硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2023-11-20 21:41:39 | 日記
スマホを立ち上げて目的地を確認。再びその道程にある目印となる建物を順番に覚えておき、とりあえずスタートしてみる。
時間は午後8時半。ハロウィーン当日である。日常が非日常と思える新宿なのに、コスプレをした人が普通に歩道を歩いているので、気持ちが付いてゆかない。
なるべくキョロキョロしない様に意識して、少し速足で歩く。それでも、前を歩いている人を追い越す事が無い。むしろ抜いてゆく人がいる。街の人は歩くのが実に速い。

よく分からないまま大通りを左に曲がり、さくら通りという名の道を目指す。外国人と仕事帰りの人と、これから遊びに行こうとしている若者たちが、ぞろぞろと歩いていて信号待ちをしている間でも怖さを覚える。壁を背にして信号が変わるのを待つ。
ネオンがとても明るく、人工的な明るさに成れていないのか目がチカチカしてくる。

信号が変わり、わらわらと歩きだす人に紛れるように渡り、さくら通りに入ったが、道幅が狭くなっているにも拘らず人が密集していた。
見た目でヤバいと分かる人がゴロゴロいる。緊張がさらに高まる。ここはおたおたするよりも、道の真ん中を歩いた方がよいと判断。ただし、すれ違う人と肩がぶつからないように細心の注意を払いながら歩かねばならない。(この状態が常時では感染症予防対策は困難を極めたであろうことは想像に難しくない)

そして、エロな気持ちを増幅させるお嬢さんや、その手の看板が次から次へと目に入る。誘惑に負けてはいけないと、ずんずん歩いてゆく。
どこまでも続く歓楽街と人の波。この区画内の一夜で動くお金は、いったいどれくらいになるのだろうかと考えるも、まったく想像がつかない。
しかし、だからこそ、人生をかけて勝負出ようとする人が集まる街なのだろうと思った。

気が付くと、T字路になっていてしばし立ち止まる。
スマホを取り出そうかと思ったが、それも危険だと思い、勘にまかせて左に曲がり、また右に曲がった。

人通りは少なくなったが、目につくのは大きなホストクラブの看板。歩けど歩けど次々にイケメンの姿を観る事が出来る。看板を背負う男たちは確かにカッコいい人たちである。

しかし、すべてのお店が稼働し続けているという実情から考えると、それだけ女性が、彼らにお金を落としているという事であり、手段は様々であるが、それだけ女性がお金を稼げているという事の表れでもある。
男性だけが歓楽街で遊ぶという感覚はもう古い考え方なのだなと思う。
しかし、これだけ人が沢山いる地域でも、サービスに頼らなければ心の隙間を埋められないという事実が、このような物理的な形となって現れているのかもしれないと思った。
そして、男性が水商売の女性にハマり身を崩してゆく事象は、いまや女性にも見られるようになったのかなと思った。

上京雑記。

2023-11-19 19:12:01 | 日記
話の途中からであるにもかかわらず、あっという間にその世界観に引き込まれる。プロの技術はすごいなと改めて感じた。

どうやらこの日は特別な日であったようで、上方落語の重鎮、笑福亭円笑さんがゲスト出演されていて、あまり面白くないと円笑さん自身が言われていた「亀佐」を演じられた。
確かに、少し話の展開が難解であるけれど、あらかじめ「下げ」に向かう説明をしておいてくれたので、十分に楽しめた。
その後、休憩に入ると、座った場所が出入り口の前に敷かれた座布団席だったので、他のお客さんの出入りを妨げないようにすぐさま通路に出て、人の流れが落ち着くまで通路で過ごす。
開演が迫ってくると、通路で待つ僕に係の人が声をかけてくれて、空きが出た椅子の席へ案内してくれた。

その配慮に感謝である。

中入り後の、柳家三三さんと、市馬さんと、円笑さんの鼎談も大変興味深く、かつ面白く、戦後の落語史を垣間見る事が出来た。(三遊亭金馬さんが釣りの帰りに列車にはねられて、足を落とす大けがをした後、金馬さんのために、その当時の名人が集まって落語を披露して、それで得たお金を金馬さんを助けたという粋で鯔背なエピソードには感動しました。もちろん、いかにも昭和といえる武勇伝的なお話も楽しかったです。)

その後の、三三さんと市馬さんの「三軒長屋」も最後まで楽しませてもらえた。
不思議なのは、落語家さんは一人でしゃべっているのに、頭の中に浮かぶ情景は、役どころがきちんと分けられていて、落語家さんの身振り手振りを通じて映像化される。それが、笑いを増幅させ、つい笑い声もこぼれてしまう。
すると、後ろに座っていた女性も、くすくすと笑いだした。
その女性は僕と笑いどころが違うようで、「そこがハマりどころなのかぁ」と感心。
もちろん、会場も笑いが絶えなかった。
話が終わると噺家さんは深々とお辞儀し、緞帳がすーっと降りてくると、皆が拍手。とても素敵な時間であった。

やはり落語はいい。

末広亭を一歩出ると、やはりそこは繁華街だった。若者たちがぞろぞろ歩いている。建屋がクラシックなだけに外に出た時のギャップは大きいが、それが粋である。姿をしばし見つめ写真に収める。

