硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

釣り具と私。

2016-06-10 20:30:17 | 日記
車を運転していると、中学生の頃に行っていた、釣具屋さんが閉店していたのに気づいた。

山と田畑に囲まれた環境の僕が、川で釣りをするには、駄菓子屋さんで売っている、竹製の竿と、釣り糸と、浮きと、テグスと針と、神つぶし錘がセットになった、簡素な釣りセットを買うしかなかった。しかし、そのセットでは、根がかりした針を外そうと無理に引っ張ったら、あっけなく竿先が折れてしまい、とても残念な思いをした。

中学に入ると世界が幾分か広がり、他の小学校区から来ていた人たちから、釣具屋さんの存在を教えてもらった。
僕は早速、貯金箱に貯めたお金を握りしめ、長い距離を自転車で移動し、その釣具屋に行くと、そこには、駄菓子屋さんとは違う、夢のような世界が広がっていた。
それからというもの、少しづつお金をためては、その釣具屋さんに行き、少しずつ釣り具をそろえていった。
その頃の僕は、釣り具を増やしてゆくことが一番の幸せだったように思うが、今思うと、なぜ、そこまで、釣りが好きだったのかよく分からない。
しばらくすると、釣り好きの同級生と出会い、もっと良い釣具屋さんがあると聞き、ノートに地図を描いてもらい、自転車で1時間かけて、その釣具屋さんに行くと、今までの釣具屋さんとは違い、雑誌で観たリールや竿、ルアーなどが、たくさん陳列されていて、まさにドリームであった。
もちろん、そんな釣り具は買えるはずはなかったが、安い道具も沢山置いてあったので、少ないおこずかいでも、それなりの道具を買うことが出来て、とても幸せだった。

それから数十年後。職場の友人から、釣りに誘われ、再び釣りブームがやってきた。最初は、中学の頃にそろえた、道具を使っていたのであるが、最新の道具を使う友人を見て、
ああ、道具もずいぶん進化してるんだなと痛感し、その友人に、どこの釣具屋さんで道具を買っているのかを聞いた。
無論、移動手段は車で、その釣具屋さんを目指した。
車で30分、そのショップ(専門店だからね)に行くと、またそこには夢のような世界が広がっていた。給料をもらう立場にはなっていたが、数万もするリールやロッド(竿とは言わないんだね)には手が出ない。しかし、エントリーモデルでも質が良く、充分嬉しいのであった。そして、ある時、チェーン展開をする釣具屋さんが近くの街にやってきて、もう一つのチェーン展開する釣具屋さんと、競争が始まった。その状況は、消費者としては、選択枠が広がり、とてもありがたかったが、2年ほどで、再び、僕の中からブームが去り(ある日突然、キャッチ&リリースに違和感を覚えたのです)釣りから遠のいてしまった。

そして、現在。一番初めに通った釣具屋さんが閉店していたのに気づいた。
風の噂では、釣具屋さんのおじさんが高齢で亡くなったからだという。
そして、次に通った釣具屋さんも、大型釣具店のあおりを受けたのか、ある日、通りから店の中を見ると、道具も以前ほど陳列されておらず、寂れてしまっているようであった。

その時、僕の中で、祗園精舎の鐘の声が諸行無常に響いていた。