大隈良典さんがノーベル医学生理学賞を受賞され、日本の科学者ってすごいんだなととても感激しました。また、朝刊の記事を読むと、大隈さんの人柄なども紹介されており、尊敬すべき先人とはこうあるべきなんだなとも思いました。
さらに僕が感激したのは、このノーベル医学生理学賞のオートファジーの仕組みが、常日頃から感じていた疑問に対する一つの答えなのではないかと感じたからなのです。
それは、100歳を超える高齢者の幾人かの人達が、ほとんど食事を摂らずともその生命を維持しているケースがありながらも、口から栄養が取れなくなったら、点滴などの医療行為を施されないとあっさりと生命の終焉を迎えてしまう人もいて、その差はなんであろうかとずっと疑問だったのです。
僕は科学者ではないから、その事象を抽象的に「神が与えたもうたもの」であるから、個々に差があるのだと解釈していましたが、オートファジーなる細胞の動きの話を聞いて、疑問を解消するものではないかと思ったのです。
100歳を超えてもなお生命を維持している人たちは、余り病気にならないという共通点もあります。それは、つまり、オートファジーという細胞の個数が多く活発である人が幾人か存在していると仮定すると、口から栄養があまり取れなくなっても、その幾人かの人は自助力により生命は維持されるのだという結論に結びつくような気がするのです。
もし、オートファジーの研究がさらに進み、細胞を人の手によって生成することが出来たなら、100歳を超えても無病でいる(この場合、重力に逆らって2足歩行する為の筋力や関節へのダメージは含まれないと思う)ことが、出来るようになるかもしれません。
しかし、それが幸福であるかどうかはまた別問題になるのですが・・・。
研究をさらに進めて戴く為には、大隈先生のような研究者に投資し続ける体制が必要不可欠になりますが、早急な結果を迫られる社会体質では、その萌芽さえも腐らせてしまい、ノーベル賞を受賞したことすら忘れ去られてしまうようなことになってしまったら、日本国も滅んでしまうのではないかと思うのです。
ノーベル賞受賞は素晴らしい事なのに、なぜだか、ネガティブ思考に陥ってしまうぅ。苦しい。
さらに僕が感激したのは、このノーベル医学生理学賞のオートファジーの仕組みが、常日頃から感じていた疑問に対する一つの答えなのではないかと感じたからなのです。
それは、100歳を超える高齢者の幾人かの人達が、ほとんど食事を摂らずともその生命を維持しているケースがありながらも、口から栄養が取れなくなったら、点滴などの医療行為を施されないとあっさりと生命の終焉を迎えてしまう人もいて、その差はなんであろうかとずっと疑問だったのです。
僕は科学者ではないから、その事象を抽象的に「神が与えたもうたもの」であるから、個々に差があるのだと解釈していましたが、オートファジーなる細胞の動きの話を聞いて、疑問を解消するものではないかと思ったのです。
100歳を超えてもなお生命を維持している人たちは、余り病気にならないという共通点もあります。それは、つまり、オートファジーという細胞の個数が多く活発である人が幾人か存在していると仮定すると、口から栄養があまり取れなくなっても、その幾人かの人は自助力により生命は維持されるのだという結論に結びつくような気がするのです。
もし、オートファジーの研究がさらに進み、細胞を人の手によって生成することが出来たなら、100歳を超えても無病でいる(この場合、重力に逆らって2足歩行する為の筋力や関節へのダメージは含まれないと思う)ことが、出来るようになるかもしれません。
しかし、それが幸福であるかどうかはまた別問題になるのですが・・・。
研究をさらに進めて戴く為には、大隈先生のような研究者に投資し続ける体制が必要不可欠になりますが、早急な結果を迫られる社会体質では、その萌芽さえも腐らせてしまい、ノーベル賞を受賞したことすら忘れ去られてしまうようなことになってしまったら、日本国も滅んでしまうのではないかと思うのです。
ノーベル賞受賞は素晴らしい事なのに、なぜだか、ネガティブ思考に陥ってしまうぅ。苦しい。