あちこちを観察しながら来た道を戻り、再び大通りにでる。そして、今日一番緊張するミッションに取り掛かった。

そのミッションとは、「新宿駅から新大久保駅まで歩いてみる」である。

動機は、山や田んぼに囲まれた風景が僕の日常であるので、その対極である夜の新宿を歩いてみて色々感じ取ってみたいと思ったことと、YouTubeに上がっていた街歩き動画の事象は真実なのかを確かめたかったからである。

しかし、スマホがあるとはいえ土地勘がないだけに、とてもハードルの高いミッションになるなと感じていた。

上京雑記。

2023-11-18 20:51:49 | 日記
ヤバいと思いながらも、気後れしないように車内に乗り込む。
何かの拍子で痴漢に間違われてはいけないと、ぬるりと腕を上げて両手でつり革を握る。これで一安心である。
人が出入りする度、細かく移動し、つり革を握り直す。人の多さにはまだ慣れない。
そして、これほど公共交通機関が張り巡らされていれば、車の所有はコストがかかりすぎると考えるのも良くわかる。

周りの人の多くはスマホをのぞき込んで、それぞれの用途で使用している。
今や紙媒体を見る人の方が珍しくなってしまった。

列車は何事もなく、新宿三丁目に到着。扉が開くとホームに向けて人がどっと流れ出す。押し流されるようにおりながら、いったんホームの支柱へエスケープ。
再びスマホで場所を確認し、一番近い地上への出口を目指す。
ここでも、案内掲示板のありがたさに痛感する。あれがなければ、確実に迷子になってしまうだろう。

ガンガン歩き、地上に出ると、夜の帳が下りているにもかかわらず、ネオンの明かりで夜の暗さが気にならない。大きな交差点の標識には「明治通り」とある。
マルイやルイビトンが目に入る。人や車が引きりなしに往来している。そこから発せられているエネルギー量に圧倒される。
建物を背にして、信号待ちをする。その間に末広亭までのルートを確認。
徒歩5分圏内。ゴールはもうすぐだ。

携帯をポケットに入れて、記憶したルートを辿ってゆく。道は狭くなり、飲み屋街になり、こんなところに本当に寄席があるのかと不安になったが、ネオン街の中に、戦後の復興から令和まで、町の移り変わりを観てきたその存在はしっかりと主張されていた。

チケット販売窓口も昔ながらの手売りスタイルを貫いている。

「こうでなくっちゃ」

思わず気分が上がる。ふらりと行っても、落語が聞ける環境がある。
東京という街の最大の魅力は、芸術や文化に対してアクセスが容易であるという所だと思う。
小さなパンフをもらうと、丁寧に「こちらへどうぞ」と言って、空いている席へ案内される。
平日であるし、午後6時過ぎであるから、余裕で座れるだろうと思っていたけれど、ほぼ満席で、左側の通路を進み、一番前の畳の席の入り口敷いてある白い座布団の席へ。
お礼を言って、静かに座ると、噺家さんはすぐ目の前。話に熱がこもっているのが伝わってくる。

末広亭の場所だけを調べて来てみたけれど、これは運がよかったと思った。

上京雑記。

2023-11-17 18:35:58 | 日記
今回の冒険の主な目的は、前述した「古本市」と「モビリティーショウ」。そして、サブミッションの一つが「新宿末広亭」に落語を聴きにゆくこと。
前回東京に来た時は「浅草演芸ホール」に行ったので、今回は老舗の「末広亭」に行っておかなければと考えていた。池袋に宿をとった理由の一つがそれである。

外に出ると、薄暗くなってきていた。幾分気温も下がり道に連なるお店のネオンが目立ち始め、緊張度も高まる。
このような環境には慣れていないので、どうしても、楽しむというより危険回避することを優先してしまう。
信号待ちでも、なるべく後ろに柱や壁があるところに建つように意識する。
周りの人たちは、様々な表情を浮かべて、「ここに危険なんてあるものか」といった感じで時間の波を泳いでいる。
そう思うと「これはバーチャルなのではないか」と錯覚するような不思議な心持になった。

ルートは副都心線を使う事にした。池袋駅までもどり、東京メトロの案内板に従って、地下へ降りてゆく。
すると、小学校低学年くらいの子が一人で階段を上がってきた。
周りには大人がいない。どうやら学校の帰りのようである。
時間は午後六時前。都会のど真ん中である。駅からほど近いところに住まいがあるのかもしれないし、駅近くまでご両親が迎えに来ているのかもしれないが、「その年齢でそれが生活スタイルの基準」となってしまったら、大人になったとき、どんな価値観を得る事になってしまうのだろうか。
「田舎から都会へ」なら価値観の変化は容易に想像できるが「街の進化に従って価値も変わってゆく」行程は想像すらできない。

彼女の未来に幸多からんことをである。

何度も案内板を確認しながら、無事改札口にたどり着く、切符を買って、もたもたしないように気持ちを入れ直し、一路新宿へ。
電光掲示板を見て、これから乗る列車は横浜元町まで出られるのかと初めて知る。中華とjazzもいいかもなぁと頭をよぎるが、いやいや、今日は落語でしょうと流されそうになるもう一人の自分に言い聞かす。

