硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2023-11-14 17:44:42 | 日記
「もう宿泊施設へ向かおう」

事前に考えていた行程を思い出しながら、もう一度スマホで確認。

「今から出れば、4時半には池袋に到着できるな」

思い立ったが吉日、脇目も振らず会場を後にし、再びゆりかもめに乗り、まずは豊洲へ。
ラッキーな事に豊洲方面に行く人は少なく、切符も並ぶことなく購入できた。

座席に座り一息つく。
西に日が傾き、オレンジ色に霞む臨海副都心の風景を夢見心地で観ていると、次の駅で、ブロンドヘアのご婦人が前の席に座った。次の駅では、タレントさんのようなお嬢さんがその横に座り、次の駅では、若かりし頃のブラッドピットのような青年が隣に座った。

「なんて非日常なんだ! 」と、心の中で叫ぶ。

しかし、彼、彼女らにしてみれば、ごく普通の情景なのだろうと思うと不思議でならなかった。
終着駅豊洲に到着すると、乗客は一斉に下車してゆきその流れの最後尾を歩いてゆく。
案内表示板に注意を払いつつ、東京メトロ有楽町線を目指す。歩いてゆく人たちの後をついてゆくと、迷うことなく東京メトロ有楽町線、豊洲駅に到着できて安心した。

東京の地下鉄は、層をなしている駅であると、路線を間違える危険性がある。
それが、乗車してから気づくと精神的なダメージが大きいので、ホームにたどり着くまで慎重に動いて行かなければならない。
その為には、何度も表示されている路線を確認し、路線図をしっかり見て下車駅までの料金の切符を買い、行きたい方角へ延びる路線の改札を通過するまで気を抜いてはいけないのである。

地下へ降りてホームに行くと、すぐに列車が到着。ここでも当然、周りの人の動きをよく見ながら、調和するように身体を動かしてゆく。
列車に乗り、座席に座るとどっと疲れが出る。しばらく、目を閉じダメージの回復に努める。
このコースは乗り換えもなく地下鉄なので車窓から何も見えないことも幸いした。
車内は割と静かであるが、緊張は解かない。席に浅く座り両足に軽く体重を乗せておく。何か異常が発生した時に冷静に対処するためであるが、ただただ田舎者なのだなとも思った。


上京雑記。

2023-11-13 21:42:22 | 日記
放送開始時間より少し早めに到着したのであるが、山崎さんは会場にいる人達とコミュニケーションを図りながら場の空気を温めていた。
前の方に座ろうかと空席を探したが、ステージ前の席はすべて埋まっていたので、しかたなく後方の空いている椅子に腰を掛け、山崎さんからのレスポンスに応えることにした。

姿は遠すぎてよく見えなかったけれど、優しくて、凄く頭のいい話し方であることが伝わる。
音楽が掛かっている時やCM中にも、会場にいる人達に気を配ってくれていて、時頼、山崎さんの隣に座る放送作家の女性とコンタクトをとりつつ番組を展開している。
抑制を利かした語りも素敵で、言葉の紡ぎ方も繊細。素敵な女性である。
ラジオ放送を視覚で捉えることの不思議さを体験しつつ、体力の回復を図る。
このまま最後まで聴いていようかとも思ったが、余り長居をすると、後の計画に支障が出るので、山崎怜奈さんの今後の活躍を祈りつつ会場を去る事にした。

エスカレーターに乗りながら、そろそろお宿に向かおうかなと思っていたのであるが、まだ見てないエリアがあるのではと思い、掲示されている大きなマップの前で確認すると、西館の「フューチャートウキョウツアーエリア」が漏れていることに気づいた。

目的地が定まったので、早速移動を始めたが次第にどこを歩いているのか分からなくなり、なぜか外に出てしまった。大いに焦る。
再び、掲示されているビックサイトのマップを確認してまた入館。
迷いながらもようやくたどり着くと、エリアの外で誘導員が声をかけていてくれていた。
彼らの存在は本当に心強い。

少し狭くなった入り口を抜け、エリアに入ると、大画面の中で何かが動いている。
ゴジラだ。そういえば、もうすぐ公開だなと思いつつ暫く映像に見入る。途中からだったのでストーリーがよく分からず、どうしたものかと考えていると、再びスタッフさんが「まだ見られていない方は前の方に進んでご覧ください」と、声をかけてくれていたので、安心して画面の方へ前進し、最初から「ツアー」に参加する。

そこに展開されていた東京の未来は、史郎正宗さんが創作し、押井守さん、神谷健司さん、冲方丁さんが膨らませた世界の断片だったが、その世界に依存してしまった人類が初めて直面する問題は描かれていない。
電力で構成されてしまった世界では、既存の発電では追いつかないであろうし、再生エネルギーというのも、「プラネット・オブザ・ヒューマンズ」を見てしまった後では何とも言えない。
しかし、そこは、あえて、このように表現する事で、未来はユートピアになってゆくのかもと思った。

