今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

解放。

2011-08-09 23:49:49 | タラの日記

相変わらず、昼夜逆転生活をしています。

学校(私の)は、8月5日で一応前期が終わり、夏休みに入りました。
5日は「コラージュ」で、初めての私は「文章以外の表現は苦手だ~」と気が重かったのですが、なんとか無事に作品(?)を仕上げて発表。
クラスのみんなに「雑誌の巻頭カラーみたいにステキ!!」と褒めていただき、うれしかったです。
でもね、やっぱりなんかこう、自由に表現というより、「いかに見栄えよくやるか」というところに気がいってしまう、表面を器用にまとめる自分、というのをあらためて感じたというのもほんとのところ。

夏休みといっても、22日締切りのレポートもあるし、26日にはもう始まるし(休み、短っ!)、27・28日と2日にわたって講座はあるし、10月の山中湖の合宿(2泊3日)も申し込もうと思ってるし、なんか、焦る。

娘が、外に出始めた。
いや、去年から高校には行ってるけど、学校でお友達ができるでもなく、「バイトする」と言いつつ体調がついていかず、リアルな(ネットでない)かかわりというのがなかなかできなかった娘なのだが、ネットで知り合った仲間と、最近ちょくちょく遊びに出かけるようになったのだ。

これはもう、長かった引きこもりからすると「万々歳!」なのだけど、なぜか「よかったね! 今までの分もいっぱい遊んで楽しい経験をたくさんしてね!」ともろ手を挙げて応援できない自分に、じつは戸惑っている。

息子に友達ができた(それも始まりはネットだった)ときも不安はあったが、これほどではなかった。
この差は何だろう。
やっぱり女の子だから、何かの被害にあったら大変、という心配なのか。
それとも下の子だからいつまでも頼りなく思えて子ども扱い?
なるべく距離をとって、干渉せずにいたいのだけど、何しろ10年間、お友達と遊んだことがない子なのだ。小学4年生から、空白なのだ。人間関係を学ぶ機会がまったくなかったのだ。
口にも顔にも出さずにいるけど(それは娘もかな)、ものすごく怖い(娘もだろうな)。
メールのやりとりのちょっとしたニュアンスで相手を傷つけたと感じて寝込んでしまうような娘なので、ほんとは「何かあったらいつでも言いな! お母さんがついてるから大丈夫!」とかドーンと構えていなくちゃいけないとわかっているのだけど、私自身が不安でたまらない。
こっちが寝込みそうだ、正直。

じつは今になって、これまでの子どもたちとの接し方が本当によかったのかがわからなくなって、自信が崩壊している。

夫が亡くなったとき、子どもたちはすでに引きこもりだった。息子は教育センターの先生になついていて、その後もつながりは続いたけど、娘は教育センターにも行かなくなってたし、二人とももちろん私の実家の親にも夫側の親族にもなついていなかった。むしろ、かかわりあいたくない様子に見えた。

それまでも不登校に関して周りの理解が得られていないことは嫌というほど身にしみていたので、子育てについては一切、誰にも口出しをさせなかった。
とにかく無理解な外野から子どもを守る。子どもに寄り添う。子どもの心を大切にする。
私しかいないんだ。そう思ってきた。

それに、だってまず、食べさせて着せて、という(つまり「稼ぐ」という)ところからでしょう。
(遺族年金という助けはあったけど)稼いで家事やって子どもたちに目を配って、それを夢中でやってたら10年経っていた、という感じだった。

でも今、思っているんだ。
「私しかいない」という私の思い(込み)のせいで、子どもたちが外からの助けを得ることを阻んでいたのではないか。
外との壁を、私が高く厚くしてしまったのではないか。
ほかの人に心を許せない、そういうふうに育ててしまったのではないか。
私がほかの人を信頼して、その人に助けてもらう、そういうところを、子どもたちに見せてこなかったから、子どもたちはそれができない大人になってしまったのではないか。
私がかたくなだったばっかりに、閉鎖的な家庭になってしまったのではないか。

子どもの気持ちだって、ほんとに大事にしてきたのか、わからない。

食べさせて着せて、それだけじゃん。っていう気がしてくるんだ。
子どものために何かしてきたのか、ちゃんと向き合ってきたのか。

そんなことを考えたりしているせいか、最近、子どものことを、正直、重荷に感じてしまう。
「夏休みは毎日子どもが家にいるし、給食もないから大変」とかのんきな台詞を言ってみたかったなあ。
その「夏休み」が、私のところでは365日、何十年も続いてるのよ。
子どもは大切、宝物、ってずーっと思ってきたけど、この重い責任から一日でも解放されたい。疲れた。

子どもが心配、と言ったり、解放されたい、と言ったり支離滅裂になってしまいました。

日曜日がほしい。