アナウンスの後に圧縮された空気が暗闇から押し上げてくる。ホームに入ってきた列車は満員であった。


上京雑記。

2023-11-16 21:47:02 | 日記
ネットで見つけた格安のカプセルホテルであるが、これもまた非日常であるので気持ちが上がる。フロントの女性に宿泊予定者である事を告げると、凄く丁寧に利用方法を教えてくれた。(住所録を見て田舎から出てきたんだろうと思ったのかもしれない。でも、それはそれで大変安心したのです)彼女の隣には、東南アジア系の男性がいて彼女の仕事を手伝っていた。彼もとても丁寧に、しかもきちんと日本語で接してくれたので大変安心した。

日本に出稼ぎに来ている東南アジアの方たちとは、僕の生活圏内でもよく見かけるようになったし、お話をする機会も得たこともあった。
その度に、純粋にお金を稼ぐなら、賃金の安い日本で言葉の壁を越えてまで働くことの魅力は何なのだろうかと思っていたけれど、きっと僕たちが気づかない魅力があるのだろうと思う。

今では当たり前になったロッカーの電子キー(カギの方がめずらしくなってしまったのですね)と、スマホの充電ケーブルをお借りして、本日のカプセルに潜り込む。

まずは、スマホの電源。そして、心身に蓄積したダメージの回復を図る。
側面に備え付けてある古いスイッチ類を無造作に触り、動作を確認。
テレビの電源をつけると、郵便局におじいちゃんが拳銃を持って立てこもっているというニュースが映し出された。「きっとお金が目的ではないんだろうな。なにか訳アリの行為なんだろうな」と思いながら、繰り返される画像をぼんやり見ていた。

スマホの充電が50%まで回復したら、次のミッションに移ろうと決め、事前に調べておいたルートを頭の中でもう一度吟味する。
5時台の山手線はおそらく満員だろう。そこはやはり避けたい。しかしこの時間帯でしかみれない情景や景色は観たい。そんなことを考えていたら、あっという間に時間は過ぎテレビ画面に表示されている時刻は5時45分になっていた。スマホの充電具合を確認すると、50%まで回復している。心身も少し回復した。

「よし、移動を開始しよう」

そう言い聞かせて、カプセルから這い出た。


上京雑記。

2023-11-15 21:23:50 | 日記
30分もかからずに池袋に到着する。時間は午後4時15分。とりあえず西口方面を目指す。
案内表示に注目しながら人の流れに乗るも、周りの人の歩行が一段と速く、どんどん抜かされてゆく。「これはいけない」思い、意識を歩行に向けてスピードを上げる。目の前に現れる必要な情報を読み取り、どんどん進んでゆくとルミネに出てその勢いで地上を目指す。
すると、前方から女子高生の集団が下りてきた。ちょうど下校時間と重なったようであるが・・・・・・。スカートの丈がみじかいっっ!
しかも、皆スラリと長い脚。おるべし、都心の女子高生。

時頼、盗撮で捕まる男性のニュースを観るが、彼女たちのスタイルが「かわいいの標準」ならば、視覚の刺激は強い。そして、頭の中でエロが膨れ上がって倫理観を制御できなくなった男性は、衝動的にスマホという便利なツールを駆使してしまうのではと思った。

その集団の横を足早に通過し、ようやく地上へ。

辺りはビル群である。空を見上げると青空がぼんやりと霞んできていて、日没が近いのが分かった。
都会の夕暮れ。田舎とは違って、何とも言えない気持ちになる。

再びスマホを取り出し、ナビを起動。宿泊先の情報を入力。道程にある店舗をぼんやりと覚えて、再度方向を確認。バッテリー残量が20%を切っていた。

「もう、長くは使えない。一気に決めなければ」と意気込み、公園を抜けて何本か横断歩道を渡ると、みずき通りという大通りに出た。

大きな交差点では沢山の人が信号待ちをしていて、その中に7人くらいの女子高生グループもいた。
「スナラジのバビさん」の口調のような語り方をする二人の女子高生が大きな声で楽しそうにしゃべっていて、その後ろの三人が彼女たちの会話に同意している様子。何の話をしているのだろうと聞き耳を立てるも、ネイティブなギャル語に早口で断片過ぎる会話ではなにもわからない。
信号が変わり一斉に歩き出す。僕もその集団の後に続くと、最後尾の女の子の背中が少し疲れているように感じて、思わず、「大変そうだよなぁ」と言葉を漏らすと、その女の子が突然顔だけこちらに振り向き目を合わせた。

「聞こえたのかっ」と内心焦ったが、彼女はすぐさま前を向いて、静かに歩んでいった。
進行方向が異なったので安心したが、マスク越しに、しかも小さくつぶやいた独り言であるのに、名前すら知らない少女は、確かに僕を見た。それも少し驚いていた様子であった。
もしかしたら、彼女が抱えている気持ちとシンクロしたのかもしれない。