ツアーが終わり、また人の波に流されながら歩みを進めてゆくと、次のブースでは人類を補助する乗り物の多様性を目の当りにし、改めて「東京モーターショウ」という呼称は、すでに時代に合わなくなってしまったのだと思った。
それは、人類が、科学の進化についてゆけなくなってしまった事象の表れだと言えるのかもしれない。

会場を出て、通路に設置してある椅子に座り一息。小さな船が行き来する港をぼんやりと見ながら時間を見る。
午後三時半を回っている。日ごろの運動不足を体感し、色々刺激を受け、頭脳も十分疲労した。まだ、見られていないブースもあるかもしれないが、もう一度人混みに突き進んでゆくモチベーションもなくて、諦めがついてしまった。

上京雑記。

2023-11-12 21:29:55 | 日記
西館の「部品、機器器具エリア」に入る。

部品、機器器具というと一見地味だけれど、モビリティーショウで一番面白いと思ったのがこのエリア。

各部品メーカーがしのぎを削り、モビリティの一翼を担っている。この部品群がなければ、車は完成しないと言っても過言ではない。そして、各メーカーの部品に対する熱意も伝わってくる。
それだけに、車のデータ改ざんがニュースで取り上げられると、「どうしてそんなことをしてしまったのだろう」と思うし、車や現場の人達まで悪い印象を持たれてしまうのがとても残念に感じる。

部品を見ては色々考えて、見学を楽しんでいると燃料電池を作る企業に目が留まった。

燃料電池の専門知識がないので、何が凄いのかよく分からない。しかし、企業展開の構造がとても興味深かった。
その構造を表す映像画面は英文だったので細部までは理解できないけれど、どうやら、ヨーロッパやロシアなどで使用された燃料電池を中国の工場で回収し、解体し、それを南アフリカでリサイクルして、それをイギリスで組み直して、もう一度、大陸を走る車に搭載する。それを繰り返してゆくというような説明だったと思う。
アグレッシブでありクレバーであるが、もし、それが確立され独走されてしまったら、燃料電池市場は中国の勝ちになる様な気がする。
(ゲームチェンジャーは突然現れるので、絶対とは言い切れないけれども・・・・・・)

会場に来てから、どのエリアでも「カーボンニュートラル」「サスティナブル」という言葉を見聞きできて、企業全体で地球と人にやさしい世界を目指していることが伝わってきていた。
しかし、依然として物を作るには「資源」を調達せねばならないし、電力や水という生活にも関わるインフラを大量消費せねばならない事実は棚上げされている。
人が地球上で営み続けていくには、どういった環境が一番よいのか。それが、SDGsの根本的な問いであるのではないかと改めて思った。

じっくりと楽しませてもらった後に、もう一度南館へ向かう。
場内アナウンスでFMの公開放送が始まるという情報を耳にしたからであるが、心身にかかる負荷も少し軽減したいという、弱音が芽生えてきたからでもある。

再び歩きに歩き、案内係の人が誘導しているエスカレーターに乗ってうす暗い空間に降りてゆくと、設営された舞台空間に聞き覚えのある柔らかい声が穏やかに響いていた。

「山崎怜奈の誰かに話したかった事」である。


上京雑記。

2023-11-11 20:34:37 | 日記
各メーカーはコンセプトカーと新型車を展示していて、購入者の獲得にも力を注いでいるのが伝わってきていた。圧倒的にオジサンが多いけれど、ファミリーや女性同士で来場している人もいて、それぞれの嗜好にあった車を用意しているのが凄い。
そして実際に触れることも出来きるのだから、思わず買いたくなるよなぁと感じた。

主力は、圧倒的にSUV車で、今のトレンドを伝えてくれている。
また、コンパクトカーも充実していて、各層に合わせたラインナップを提供しているが、ここでも、社会的格差の広がりを感じずにはいられなかった。

しかし、時代は前進していっていることは確かだ。

一通り見終わると、次の展示室に移動。再び案内板を見ながら、「モータスポーツエリア」へ向かう。

僕は車やバイクにのめり込んだ時期があったので、モータースポーツは一番関心が高い・・・・・・。はずであった。
このエリアは次世代モビリティーエリアより空いていて見学しやすかったのであるが、それは、トレンドがここではないことを示していた。
逆に言えば好きな人だけが集まる少しコアなエリアであって、レーシングカーを間近で観られるのであるが、なぜか、ときめかない。

サーキット用の車やバイクがどんな構造をしているのかは気になるけれど、「運転してみたい」とは思わなくなっている自分に気づく。
歳を取ったせいなのか、成熟したというべきなのか・・・。複雑な気持ちになりながらも、気になったレーシングカーを写真に収めながら足早に回った。

