硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

性的欲求を満たす・・・。

2015-12-28 22:55:44 | 日記
キングオブコメディの高橋さんが性的欲求を満たすために女子高生の制服を盗み続けたという事件を知り、少しばかり考えた。生物的欲求の性的欲求を満たそうとする行為は、生物としては自然であるが、私たちは法によって存在が担保されている身であるから、法に触れぬよう自律しなければならない。
また、宗教に頼るとしても、淫戒や姦淫はご法度であるから、バイアスが掛かるほど苦しみが増すように感じる。したがって性的欲求は宗教的な奇跡を体験する事等、精神の根幹を揺さぶる体験をしない事には放下できないのではないかと悶々としているとき、志賀直哉さんの「濁った頭」に出会った。

「濁った頭」の主人公の津田君はキリスト教に出会うまでは延び延びとした普通の子供でありましたが、キリスト教に出会い生活が変わってしまいます。彼にとってキリスト教の教えの大概のものは然りでありましたが、姦淫する事勿れという教えのみが彼を苦しめ、次第に精神を圧迫し、精神を弱らせてゆきました。そして、彼の家に手伝いに来ていた未亡人と深い関係に陥り、愛情もなしに続けている姦淫に宗教的煩悶を感じなくなり、ついには未亡人を殺し、自身も精神病院に入院してしまいます。

「濁った頭」は僕にとって衝撃的な物語であり、もしかしたら僕自身が津田君のようになっていたかもしれぬとぞっとしたが、志賀直哉さんは、性的な欲望は、荒ぶる牛のようであり、手なずけようと試みるとますます暴れてしまう困難極まりないものなのだと作品を通して伝えているように感じた。

そして、ふと思った。もし、親鸞聖人が説かれたように「煩悩具足の凡夫、無常火宅の世界は、万の事皆もって、そらごと、たわごと真実あることなき」ならば、救ってくれるのは法や自律ではなく、弥陀の本願のみ、他力なのかもしれぬと。