そんな不思議な出来事もこの街では、よくある事なのかもしれないなと思いながら、交番が見えてきたところを曲がり繁華街の中を通りお宿に滑り込んだ。


上京雑記。

2023-11-14 17:44:42 | 日記
「もう宿泊施設へ向かおう」

事前に考えていた行程を思い出しながら、もう一度スマホで確認。

「今から出れば、4時半には池袋に到着できるな」

思い立ったが吉日、脇目も振らず会場を後にし、再びゆりかもめに乗り、まずは豊洲へ。
ラッキーな事に豊洲方面に行く人は少なく、切符も並ぶことなく購入できた。

座席に座り一息つく。
西に日が傾き、オレンジ色に霞む臨海副都心の風景を夢見心地で観ていると、次の駅で、ブロンドヘアのご婦人が前の席に座った。次の駅では、タレントさんのようなお嬢さんがその横に座り、次の駅では、若かりし頃のブラッドピットのような青年が隣に座った。

「なんて非日常なんだ! 」と、心の中で叫ぶ。

しかし、彼、彼女らにしてみれば、ごく普通の情景なのだろうと思うと不思議でならなかった。
終着駅豊洲に到着すると、乗客は一斉に下車してゆきその流れの最後尾を歩いてゆく。
案内表示板に注意を払いつつ、東京メトロ有楽町線を目指す。歩いてゆく人たちの後をついてゆくと、迷うことなく東京メトロ有楽町線、豊洲駅に到着できて安心した。

東京の地下鉄は、層をなしている駅であると、路線を間違える危険性がある。
それが、乗車してから気づくと精神的なダメージが大きいので、ホームにたどり着くまで慎重に動いて行かなければならない。
その為には、何度も表示されている路線を確認し、路線図をしっかり見て下車駅までの料金の切符を買い、行きたい方角へ延びる路線の改札を通過するまで気を抜いてはいけないのである。

地下へ降りてホームに行くと、すぐに列車が到着。ここでも当然、周りの人の動きをよく見ながら、調和するように身体を動かしてゆく。
列車に乗り、座席に座るとどっと疲れが出る。しばらく、目を閉じダメージの回復に努める。
このコースは乗り換えもなく地下鉄なので車窓から何も見えないことも幸いした。
車内は割と静かであるが、緊張は解かない。席に浅く座り両足に軽く体重を乗せておく。何か異常が発生した時に冷静に対処するためであるが、ただただ田舎者なのだなとも思った。


上京雑記。

2023-11-13 21:42:22 | 日記
放送開始時間より少し早めに到着したのであるが、山崎さんは会場にいる人達とコミュニケーションを図りながら場の空気を温めていた。
前の方に座ろうかと空席を探したが、ステージ前の席はすべて埋まっていたので、しかたなく後方の空いている椅子に腰を掛け、山崎さんからのレスポンスに応えることにした。

姿は遠すぎてよく見えなかったけれど、優しくて、凄く頭のいい話し方であることが伝わる。
音楽が掛かっている時やCM中にも、会場にいる人達に気を配ってくれていて、時頼、山崎さんの隣に座る放送作家の女性とコンタクトをとりつつ番組を展開している。
抑制を利かした語りも素敵で、言葉の紡ぎ方も繊細。素敵な女性である。
ラジオ放送を視覚で捉えることの不思議さを体験しつつ、体力の回復を図る。
このまま最後まで聴いていようかとも思ったが、余り長居をすると、後の計画に支障が出るので、山崎怜奈さんの今後の活躍を祈りつつ会場を去る事にした。

エスカレーターに乗りながら、そろそろお宿に向かおうかなと思っていたのであるが、まだ見てないエリアがあるのではと思い、掲示されている大きなマップの前で確認すると、西館の「フューチャートウキョウツアーエリア」が漏れていることに気づいた。

目的地が定まったので、早速移動を始めたが次第にどこを歩いているのか分からなくなり、なぜか外に出てしまった。大いに焦る。
再び、掲示されているビックサイトのマップを確認してまた入館。
迷いながらもようやくたどり着くと、エリアの外で誘導員が声をかけていてくれていた。
彼らの存在は本当に心強い。

少し狭くなった入り口を抜け、エリアに入ると、大画面の中で何かが動いている。
ゴジラだ。そういえば、もうすぐ公開だなと思いつつ暫く映像に見入る。途中からだったのでストーリーがよく分からず、どうしたものかと考えていると、再びスタッフさんが「まだ見られていない方は前の方に進んでご覧ください」と、声をかけてくれていたので、安心して画面の方へ前進し、最初から「ツアー」に参加する。

そこに展開されていた東京の未来は、史郎正宗さんが創作し、押井守さん、神谷健司さん、冲方丁さんが膨らませた世界の断片だったが、その世界に依存してしまった人類が初めて直面する問題は描かれていない。
電力で構成されてしまった世界では、既存の発電では追いつかないであろうし、再生エネルギーというのも、「プラネット・オブザ・ヒューマンズ」を見てしまった後では何とも言えない。
しかし、そこは、あえて、このように表現する事で、未来はユートピアになってゆくのかもと思った。

ツアーが終わり、また人の波に流されながら歩みを進めてゆくと、次のブースでは人類を補助する乗り物の多様性を目の当りにし、改めて「東京モーターショウ」という呼称は、すでに時代に合わなくなってしまったのだと思った。
それは、人類が、科学の進化についてゆけなくなってしまった事象の表れだと言えるのかもしれない。