そのエリアを出ると、12時を回っていた。なにか栄養を取らねばと思っていた時、目の前にコンビニが見えた。(施設内にコンビニがあるなんて!! 採算とれているんだろうなぁ)迷わず入店し栄養ゼリーをチャージ。すぐさま南館の「スーパーカー、カスタマイズカーエリア」に移動する。

とにかく歩く。歩かねば回り切れない広さだと痛感する。
これが猛暑と極寒のコミケなら、僕はきっと倒れてしまうだろう。

南館に入ると、スーパーカーやカスタムカーなどが展示されていたが、なぜかワクワクしない。歩みを緩めて横目で見ながら、ぐるぐる回る。
そして、改めて思う。低くて平べったくて使い勝手が悪く造形の美しい車は、魅力的であるが維持費が高く、選ばれた者のみにしか乗ることが許されないのだと。

YouTubeで時々、同じ時代を生きてきた人が経済的に成功者になって、少年の頃に夢見たスーパーカーを購入し、ドライブを楽しんでいるという動画を観てしまう事がある。
そのたぐいの動画を観るたびに、情熱を失わなかった者だけがたどり着ける場所なのだなと、思っていた。
そう思うのは、達観したというものではなく、あきらめてしまったという方が正しいと感じる感情である。しかし、妬みの感情は消え客観視できていることは幸いだなと感じる。

ゆるゆると観ていると、赤と黒のツートンカラーの車が目に入った。
それは、少ないお小遣いでミニカーも、プラモデルも三種類買った、あの頃、一番好きだった車両だった。

「ベルリネッタボクサー」思わず漏れる。(なぜか僕はこの車をこう呼んでいる)

未だに、カッコいいと思えるモデルの一つである。カラーは何色か存在しているけれど、赤黒が一番カッコいいのである。
一番好きな角度からの写真を撮り収めた時、小学生の頃、父に連れて行ってもらった外車ショーで写真を撮っていた時の気持ちを思い出した。

「いつかこの車に乗ろう」と思ってシャッターを切ったなと。


上京雑記。

2023-11-10 20:28:06 | 日記
ゴトゴトと走るゆりかもめの車窓から東京のウォータフロントと呼ばれるビル群が見えると、少し寒気がした。
これまでなら羨望の眼差しを向けていたのに、今回は違和感を覚えた。
それは、「このビル群を建設する為にどれほどの鉄鋼やセメントなどの資材を使って建設されたのだろうか。そして、それは自然界からどれだけ削り取られた資源によって形成されたものなのだろうか」という考えに至ったことと、その景観そのものが幻想なのではと錯覚をするくらい非日常を感じだからだろうと自己分析した。

ゆりかもめは東京ビッグサイトに到着し、一斉に下車した人の流れに飲み込まれながら改札を抜ける。出口ではスタッフの青年が、元気よく声を出して人の流れを誘導していて安心する。
そのままの流れに従いながら、のろのろ歩いてゆくと、いつかトランスフォームするのではないかと感じさせるような(たしか、ずいぶん昔のコミケのパンフにこんな感じのコメントがあった気がする)デザインのビッグサイトが見えた。

ようやくたどり着いたと思っていたら、他の移動手段で来場していた人達との合流地点で人の流れが完全に止まった。

「またまた読みが甘かった」と、思わず漏れるが、コミケの事を思えばまだ楽な方なのかもしれないと思い、空を見ながらゆっくりと群衆の流れに身を委ねる。

目の前に並ぶ大勢の人たち。それでも、確実に前進し、ビックサイトに飲み込まれてゆく。
圧倒的に男性が多い。中にはスーツ姿の人もいて、この大きな会場で商談を行う人もいるのだなと思った。

施設の中はどうなっているのだろう。僕の後にもどんどん人が並んできているのに、すべての人を収容できるスペースはあるのだろうか。と心配になってきたが、いざ入場してみると、その心配は不要であった。

荷物検査を終え、チケットを読み込んでもらったあと、どこへ行けばいいのだろうと考えながら進んでゆくと、人の流れは東館へ進んでいた。
ここは逆らわない方がいいと思い、そのまま東館に進む。しばらく歩き続ける。しかし、余りの広さに、

「コミケはもう無理だな」と頭をよぎる。

今以上の人の量の中で、たいした情熱もなくこれ以上のイベントに参加するのは、無理矢理荒れ野を歩かされているようなものになるから、途中で息絶えてしまうだろう。

方向を間違えないように前方の上部に表示されている案内板を頼りに移動する。
入場時にもらった案内書のQRコードを読み取り、アプリを開けばモビリティーショウのマップが見られるのであるが、それは少し抵抗を感じたので、流れのままに見学する事にした。

