1月18日土曜日 京都コンサートホールに京都市交響楽団第696回定期演奏会を聴きに行く。
北山の駅を降りてコンサートホールに向かう道すがら女性二人の会話が聞こえてくる。
「このあたりって大学もあるし 静かやし、こんなところに住めたらいいなあ」
「テントでも張ったら?」。。。。。。。。。
「『テントでも張ったら?』って、あなた、そういう話やないでしょう。こんな場所にテント張って住むわけにいかんし」
と突っ込む人は誰もなく、女性二人の間に何とも言えない沈黙が続く。
たぶん あのまま コンサートホールにつくまで沈黙は続いたのではないだろうか。
僕と女性二人の距離は歩く速度の違いで離れてしまったからわからないけど 本当にテントのボケが宙に浮いてしまって、言った女性はかわいそうだった。
今はもう立ち直っておられたらいいんだけれど。
関西にずっと住んでいれば日常 ごく当たり前に耳にする会話のパターンも尾張地方から登ってくると本当に懐かしいものに思えてくる。それだけでも来た甲斐があった。
さて、京都市交響楽団の演奏
指揮者はヤン ヴィレム デ フリーントさん
最初に演奏されたのが メンデルスゾーン「夏の夜の夢」から序曲。
公演プログラムに「別世界へいざなうような管楽器の4つの和音に続き、4グループにわかれたバイオリンが飛び回る妖精を思わせる」と書いてある箇所のバイオリンの音色がキラキラ輝いているように聴こえ、アンサンブルも精緻で、よかった。バイオリンが指揮者の左右に配置されていたので音が程よく散ってそれも音のキラキラ感に彩りをそれていると感じた。
そのキラキラしたバイオリンを聴いていて素晴らしい演奏だな、京都は今や国際都市だけれどこの演奏なら世界のだれが聴きに来てくれても大丈夫、と思った。
静かに細かく音が動くところからダイナミックに音が動くところまで音楽のシーンごとに演奏の雰囲気を切り替えるのが巧みで プログラムに指揮者がオペラのキャリアもたくさんあることが記載されているけれど なるほどど思った。
次に演奏されたのが
ベルト作曲 ヴァイオリン 弦楽と打楽器のためのフラトレス
バイオリン独奏 会田莉凡さん。
最初あまり独奏者を見ないで演奏を聴いていたけれど バイオリンから低い音 高い音両方出ていて 「ええ? 2台のバイオリンで弾いてるの?」とびっくりして奏者の方を見たらひとりで演奏されていて またまた びっくりした。
曲想はいろいろ変化して、独奏もそれにうまく対応していたけれど 独奏者の方がその変化の中でも変わることのない 一定の緊張感を保っておられるように僕には思えて それか素晴らしいと感じた。
曲は後半になると神秘的な沈んだ楽想に浄化していき 何とも言えない 心の落ち着きを感じさせるものだった。
そこを聴いていてなんとなく ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第三楽章 「病いえたるものの感謝の歌」を連想しながら演奏を聴いていた。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ダウランド 弦楽合奏のための「あふれよ涙」 そして切れ目なくシューマンの交響曲第2番が始まる。
金管の音が鳴り前の曲から切れ目なくシューマンの交響曲が始まった時は「ええ?聞いてないよ」と思った。
長い間コンサートに通っているけれど 違う曲が切れ目なく続けて演奏された記憶はちょっとない。
なぜこういう演出になったかわからないけどちょっと不思議だなと思った。
第一楽章が終わった時 会場から拍手が沸いたけれど それは そうだろう 前の曲から切れ目なく演奏されたので 第一楽章の終わりが前の曲の終わりと思う人は多いはずだと思った。
僕はたまたまネビルマリナーさんのCDを家にもっていたのでつられて拍手をせずにすんだ。
演奏は曲想の変化に応じて多彩に変化するタイプの演奏で聴いていて楽しかった。シューマンのシンフォニーって演奏次第でこんなに楽しいんだと思った。
音が波打って流れるようだなと思って指揮者を見ると本当に波打って流れるようなジェスチャーをしておられて 結局は京響くらいのオーケストラになると意気が合えば指揮者の動きの通りの音が出るんだなと思った。
滑らかなところ スッとするどく気を送るところ ダンスのように動くところ 体を伸ばして力強さを要求するところ いろんな動きが的確に繰り出されている感じで、指揮者をみるのもとても楽しかったし 演奏も 本当に指揮者の動き通りの演奏だったように思う。
例えば第一楽章はプログラムの楽曲解説を見ると アレグロ マ ノントロッポと書いてある。
今まで僕が録音 録画などで耳にした演奏は このマ ノントロッポという記載のせいかちょっとアレグロと言っても重々しく感じるものが多かった。
でも この日の演奏は 快活で流れるようで滑るようで 本当に聴いていてワクワクする感じだった。
コントラバスが 指揮者から見て左に配置されているのになぜか右から聞こえた。それも印象的だった。僕の席の位置だときっとホールの壁に反響した音がよく耳に届いたのだと思う。
でもシューマンの交響曲って 手に届きそうで届かないものへのあこがれ、逆に手に届かないことへのもどかしさなどが表現されているような気がして そこが大きな魅力だなと演奏を聴いていておもった。
とてもいい演奏だったと思う。
帰りに北山の駅に向かって歩く道すがら夫婦と思しき人の会話が聞こえてくる
「音楽が結構せわしないから奏者の人大変やなあ」と奥さん。
「でもそのせわしないとこがベートーヴェン的と言うか、いかにもクラシックっていう感じやなあ」と旦那さん。
本当に的を射た会話だなあと思った。京都ってやっぱり文化レベルの高い街だと思う。
「今日の指揮者の人楽しかったわ」と話している若い女性もいた。
本当に楽しい演奏会だった。
それはともかく 一日いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。