今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

障害者手帳の更新。

2015-06-18 23:16:49 | タラの日記
やっとのことで、研修報告書を書いたので、明日、提出です。
本当は一昨日、出せる状態だったんだけど、施設長さんが出張で会えなかったのだ。


雨の音がしてる。
高校生の頃、雨の音が好きで、雨を見るのも好きで、ビニール傘をさして用もないのに外に出ていたのを、ふと思い出した。
下北沢のキャビンというお店で買った、アンディというキャラクターの絵のついたビニール傘だった。
ビニール傘は、雨のしずくが見えてよいのだ。
今は、しずくを見たいと思わなくなって、普通の布の傘だけどね。


今日は仕事が休み(今度の日曜に出勤なので、その代わり)だったので、障害者手帳の更新手続きに、市役所に行ってきた。
更新にあたって診断書をもらったのだけど、今回もやっぱりそれを開けて、丹念に読んでしまった。

ずっと昔、まだ診断書に封がしてあって開けられない状態で受け取ってた頃に、「自分の診断書を読む権利があるはず。コピーをください」と言って、強引に写しをもらって、初めて自分の病名を知った時は、くらくら眩暈がしたものだ。
精神の病についてはいろいろな本を読み漁っていた頃だったけど、パーソナリティー障害(当時は人格障害という呼び方だった)のところだけは、全部とばして読んでいたのだ。
これだけは絶対当てはまらないだろうと除外していたものが、まさか自分の診断書に書いてあるとはね。

その頃は、人格障害は治らない、という認識が一般的だったから、しばらくはずいぶん悩んだり泣いたりしていた。
今は、一般的にどうなのとか専門家はどう見るのとかはわからないけど、私はパーソナリティー障害は治ると思ってる。
で、私は勝手に、治ってると思ってる。
いや、治ってるとか治ってないとかに、あまりこだわってない、というのが正確なところかな。
まあいいじゃん、誰だって程度の差はあれ、いろいろあるじゃん、っていう感じ。

病気と健康(障害と健常というか)って、とくに精神の場合、明確な境界線があるわけじゃなく、連続してる中のどの辺にいるかっていう違いなんじゃないかと思ってるの。

って言いながら、それでもやっぱり診断書を気にして読むし、障害者手帳の更新には行くし。
おまけに今日は帰りのバスで、もう20年近く前に息子の同級生だった子のお母さんと会って、なんとなくお互い「◯◯君のママだよね」と思いつつ声をかけるのもなんだかなあ、みたいな感じで目を合わせないで乗っていたのだけど、同じ停留所で降りる時、私は障害者手帳を出すのを躊躇ったのだ(いつもは障害者割引でバスに乗ってるのです、ハイ)。

こんなふうに、もう病気じゃないと思ったり、こだわらないと言ったりする一方で、どこか自由になれていなかったり、後ろめたく思ったり、という状態。

たしかに今も生きづらさはある。
生きやすい人なんているんかい?とも思うけど、それにしても私は少し、生きづらさの度合いは大きい方かもな、と思う。
手帳の更新をしてるのは、多分、そこらへん守って(補って)ほしい、という思いからかなと思う。

うまくまとめられなくなっちゃった。
おまけに眠くなってきた。

障害は個性、という言い方を、私はあまり好きではないのだけど、まあそうとも言えるかなと、今の私は思っている、ということで。


明日も雨かな。
明日は仕事行きます。
では、おやすみなさい。

コメント
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