展示室に入ると、コンセプトカーの周りには人垣が出来ていて、容易には見られない。
人垣がほぐれてゆくのを見計らいながら、前に進む。
この動作で各メーカーのブースで展開しスマホのカメラに収める。

モーターショウと言えば、大きなカメラを持って写真を撮るイメージが残っているが、今は2023年である。通話機能がある手のひらサイズのコンピューターが付属しているカメラで写真を撮り、クラウドに保存しておくという、スーパーカー世代の少年である僕にとってはそれだけでも夢物語である。
カメラとフイルムを買い、写真を撮り、カメラ屋さんにフイルムを渡して2週間後の出来上がりを楽しみに待つという時代ははるか昔の話になってしまった。
しかも、その場で写真が確認でき、不出来なものはその場で削除できてしまう。強者はその場で加工までしてしまうのであるから驚きの進化である。


上京雑記。

2023-11-09 21:13:13 | 日記
下車と同時に東京の日常に溶け込む為、周りに意識を向け、流れに調和するようにスイッチを入れ替え移動する。
改札を出る際には、携帯や「Suica」等をかざして通ってゆく人々のスピードを遮らないように切符を挿入口に投入し、改札を出るとなるべく人が少ない方へじわりじわりと移動。
柱を背にして立ち止まり、「ゆりかもめ」の方向を掲示板で確認。

過去に5回ほど乗った記憶があるので、酷い迷い方はしないだろうと掲示板に従って足を進めてゆくと、ゆりかもめ新橋駅にたどり着いた。

時間は9時15分。ビックサイトの入場口はまだ混んでいるだろうと思い、朝食を摂ることにした。
僕にとって、東京のご飯と言えば「名大富士そば」。

スマホで検索をかけると、徒歩5分圏内に見つかる。辿りつくまでの道程にある店舗などを順番に覚え、最後にもう一度進行方向を確かめて歩き出す。

一つ曲がり角を間違えたが、無事たどり着き店内へ。
出汁の香りと演歌が店内を包んでいて、3人のサラリーマンが蕎麦をすすっていた。

自販機で暖かい普通の蕎麦の券を買い、窓口へ。立ち食いできるスペースで出来上がりを待ち、手際よく作られた蕎麦を受け取る。
「このスピード感はもはや職人技」と感心しながら、立ち食いポジションに戻る。

前回同様、有吉さんとマツコさんが低迷期によく食べたという「名大富士そば」。そのエピソードを思い出しながら蕎麦をすする。

普通の蕎麦なのだけれど、地元で蕎麦を食べても、そば処で手の込んだ蕎麦を食べても、この旨さには及ばない。思わず顔も緩む。そして旨さをかみ締める。

これが、日常になってしまったら、旨く感じなくなくなる日が来るのだろうか。

店を出て、ゆりかもめ新橋駅へ向かう。階段を上がってゆく人の多さを観て、乗車する人はそれほど多くはないなと判断するも、ホームにたどり着くと人の多さにめまいを覚える。

「見込みが甘かったかな」と後悔しつつ、ゆりかもめに乗る。
ベイブリッジを通過するとき、頭の中で「rhythm&police」はもう鳴らなかった。(笑)

上京雑記。

2023-11-08 19:56:21 | 日記
車内アナウンスに耳を傾けると、今日付けで車内販売が終了することが告げられていた。
車内販売。新幹線に乗車するといつも気にするが、僕にとってあのワゴンは「贅沢品の宝庫」であるので、ほぼ見てみぬふりをしていた。しかし、本日で終了となると、これも何かの巡り合わせだろと、車内販売の人が迫ってくると、意を決し「すいません」と小さく声をかけ、ホットコーヒーを頼んだ。

車内販売に従事している売り子さんは、手際よくホットコーヒーを準備し、たたんでいたテーブルまでおろしてくれ、さらに微笑みをたたえコーヒーを渡してくれた。
「すいません。ありがとう」支払いを終えそう告げると、小さくお辞儀をして、また重そうなワゴンを押し進めていった。
暖かいコーヒーを口に含む。一杯350円であるが、コクと香りが心を満たしてゆく。
そして、ふと思う。売り子さんも、車掌さんも、いつの間にか随分年下の人達になったんだなぁと。
と同時に、口に含んだコーヒーが少し苦くなった。

普段、関わる事のない人に関わると、自分の置かれた状況がクリアに客観視できる時がある。
新聞やニュースを観ていて、大企業の社長さんや議員さんや官僚の方が、ほぼ同世代になっていることに驚くことがある。
若い頃は、オジサンたちの政治的に正しくない振る舞いを見るたびに、「おじさんはこれだから」と冷ややかな目で観ていたけれども、いつのまにかその世代の仲間入りをしてしまっていた。
そう思う以前に、あの頃の僕が今の僕を見て「つまらないおじさんになってしまったな」と、思うかもしれない。

