ようこそ、卯月です。
カウンセリングに行ってきました。
「一番じゃなくていいとブログに書いたけど、やっぱり先生の一番じゃなくちゃやだ」と駄々をこねました。
「この時間は一番ですよ」と先生は言いました。
「そんなの当たり前じゃん」と私はむくれました。
「競争ですか?」と先生は静かに言いました。
わかってる。
たとえば誰かが私に「私をあなたの一番にしてくれなくちゃやだ」と言ったとしたら、私は困ると思う。
大事な人はたくさんいる。一人だけを、選べない。
その人がたとえ大事な人の一人だったとしても、「あなたが一番だよ」と私は言えない。
その時その時で、一番優先順位が高くなることもあるだろうけれど、いつも同じ人が一番ではありえない。
わかってる。
競争するつもりはないんだ。
ちょっと拗ねてみたかった。
私が拠りどころとしていいかどうか、確かめたかったのかもしれない。
いつもそこにいてくれる?って確認したかったのだ。
いつもそこにいてくれる、そうわかっているのに、不安になる。
姉は愛らしい顔立ちの子どもだった。
勉強もスポーツも、なんでもよくできた。父の自慢の娘だった。
何をやっても、私はかなわなかった。
学校でどんなに優等生でも、百点をとって教師にほめられても、家に帰ればただの「何のとりえもない子」だった。
姉に比べて容姿もぱっとしない、気むずかしくてこだわりが強く、要領の悪い私は、、見ていてイライラするような、ダメな子だった。
父の咳払いを聞くたびに、私は「おまえは目障りなんだよ」と言われてるような気がして、びくびくオドオドしていた。
母には罵声ばかりを浴びせられていた。
私はこの家に来るべきじゃなかった、そう思って育った。
いつもはみ出し者だった。
歓迎されない、要らない子ども。
それが私だ。
今でもそう思う。私は要らない人間だと。
私の存在は、周りの大人たちを不愉快にさせる。そう思って、必死に愛想よく振る舞うのが、今の私だ。
私を「やさしい、いい人」だと思ってる人は、多分私のそんな愛想笑いを誤解してる。私を買い被ってる。
私は何も成長していない。いまだに、一人では何もできない。
人をイライラさせる。期待されても、何一つ応えられない。
母がいつも言ってた、「あんたは『あかんたれ』だから」って、その「あかんたれ」が私だ。
何をやっても自信がない。できたという確信が持てない。
いつもびくびくしている。
こんな私が、人に好かれるはずがない。そう思っている。
何の価値もない人間だ。
だから不安になる。っていうか、いつも不安で孤独だ。
「卯月さんは人に心を開かない」って、前に言われたことある。
心なんて開いたら、去られた時に痛いじゃないか。
主治医の先生は、こんな私に「あなたにはいいところがいっぱいある」と言ってくださった。
私を見捨てないで支え続ける、と約束してくださった。
その約束さえ、私は信じきれないでいるのだ。
今も。
だから駄々をこねたくなる。困らせるとわかっていて、そうしかできない。
自分の不安をなだめるのに必死なんだ。
子どもの頃の思いは、消えない。
どうしてなんだろう。もう大人になって、ずっと長く生きているのに。
今でも小さな子どもの頃の、寂しい気持ちのままだ。
誰にも抱きしめてもらえなかった、要らない子どものまま。
今も寂しい。