会場を出て、通路に設置してある椅子に座り一息。小さな船が行き来する港をぼんやりと見ながら時間を見る。
午後三時半を回っている。日ごろの運動不足を体感し、色々刺激を受け、頭脳も十分疲労した。まだ、見られていないブースもあるかもしれないが、もう一度人混みに突き進んでゆくモチベーションもなくて、諦めがついてしまった。

上京雑記。

2023-11-12 21:29:55 | 日記
西館の「部品、機器器具エリア」に入る。

部品、機器器具というと一見地味だけれど、モビリティーショウで一番面白いと思ったのがこのエリア。

各部品メーカーがしのぎを削り、モビリティの一翼を担っている。この部品群がなければ、車は完成しないと言っても過言ではない。そして、各メーカーの部品に対する熱意も伝わってくる。
それだけに、車のデータ改ざんがニュースで取り上げられると、「どうしてそんなことをしてしまったのだろう」と思うし、車や現場の人達まで悪い印象を持たれてしまうのがとても残念に感じる。

部品を見ては色々考えて、見学を楽しんでいると燃料電池を作る企業に目が留まった。

燃料電池の専門知識がないので、何が凄いのかよく分からない。しかし、企業展開の構造がとても興味深かった。
その構造を表す映像画面は英文だったので細部までは理解できないけれど、どうやら、ヨーロッパやロシアなどで使用された燃料電池を中国の工場で回収し、解体し、それを南アフリカでリサイクルして、それをイギリスで組み直して、もう一度、大陸を走る車に搭載する。それを繰り返してゆくというような説明だったと思う。
アグレッシブでありクレバーであるが、もし、それが確立され独走されてしまったら、燃料電池市場は中国の勝ちになる様な気がする。
(ゲームチェンジャーは突然現れるので、絶対とは言い切れないけれども・・・・・・)

会場に来てから、どのエリアでも「カーボンニュートラル」「サスティナブル」という言葉を見聞きできて、企業全体で地球と人にやさしい世界を目指していることが伝わってきていた。
しかし、依然として物を作るには「資源」を調達せねばならないし、電力や水という生活にも関わるインフラを大量消費せねばならない事実は棚上げされている。
人が地球上で営み続けていくには、どういった環境が一番よいのか。それが、SDGsの根本的な問いであるのではないかと改めて思った。

じっくりと楽しませてもらった後に、もう一度南館へ向かう。
場内アナウンスでFMの公開放送が始まるという情報を耳にしたからであるが、心身にかかる負荷も少し軽減したいという、弱音が芽生えてきたからでもある。

再び歩きに歩き、案内係の人が誘導しているエスカレーターに乗ってうす暗い空間に降りてゆくと、設営された舞台空間に聞き覚えのある柔らかい声が穏やかに響いていた。

「山崎怜奈の誰かに話したかった事」である。


上京雑記。

2023-11-11 20:34:37 | 日記
各メーカーはコンセプトカーと新型車を展示していて、購入者の獲得にも力を注いでいるのが伝わってきていた。圧倒的にオジサンが多いけれど、ファミリーや女性同士で来場している人もいて、それぞれの嗜好にあった車を用意しているのが凄い。
そして実際に触れることも出来きるのだから、思わず買いたくなるよなぁと感じた。

主力は、圧倒的にSUV車で、今のトレンドを伝えてくれている。
また、コンパクトカーも充実していて、各層に合わせたラインナップを提供しているが、ここでも、社会的格差の広がりを感じずにはいられなかった。

しかし、時代は前進していっていることは確かだ。

一通り見終わると、次の展示室に移動。再び案内板を見ながら、「モータスポーツエリア」へ向かう。

僕は車やバイクにのめり込んだ時期があったので、モータースポーツは一番関心が高い・・・・・・。はずであった。
このエリアは次世代モビリティーエリアより空いていて見学しやすかったのであるが、それは、トレンドがここではないことを示していた。
逆に言えば好きな人だけが集まる少しコアなエリアであって、レーシングカーを間近で観られるのであるが、なぜか、ときめかない。

サーキット用の車やバイクがどんな構造をしているのかは気になるけれど、「運転してみたい」とは思わなくなっている自分に気づく。
歳を取ったせいなのか、成熟したというべきなのか・・・。複雑な気持ちになりながらも、気になったレーシングカーを写真に収めながら足早に回った。

そのエリアを出ると、12時を回っていた。なにか栄養を取らねばと思っていた時、目の前にコンビニが見えた。(施設内にコンビニがあるなんて!! 採算とれているんだろうなぁ)迷わず入店し栄養ゼリーをチャージ。すぐさま南館の「スーパーカー、カスタマイズカーエリア」に移動する。

とにかく歩く。歩かねば回り切れない広さだと痛感する。
これが猛暑と極寒のコミケなら、僕はきっと倒れてしまうだろう。

南館に入ると、スーパーカーやカスタムカーなどが展示されていたが、なぜかワクワクしない。歩みを緩めて横目で見ながら、ぐるぐる回る。
そして、改めて思う。低くて平べったくて使い勝手が悪く造形の美しい車は、魅力的であるが維持費が高く、選ばれた者のみにしか乗ることが許されないのだと。