「いやいや、そうではないな」と首を軽く振り、暖かなコーヒーを飲んでリラックスを図る。

新幹線は、何のトラブルもなく定刻通りに品川駅に到着。その精度の高さは恐るべしである。

品川駅では再開発が進んでいて、駅から工事の様子が見えた。
スクラップ&ビルドを繰り返しながら、しかも膨張している。過疎化が進む田舎に住んでいると、そのような事象は、人と貨幣が集中している都市だからこそ可能なのだろうという考えがより強く体感できる。

一度立ちどまり、天井の案内板を凝視しながら、山手線のホームに向かい新橋へ。

分刻みで行き来する電車は、利便性が高く、階段を下りながら電車を見送っても次がすぐに来るから気持ちにも余裕ができる。本当にすごいと思う。
そして、数分後にホームに入ってきたE235系は相変わらずサイバーな車両だった。
電光掲示広告は普通であるし、扉の形状は、車両の側面が床下から30センチ上あたりまで外に向かって緩やかに傾斜し、そこから真っ直ぐに屋根に向けて線が伸びている。最近東海地方でも走り始めた315系も同じ形状であるが、山手線の車両は本当にスペシャルである。

そんな事に関心を寄せながら車両の隅々まで観察していると、乗車している人々のマスク着用率の低さに気が付く。
時々、東京都内での感染者数が増加傾向にある(コロナやインフルエンザやその他もろもろのウィルス系の感染症なのですが、どうなってるんでしょうね)という報道がなされているので、用心深くいた方がいいのかなと思っていたけれど、この事象をみると、都内に住んでいる人の多くは「マスクは不要」と考えているのだろうと感じた。
報道と現実のこの乖離は何なのだろうかと考えていると、瞬く間に新橋に到着。
扉の向こうの横浜流星君(と思うのだが、違うかも・・・)と目が合う。あんなに大きく引き伸ばされているのに純粋にカッコいい。

「きたきた。東京だ」

上京雑記。

2023-11-07 21:19:34 | 日記
あらゆる障害をクリアし、当日は5時に起床。
まだ夜が明けないうちに、いそいそと支度をはじめ、6時発の電車に乗り込む。
東の空から、ゆっくりと登り始めた太陽が車内を照らす。
もっと、ワクワクするかと思ったが、なぜか気分がのらない。
僕にとって、東京への旅は冒険に近いはずなのに、なぜなんだろうと、しばらくぼんやりと考えるが、「せっかく旅に出られるのに、こんな気分じゃ駄目だな」と思い、ウォークマンを起動させて、新旧問わず入れ込んである、あらゆるジャンルのアルバムの中から、寺尾聡の「リフレクションズ」をチョイスする。

様々なアーティストの曲を聴いてきたけれど、これほど長く聴き続けているのは、このアルバムだけである。
今で言うと「シティーポップ」というジャンルに属する音楽になると思うが、当時大ヒットしたアルバム。
今の僕がこのアルバムを表現すると「身勝手な男が自分のロマンを勝手に語る物語の曲」になってしまうのであるが、あの時代はそれがカッコよかった。現代ならフェミニストの方々から批判されそうであるが、それを分かったうえでも、あの世界観は嫌いになれない。

「生きてゆく道連れは夜明けの旅さ。青い夜明けの旅さ。」

そのフレーズが掛かるころ列車は終着駅へ。いつの間にか空席は無くなっていて、乗客は停車と共に一斉に動き出した。

新幹線の切符はこれから購入するのだから、落ち着いて行こうと、意図的に人の波から外れて、のんびりと新幹線乗り場の改札へ向かう。
慣れないチケット販売機前で、もたもたしていると、僕の後ろに列が出来つつあった。
「これはいけない」と思い、あせあせしながらタッチパネルを操作しチケットを購入。
出発まで20分ほど余裕を持たせた出発時刻の新幹線を選んだのであるが、プラットホームの電光掲示板を確認すると、新横浜の前に2駅停車する列車を選んでいた。

「もう失敗したっ」と、後悔したが、すぐに「どうせ、急がないんだし丁度いいか」と開き直る。

午前7時15分。時間が時間だけにスーツ姿のビジネスマンが多い。
これからお仕事の方々の邪魔になってはいけないとあまり人のいないスペースに移動し列車の到着を待つ。
天気は快晴。少し冷たい空気。プラットホームから見下ろす街は緩やかに動き出している。アナウンスと同時に列の最後尾に並び、無事に乗車。席番を何度も確認しながら、予約席に座る。少し硬めのシートは乗り心地最高である。

