳せながら祈るような気持ちで演奏を聴いていた。
次にバイオリン独奏 森岡聡さんで
シューマン バイオリン協奏曲 が演奏された。
録音、生演奏、含めてたぶん初めて聴いた曲だと思う。
バイオリンが独奏楽器としてオーケストラと対峙して際立っているというよりも、バイオリン独奏がオーケストラの演奏と融合しているという印象を僕は持った。
たぶん独奏の森岡聡さんが名古屋フィルのコンサートマスターと言うことでオーケストラと独奏者のなんというか心理的な距離が近いことが一因かもと思った。
何楽章とか言うのは忘れたけれどコンサートマスターとバイオリン独奏が掛け合いをする場面があってよく息があっているなと思った。
例えば一楽章でオーケストラ全体が一斉に鳴るようなところは特に何番と言うわけではないけれど シューマンの交響曲を連想しながら聴いていた。
楽想は交響曲を彷彿させる場面でも演奏は音量的にはかなり抑え気味であることも印象的だった。
オーケストラのメンバーの方が遠慮しておられるのだろうかとも思ったけれど、指揮者を見るとやはり大きな音を求めるような動きはされていなかったのできっと指揮者の意図によるものなのだろうと思った。
全体に抑え気味にまとまった演奏であるように僕には思えた。
チャイコフスキー 幻想曲「フランチェスカ ダ リミニ」
演奏の前半 悲劇的な楽想が頻繁に出てきたけれど、弦の高音域がその悲痛さに見合うような音が出ていないように思える場面がしばらくあった。
そんな時には、もう少し 弦の高音域が悲痛さを表現するようなある種の鋭さがあればなあと思いながら演奏を聴いていた。
ただ、演奏が進んで音楽が躍動的になって来るとそのような弦の高音域の音不足のような感覚はだんだん気にならなくなってきた。
結果的にはよく盛り上がって演奏が終わったように僕には思えた。
金管の高らかに鳴る感じ、木管の音が転がるような感じ そんなところでチャイコフスキーの交響曲第4番を心に思い浮かべながら聴いている時間もかなりあった。
チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
最初は割と静かな曲調が演奏を支配していた。
前に演奏された幻想曲では最初、弦楽器の高音域がもう少し耳に届いてくればという思いで聴いていた場面もあったけれど この曲ではそういうこともなく その意味でリラックスして演奏を聴けた。
基本的に初めて聴く曲という認識で演奏を聴いていたけれど 後半になって金管と絡みながら弦の音が細かく動くようになると、ああ いつかどこかで聴いたことのある音楽と思った。
曲が盛り上がるところは演奏にとても満足することができた。
この日は4曲演奏されて4曲とも実質初めて聴く曲だった。
最近はそういう機会も減っているように思うけれど 知らない曲を聴くときはどうしても自分が過去に聴いた曲と結び付けて聴いてしまうことが僕の場合多い。
もともと連想癖が僕にはあるので、そういう連想をしながら演奏を聴くのもまた楽しみの一つだなと思う。
それにしても、若いころはオーケストラの奏者の方がおじさん おばさんに見えたけれど、最近は奏者のほとんどの方は僕より年下でなんとなくフレッシュに見えるなあと思うことがある。
それはともかく いちにち いちにち無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。