YouTubeで時々、同じ時代を生きてきた人が経済的に成功者になって、少年の頃に夢見たスーパーカーを購入し、ドライブを楽しんでいるという動画を観てしまう事がある。
そのたぐいの動画を観るたびに、情熱を失わなかった者だけがたどり着ける場所なのだなと、思っていた。
そう思うのは、達観したというものではなく、あきらめてしまったという方が正しいと感じる感情である。しかし、妬みの感情は消え客観視できていることは幸いだなと感じる。

ゆるゆると観ていると、赤と黒のツートンカラーの車が目に入った。
それは、少ないお小遣いでミニカーも、プラモデルも三種類買った、あの頃、一番好きだった車両だった。

「ベルリネッタボクサー」思わず漏れる。(なぜか僕はこの車をこう呼んでいる)

未だに、カッコいいと思えるモデルの一つである。カラーは何色か存在しているけれど、赤黒が一番カッコいいのである。
一番好きな角度からの写真を撮り収めた時、小学生の頃、父に連れて行ってもらった外車ショーで写真を撮っていた時の気持ちを思い出した。

「いつかこの車に乗ろう」と思ってシャッターを切ったなと。


上京雑記。

2023-11-10 20:28:06 | 日記
ゴトゴトと走るゆりかもめの車窓から東京のウォータフロントと呼ばれるビル群が見えると、少し寒気がした。
これまでなら羨望の眼差しを向けていたのに、今回は違和感を覚えた。
それは、「このビル群を建設する為にどれほどの鉄鋼やセメントなどの資材を使って建設されたのだろうか。そして、それは自然界からどれだけ削り取られた資源によって形成されたものなのだろうか」という考えに至ったことと、その景観そのものが幻想なのではと錯覚をするくらい非日常を感じだからだろうと自己分析した。

ゆりかもめは東京ビッグサイトに到着し、一斉に下車した人の流れに飲み込まれながら改札を抜ける。出口ではスタッフの青年が、元気よく声を出して人の流れを誘導していて安心する。
そのままの流れに従いながら、のろのろ歩いてゆくと、いつかトランスフォームするのではないかと感じさせるような(たしか、ずいぶん昔のコミケのパンフにこんな感じのコメントがあった気がする)デザインのビッグサイトが見えた。

ようやくたどり着いたと思っていたら、他の移動手段で来場していた人達との合流地点で人の流れが完全に止まった。

「またまた読みが甘かった」と、思わず漏れるが、コミケの事を思えばまだ楽な方なのかもしれないと思い、空を見ながらゆっくりと群衆の流れに身を委ねる。

目の前に並ぶ大勢の人たち。それでも、確実に前進し、ビックサイトに飲み込まれてゆく。
圧倒的に男性が多い。中にはスーツ姿の人もいて、この大きな会場で商談を行う人もいるのだなと思った。

施設の中はどうなっているのだろう。僕の後にもどんどん人が並んできているのに、すべての人を収容できるスペースはあるのだろうか。と心配になってきたが、いざ入場してみると、その心配は不要であった。

荷物検査を終え、チケットを読み込んでもらったあと、どこへ行けばいいのだろうと考えながら進んでゆくと、人の流れは東館へ進んでいた。
ここは逆らわない方がいいと思い、そのまま東館に進む。しばらく歩き続ける。しかし、余りの広さに、

「コミケはもう無理だな」と頭をよぎる。

今以上の人の量の中で、たいした情熱もなくこれ以上のイベントに参加するのは、無理矢理荒れ野を歩かされているようなものになるから、途中で息絶えてしまうだろう。

方向を間違えないように前方の上部に表示されている案内板を頼りに移動する。
入場時にもらった案内書のQRコードを読み取り、アプリを開けばモビリティーショウのマップが見られるのであるが、それは少し抵抗を感じたので、流れのままに見学する事にした。

展示室に入ると、コンセプトカーの周りには人垣が出来ていて、容易には見られない。
人垣がほぐれてゆくのを見計らいながら、前に進む。
この動作で各メーカーのブースで展開しスマホのカメラに収める。

モーターショウと言えば、大きなカメラを持って写真を撮るイメージが残っているが、今は2023年である。通話機能がある手のひらサイズのコンピューターが付属しているカメラで写真を撮り、クラウドに保存しておくという、スーパーカー世代の少年である僕にとってはそれだけでも夢物語である。
カメラとフイルムを買い、写真を撮り、カメラ屋さんにフイルムを渡して2週間後の出来上がりを楽しみに待つという時代ははるか昔の話になってしまった。
しかも、その場で写真が確認でき、不出来なものはその場で削除できてしまう。強者はその場で加工までしてしまうのであるから驚きの進化である。


上京雑記。

2023-11-09 21:13:13 | 日記
下車と同時に東京の日常に溶け込む為、周りに意識を向け、流れに調和するようにスイッチを入れ替え移動する。
改札を出る際には、携帯や「Suica」等をかざして通ってゆく人々のスピードを遮らないように切符を挿入口に投入し、改札を出るとなるべく人が少ない方へじわりじわりと移動。
柱を背にして立ち止まり、「ゆりかもめ」の方向を掲示板で確認。