動き出した列車は、新幹線特有の音を奏でながら、ぐんぐん加速してゆく。名古屋市内のビル群はあっという間に車窓から消え、次第に田園風景へと変わっていった。

上京雑記。

2023-11-06 20:03:58 | 日記
3週間ほど前。何気なく聞いていたカーラジオで「かんだ古本祭り」が月末から開催されることを知った。

「ああ、もうそんな季節かぁ」。

ため息交じりにつぶやく。
数年前に一度だけ行った「かんだ古本祭り」。いろんな古書に出会えて楽しかったことを思い出した。
あれから、また訪れたいと思いながらも、「行けない言い訳」を自身に課して、この季節をやり過ごしてきた。
今回も、行ってみたいなぁと思う気持ちが心に浮かび上がったが、「東京まで遠いし、お金もかかる。身体は老化していて、重くなった腰を上げる気力もないしな」というアンチテーゼを展開し、考える事を止めてしまった。

さらに一週間ほど過ぎたある日、何気なく聞いていたカーラジオで、「ジャパンモビリティーショウ」なるものが東京ビックサイトで開催されることを知った。それが「東京モーターショウ」が名称と趣向を変えたものだと聞いて、

「そういえば、東京モーターショウって、一度行ってみたかったんだよなぁ」と、気持ちが漏れた。

テレビなどの媒体から、モーターショウが行われているのは、毎年認知していた。
しかし、開催期間中に休みが合わなかったり、早々にあきらめてしまっていたり、忘れていたりしていたから、どうしてもという気持ちでもなかったのだろうと思う。
そして今回も「東京まで遠いし、お金もかかる。身体は老化していて、重くなった腰を上げる気力もない」と、自分自身に一通りのネガティブキャンペーンを張ったのだけれど、ふと思いつく。

「月末休みだったなぁ。月明けに希望休を出せば、行けるかもなぁ」

この想いどうすべきか。

そう思ったその日、「行くべきではない」と囁いているもう一人の自分を説き伏せつつ、実行するには具体的にどう動けばよいのか布団に入るまで考え、

「いや、もう、この機会を逃せば、おそらく行く事は出来ないだろう」

と、いう結論に至った。その気持ちには間違いがない。

そう確信した僕は、次の朝、モビリティーショウのチケットについてググり、仕事の帰りに近くのセブンで購入。

手続きには多少てこずったが、支払いを終えると「コンビニでチケットが買える時代がやってくるなんて・・・・・・」と、感動。

これで、行かなければならない動機が出来た。次に、明日一番に職場で希望休を提出し、出発の二日前に、妻に「東京に行ってきます」と、伝え了解を得るまでの算段をする。

そして、「これで問題はないはず」と、及び腰になりそうな自分に言い聞かせた。

戦争や紛争は絶えないけれど。

2023-10-29 17:42:08 | 日記
戦争や紛争の事を考えていると気がめいってくる。しかし、争いが生じてしまう原因が気になってしまう。

インターネットで安易に情報収集できるようになってはいるけれど、これという情報には迫れない。
ならばと、AIに尋ねてみるが、AIも僕がネットで調べられる範囲の答えしか教えてくれない。

テレビに出演しているコメンテーターの話もしっくりこないし、週刊誌や月刊誌の記事にもしっくりせず、現在進行形の事象であるにも関わらす、分からないという事実だけが残った。

そこから導き出された答えは、戦争や紛争という事象は、多くの要因が蔦のように複雑に絡まっていて、空気を入れ続けた風船が突然破裂するように始まってしまうものであるということなのだろうと思った。

その事から、戦争や紛争の歴史を語るときには、戦争や紛争は、「知らない者どうしが、一つの場所に集められ、それぞれの異なった動機で、殺し合わなければならない行為である」という事を前提にして語らなければ、戦争や紛争の本質を見失うのではないかと思った。

そして、貨幣が重要になった現代では、権力者と大富豪といった個人の意向によって、国やテロ組織が動かされ、戦争が始まることもあるようである。

それは、「陰謀論」と呼ばれるものであるけれど、戦争や紛争が起こる事によって、富や権力を得る者が存在する以上、その要因を全否定することはできないだろう。

戦争や紛争によって甚大な被害を受けるのは、戦争や紛争に関係のない市井の人々である事も忘れてはならないと思うし、生きづらさを感じる世であったとしても、その事実があったことで平和が享受できているなら、過去の戦争や紛争に対しても、再び争いになるような言論は慎んだ方がいいのではと思う。


kingdom・of・heaven

2023-10-17 21:06:05 | 日記
テレビでも新聞でもラジオでもイスラエルでの紛争が大きく取り上げられている。
しかし、分からない事が多すぎる。

この紛争の原因が「起源」にあるならば、「誰が誰に対して先に剣を振り下ろしたのか」が分からなければならない。しかし、誰も分からないはずであるし確かめようもない。
昔の書物に記されていたことがすべて正しいと証明する事も難しい。

かの地で去年や今年に誕生した子供たちに、「君は罪びとなのだ。だから生かしておけない」と誰が言えるだろう。
神は偉大である。しかしその偉大な紙が、生まれてきたばかりの幼子に、「おまえは敵対する者を殺さなければならない」というだろうか。

小さな争いが続いていたとしても、比較的平和な日々が送れていたならば、問題は大きな紛争になった原因を作った者にある。

武器を持たない人を無差別に殺してゆくことが、悪である。

歴史的な背景のせいにしていては、人はいつまでたっても憎しみ合うばかりである。

紛争を起こして巨万の富と権力を得ようとしている者に、踊らされてはならない。

紛争を報道し続けるならメディアは情報をしっかりと精査し、正しい情報を届けなければならないし、日本の「戦争を知らない政治家」は、日本の未来の為に、争いに巻き込まれないように外交に力を入れなければならないと思う。

カオスな未来がやってくるかもしれない。

2023-10-12 21:35:57 | 日記
介護施設での事件の記事を読む。
気にしないでおこう、もう関係ない事だしと思おうとするが、事あるたびに考えてしまう。

一つの事件は入所者を薬で殺害した事件、もう一つは廊下で仕切りせずにおむつ交換を行い、しかも交換頻度も守らずというものである。

両施設の責任者は事態を重く受け止めているというコメントを出しているが、その短いコメントを読んで、「知ってたでしょ。事前に回避できたでしょ。」と思った。

介護事業というのは、利用者が施設を利用してくれれば、それだけで一定のお金が入ってくる構造である。
しかも社会的弱者である体の不自由な高齢者が相手であり、介護は日常生活動作が理解できていれば、出来る仕事であるので、他の職種では働く事が出来ない人にとっても辛うじて働ける業種となっている。
さらに、安い賃金にたいしても文句も言わず労働してくれる人材は、利益を優先する施設にとってはたいへん都合のいい存在である。

しかし、そういう人達は、なぜかプライドが高い人が多い。

そのような人たちを上手く使うには、決してプライドを傷つけてはならない。
その為には、仕事の精度を求めるのではなく、やりたいようにやらせておくことが必要となる。

なぜ、そうしなければならないかというと、他の施設に「都合のいい職員」を取られてしまうからである。
だから、知っていても、知らないふりをしておき、「施設長はうるさく言わないからいい人」と思わせておくことが、結果的に施設に利益をもたらす事になる。
それが、職業倫理から外れていたとしても・・・・・・。

この事件は、おそらく内部告発によって明るみに出たものだと推測する。
きっと、良心が痛み「なんとかしなければ」と思った人がいたのだろう。

現在の介護施設は、ほんのわずかな「良心を持つ人たち」によって、支えられているのではないかと思うが、世代交代に失敗した事業は衰退してゆくしかなく、社会から邪魔者扱いされた老人は、良心を失った施設で、最下層の人として、みじめな思いをしながら息絶えなければならなくなるのかもしれない。

この状況を劇的に変化するためには、制度を作った政治家の力が必要となるが、勝ち組である政治家は、金を生まない最下層の人々の待遇など、選挙が終われば忘れてしまうと思う。

宗教という思想は。

2023-10-10 16:46:20 | 日記
昨日の朝刊の記事の中に、「こんなことができてしまうのか」と驚いた事件があった。

それは、東京のお寺の住職さんが、墓石業者に殺害されたという事件。

住職さんはお寺に隣接する霊園を在来仏教を信仰している人の為に考えていたのであるが、墓石業者さんは、宗派不問としたかったようである。
現時点での理由は、業者さんが霊園の販売や管理を行っていて、在来仏教に絞ってしまうと、「売りたいものが売れにくい」からと考えられている。

たしかに現在の霊園は、購入者の多種多様な要望に応えるために宗派不問とするところも増えてきているし、どちらかといえば、無宗教者の多い日本では一つの宗教宗派に拘る理由も希薄になりつつある。

その事象は、宗教がなかった頃への原点回帰といえるかもしれない。

しかし、なぜ、僧侶の命を奪ってまでも、利益を得たかったのであろうか。
ニュースや記事から推測すると、初動から不完全であり、逮捕されるのは時間の問題であった。加害者が犯行がばれないようにと考え抜いた末の犯行だったとしても、逮捕された時のリスクを考えることができたら、損失の方が大きすぎると気づけたはずである。

しかし、思考は目先の利益にフォーカスされていた。
思考の構造は、回転寿司でいたずらをする子供たちと同じであった。

犯行は積もり積もった苛立ちの末と思われるが、根本的な動機は、目先のお金の方が仏教という思想よりも尊く、命よりも重いと思ったからなのだと思うが、それは、動画がバズることが何よりも大切と考えるのと同じであると思う。
そして、それが、社会経験を積んできた初老の域に入っている人の考え方であるのが驚きであった。