過去に5回ほど乗った記憶があるので、酷い迷い方はしないだろうと掲示板に従って足を進めてゆくと、ゆりかもめ新橋駅にたどり着いた。

時間は9時15分。ビックサイトの入場口はまだ混んでいるだろうと思い、朝食を摂ることにした。
僕にとって、東京のご飯と言えば「名大富士そば」。

スマホで検索をかけると、徒歩5分圏内に見つかる。辿りつくまでの道程にある店舗などを順番に覚え、最後にもう一度進行方向を確かめて歩き出す。

一つ曲がり角を間違えたが、無事たどり着き店内へ。
出汁の香りと演歌が店内を包んでいて、3人のサラリーマンが蕎麦をすすっていた。

自販機で暖かい普通の蕎麦の券を買い、窓口へ。立ち食いできるスペースで出来上がりを待ち、手際よく作られた蕎麦を受け取る。
「このスピード感はもはや職人技」と感心しながら、立ち食いポジションに戻る。

前回同様、有吉さんとマツコさんが低迷期によく食べたという「名大富士そば」。そのエピソードを思い出しながら蕎麦をすする。

普通の蕎麦なのだけれど、地元で蕎麦を食べても、そば処で手の込んだ蕎麦を食べても、この旨さには及ばない。思わず顔も緩む。そして旨さをかみ締める。

これが、日常になってしまったら、旨く感じなくなくなる日が来るのだろうか。

店を出て、ゆりかもめ新橋駅へ向かう。階段を上がってゆく人の多さを観て、乗車する人はそれほど多くはないなと判断するも、ホームにたどり着くと人の多さにめまいを覚える。

「見込みが甘かったかな」と後悔しつつ、ゆりかもめに乗る。
ベイブリッジを通過するとき、頭の中で「rhythm&police」はもう鳴らなかった。(笑)

上京雑記。

2023-11-08 19:56:21 | 日記
車内アナウンスに耳を傾けると、今日付けで車内販売が終了することが告げられていた。
車内販売。新幹線に乗車するといつも気にするが、僕にとってあのワゴンは「贅沢品の宝庫」であるので、ほぼ見てみぬふりをしていた。しかし、本日で終了となると、これも何かの巡り合わせだろと、車内販売の人が迫ってくると、意を決し「すいません」と小さく声をかけ、ホットコーヒーを頼んだ。

車内販売に従事している売り子さんは、手際よくホットコーヒーを準備し、たたんでいたテーブルまでおろしてくれ、さらに微笑みをたたえコーヒーを渡してくれた。
「すいません。ありがとう」支払いを終えそう告げると、小さくお辞儀をして、また重そうなワゴンを押し進めていった。
暖かいコーヒーを口に含む。一杯350円であるが、コクと香りが心を満たしてゆく。
そして、ふと思う。売り子さんも、車掌さんも、いつの間にか随分年下の人達になったんだなぁと。
と同時に、口に含んだコーヒーが少し苦くなった。

普段、関わる事のない人に関わると、自分の置かれた状況がクリアに客観視できる時がある。
新聞やニュースを観ていて、大企業の社長さんや議員さんや官僚の方が、ほぼ同世代になっていることに驚くことがある。
若い頃は、オジサンたちの政治的に正しくない振る舞いを見るたびに、「おじさんはこれだから」と冷ややかな目で観ていたけれども、いつのまにかその世代の仲間入りをしてしまっていた。
そう思う以前に、あの頃の僕が今の僕を見て「つまらないおじさんになってしまったな」と、思うかもしれない。

「いやいや、そうではないな」と首を軽く振り、暖かなコーヒーを飲んでリラックスを図る。

新幹線は、何のトラブルもなく定刻通りに品川駅に到着。その精度の高さは恐るべしである。

品川駅では再開発が進んでいて、駅から工事の様子が見えた。
スクラップ&ビルドを繰り返しながら、しかも膨張している。過疎化が進む田舎に住んでいると、そのような事象は、人と貨幣が集中している都市だからこそ可能なのだろうという考えがより強く体感できる。

一度立ちどまり、天井の案内板を凝視しながら、山手線のホームに向かい新橋へ。

分刻みで行き来する電車は、利便性が高く、階段を下りながら電車を見送っても次がすぐに来るから気持ちにも余裕ができる。本当にすごいと思う。
そして、数分後にホームに入ってきたE235系は相変わらずサイバーな車両だった。
電光掲示広告は普通であるし、扉の形状は、車両の側面が床下から30センチ上あたりまで外に向かって緩やかに傾斜し、そこから真っ直ぐに屋根に向けて線が伸びている。最近東海地方でも走り始めた315系も同じ形状であるが、山手線の車両は本当にスペシャルである。

そんな事に関心を寄せながら車両の隅々まで観察していると、乗車している人々のマスク着用率の低さに気が付く。
時々、東京都内での感染者数が増加傾向にある(コロナやインフルエンザやその他もろもろのウィルス系の感染症なのですが、どうなってるんでしょうね)という報道がなされているので、用心深くいた方がいいのかなと思っていたけれど、この事象をみると、都内に住んでいる人の多くは「マスクは不要」と考えているのだろうと感じた。
報道と現実のこの乖離は何なのだろうかと考えていると、瞬く間に新橋に到着。
扉の向こうの横浜流星君(と思うのだが、違うかも・・・)と目が合う。あんなに大きく引き伸ばされているのに純粋にカッコいい。

「きたきた。東京だ」

上京雑記。

2023-11-07 21:19:34 | 日記
あらゆる障害をクリアし、当日は5時に起床。
まだ夜が明けないうちに、いそいそと支度をはじめ、6時発の電車に乗り込む。
東の空から、ゆっくりと登り始めた太陽が車内を照らす。
もっと、ワクワクするかと思ったが、なぜか気分がのらない。
僕にとって、東京への旅は冒険に近いはずなのに、なぜなんだろうと、しばらくぼんやりと考えるが、「せっかく旅に出られるのに、こんな気分じゃ駄目だな」と思い、ウォークマンを起動させて、新旧問わず入れ込んである、あらゆるジャンルのアルバムの中から、寺尾聡の「リフレクションズ」をチョイスする。

様々なアーティストの曲を聴いてきたけれど、これほど長く聴き続けているのは、このアルバムだけである。
今で言うと「シティーポップ」というジャンルに属する音楽になると思うが、当時大ヒットしたアルバム。
今の僕がこのアルバムを表現すると「身勝手な男が自分のロマンを勝手に語る物語の曲」になってしまうのであるが、あの時代はそれがカッコよかった。現代ならフェミニストの方々から批判されそうであるが、それを分かったうえでも、あの世界観は嫌いになれない。

「生きてゆく道連れは夜明けの旅さ。青い夜明けの旅さ。」

そのフレーズが掛かるころ列車は終着駅へ。いつの間にか空席は無くなっていて、乗客は停車と共に一斉に動き出した。

新幹線の切符はこれから購入するのだから、落ち着いて行こうと、意図的に人の波から外れて、のんびりと新幹線乗り場の改札へ向かう。
慣れないチケット販売機前で、もたもたしていると、僕の後ろに列が出来つつあった。
「これはいけない」と思い、あせあせしながらタッチパネルを操作しチケットを購入。
出発まで20分ほど余裕を持たせた出発時刻の新幹線を選んだのであるが、プラットホームの電光掲示板を確認すると、新横浜の前に2駅停車する列車を選んでいた。

「もう失敗したっ」と、後悔したが、すぐに「どうせ、急がないんだし丁度いいか」と開き直る。

午前7時15分。時間が時間だけにスーツ姿のビジネスマンが多い。
これからお仕事の方々の邪魔になってはいけないとあまり人のいないスペースに移動し列車の到着を待つ。
天気は快晴。少し冷たい空気。プラットホームから見下ろす街は緩やかに動き出している。アナウンスと同時に列の最後尾に並び、無事に乗車。席番を何度も確認しながら、予約席に座る。少し硬めのシートは乗り心地最高である。

動き出した列車は、新幹線特有の音を奏でながら、ぐんぐん加速してゆく。名古屋市内のビル群はあっという間に車窓から消え、次第に田園風景へと変わっていった。

上京雑記。

2023-11-06 20:03:58 | 日記
3週間ほど前。何気なく聞いていたカーラジオで「かんだ古本祭り」が月末から開催されることを知った。

「ああ、もうそんな季節かぁ」。

ため息交じりにつぶやく。
数年前に一度だけ行った「かんだ古本祭り」。いろんな古書に出会えて楽しかったことを思い出した。
あれから、また訪れたいと思いながらも、「行けない言い訳」を自身に課して、この季節をやり過ごしてきた。
今回も、行ってみたいなぁと思う気持ちが心に浮かび上がったが、「東京まで遠いし、お金もかかる。身体は老化していて、重くなった腰を上げる気力もないしな」というアンチテーゼを展開し、考える事を止めてしまった。

さらに一週間ほど過ぎたある日、何気なく聞いていたカーラジオで、「ジャパンモビリティーショウ」なるものが東京ビックサイトで開催されることを知った。それが「東京モーターショウ」が名称と趣向を変えたものだと聞いて、

「そういえば、東京モーターショウって、一度行ってみたかったんだよなぁ」と、気持ちが漏れた。

テレビなどの媒体から、モーターショウが行われているのは、毎年認知していた。
しかし、開催期間中に休みが合わなかったり、早々にあきらめてしまっていたり、忘れていたりしていたから、どうしてもという気持ちでもなかったのだろうと思う。
そして今回も「東京まで遠いし、お金もかかる。身体は老化していて、重くなった腰を上げる気力もない」と、自分自身に一通りのネガティブキャンペーンを張ったのだけれど、ふと思いつく。

「月末休みだったなぁ。月明けに希望休を出せば、行けるかもなぁ」

この想いどうすべきか。

そう思ったその日、「行くべきではない」と囁いているもう一人の自分を説き伏せつつ、実行するには具体的にどう動けばよいのか布団に入るまで考え、

「いや、もう、この機会を逃せば、おそらく行く事は出来ないだろう」

と、いう結論に至った。その気持ちには間違いがない。

そう確信した僕は、次の朝、モビリティーショウのチケットについてググり、仕事の帰りに近くのセブンで購入。

手続きには多少てこずったが、支払いを終えると「コンビニでチケットが買える時代がやってくるなんて・・・・・・」と、感動。

これで、行かなければならない動機が出来た。次に、明日一番に職場で希望休を提出し、出発の二日前に、妻に「東京に行ってきます」と、伝え了解を得るまでの算段をする。

そして、「これで問題はないはず」と、及び腰になりそうな自分に言い聞かせた。