お金を集めるために宗教を利用する事は、いつの時代にでも見られる事象であるけれども、「神や仏などいない」「お金が神であり私が仏である」というような浅ましい野心がないと、人を殺めたり、騙したりできないのではないかと思う。

私達は、宗教は「お金や権力」とは別次元の思想である事を忘れてしまっているように思う。

古の時代から三十三間堂が存在する意味。

2023-10-05 20:53:35 | 日記
三十三間堂に行く。

なぜか時々、千一体の観音像を観たくなる時がやってくるのである。
そして、拝観するたびに興味深くなってくるのである。

じっくり拝観していると外国のツーリストや国内の修学旅行生が慌ただしく目の前を通り過ぎていった。
若かりし頃の僕も、こんな感じだったなと思いながら千手観音像を観ていたのであるが、突然、ある考えに至った。

「後白河上皇はなにに恐怖を抱いていたのであろうか」と。

これだけ大掛かりで荘厳な寺院を、時の権力者の力を借りてまで建立するのであるから、民の為というよりも、何かを「封じ込めなければならなかった」と考えた方が、莫大なお金と時間をかけたことにも納得がいくのである。

建立した理由は、史実によると、頭痛に悩まされていた後白河上皇が熊野権現のお告げによるものとされているが、時代は戦乱の時代である。
戦乱の時代とは、沢山の人が権力争いの末に、罪なきものでさえ殺してゆくのであるから、命を落とす人々の念もすさまじいものであったことは想像に難しくない。

念は恨みとなり呪いとなるものである。

もし、後白河上皇が鈍感な人物であったなら、見えないものは見えないはずであり、感じないものは、感じないものだったであろう。
だとすれば、頭痛の原因は、「何かに憑りつかれていた」と考えてもおかしくはないであろう。

また、境内の「法然塔」も鎮魂の為に安置したのではないだろうか。

「法然塔」の説明には、1204年に土御門天皇が後白河法皇の13回忌を行う際に法然は声楽に秀でた僧侶を集めて法要を修したとある。
しかし、その3年後、法然と門弟たちは、「承元の法難」と呼ばれる罪に問われ、門弟4人が死罪、法然と門弟7人が流罪とされているのである。

その頃、土御門天皇はまだ幼く、実権は後鳥羽上皇が握っていたと考えられており、後鳥羽上皇が判断したであろうと考えられているが、その罪が冤罪である疑いがあるのである。

もし冤罪であって、後鳥羽上皇も後に、その事実を何らかの形で知りえたとしたならば、あえて蓮華王院の境内に法然塔を安置したことも納得がいくのである。

当時は、見えないものへの畏怖は弔うことでしか拭えない時代だった。

つまり、三十三間堂とは、権力争いで殺されてしまった人々の怨念をあらゆる神仏の力によって封印し、今もなお供養し続けている、そういう場所なのではないかと思った。

「梨」と「母」

2023-10-02 09:40:24 | 日記
「梨をむいたったで食べな」と母が言う。
なぜか、去年のこの時期から、そういう行動をとるようになった。

80代とはいえ軽トラックを運転し、隣町のクリニックに行ったり、畑に出て野菜を育てたりする元気はある。
しかし、近頃はテレビの前でウトウトする時間が伸びてきている。

いつの間にか背も曲がり、身長も縮んだ。僕の部屋が散らかっていれば、散らかっているのが気に入らないのか勝手に掃除をしていたほど、マメに掃除していた人だが、自分が散らかしていることにも気が付かなくなってきている。

それでいて、僕の助言にはいっさい聞く耳を持たず、母と子の関係を固持していたいという気持ちでいるから、もやもやしてしまう。
でも、僕が子供の頃、素直に言うことを聞かなかったのだから「おたがい様かな」と心を納得をさせている。

介護職員という仕事を選んだ理由の一つに、「母が衰えた時に狼狽えないようにしておく」という目的があったのだが、我が母の事になると、「母とのこれまでの出来事」という記憶が、「受容と共感」よりも先に出てくるので、つい口調がきつくなる時がある。

真から「おたがい様」という境地に至るには、「我」がありすぎて「他」を「利」することができない。
きっと、この先ももやもやしながら、見守ってゆくしかないのであろうと思っている。

「梨をむいたったで食べな」

梨が好きなわけでもないのに、それを知っているはずなのに、なぜ梨を進めるのだろうかと考えていると、ふと思い出した。

15年前に他界した「父」が好きだったことを。

その事は口に出さず、「ありがとう。いただきます」といって、きれいに剥かれた梨を、今日も頬張る。