先週金曜日は、出勤するなり、9月開所の新しいユニットの方に行くよう言われた。
先輩とカーテンやらカーペットやらを見に行き、その後、1人でひたすら新ユニットの掃除。
今週火曜日は高田馬場の、東京都共同ホーム連絡会の定例会に、施設長の代わりに行って直帰。
今日は、世話人会議の後、やっぱり新ユニットに行って、またひたすら掃除(3室あるのだ)。
という具合で、このところグループホームのメンバーさんと全く接触がない。
これは施設長が意図してのことなのか、たまたまなのか。
今日は、先輩から「卯月さんて、相手の話した言葉をそのまま返したり、よくするけど、あれは何かあるの」と聞かれたから、「傾聴の基本のひとつなんですけど、形だけ繰り返すのではダメで、まだ勉強中です。ポイントとなる言葉をそのまま返すことで、相手に『わかってもらえてる』という思いが生まれる、というのがあるんです」と言ったら、「聞いてて不自然なので、何の意図があるのかと思って」と言われて凹んだ。
私の仕事は世話人で、カウンセリングをやってるわけではないし、そのつもりもないけど、相手の話をしっかり聞こうとすると、自然とそういうふうに返してしまう。
一種、癖のようになっている。
それが良くない場面もあるのだろうけど、「不自然」とは思っていなかった。
というか、凹んでいるのは、本当に不自然だから忠告してくれたのでなく、その先輩が、単に難癖つけたくて言ったように思えているから。
なんとなく、関係が良くないのだ。
別の場面で、その先輩に「卯月さん、もう学校は卒業したんですか」と聞かれたので、「まだなんです。カウンセリングスクールは仮修了で、まだ本当の卒業ではないし、大学もあと1年ぐらいかかりそうで、今、必死に勉強しています」と笑いながら答えたら、「そのために、この間、Mさん(利用者さんの一人)のファイルを見て、事例を書き出してたんですね」と険しい表情で言われてびっくりした。
仕事のため以外にファイルを開いたことはないし、事例を書き出した覚えもない。
そんなことするほど非常識な奴だと思われてるんだ、と呆気に取られた。
倫理とかプロ意識とか、何もない奴と見られてることが、少なからずショックで。
その後も、別の利用者さんのファイルを家に持ち帰ってるんじゃないかと勘ぐられ、それも身に覚えがないので、きっぱり「外部に持ち出すのはまずいので、していないです」と言ったけど。
なんだかなぁ。
本当に信用がないのか、それとも。
でも、この前のブログで愚痴った件に関しては、反省もした。
卒業したメンバーさんのこと。
やっぱりOG支援を勘定に入れるのではなく、卒業の時点でちゃんと手を放せるようにするべきだった。
しがみつかせるような支援をしてしまったのは私の責任だ。
卒業というのは独り立ちすること。
一人で、他の支援者(グループホームの世話人ではなく、ドクター、カウンセラーさん、ワーカーさん、訪看さん、ヘルパーさんなど)をうまく利用しながら暮らしていけるように、してあげないといけなかったんだと思う。
細く長く、彼女とはこの先も関わっていきたいと思っていた。一生でもいいと思っていた。けど、それだけの覚悟があるのかと改めて自分に問うと、今の、私を恋しがって泣いている彼女を思った時、細く長くという軌道に乗せるまで、めいっぱいもたれかかってくる彼女を背負っていけるか。
本当にできるのか。
無謀という言葉が浮かぶ。
そしてそれはもう、支援ではない。
彼女のために、本当にそれがいいのか、幸せにつながるのか。
私の方のわがままなのではないのか。
また長くなってしまった。
明日は休み。
試験勉強します。
おやすみなさい。
ここまでお付き合いくださったみなさま、ありがとうございます。
では。
先輩とカーテンやらカーペットやらを見に行き、その後、1人でひたすら新ユニットの掃除。
今週火曜日は高田馬場の、東京都共同ホーム連絡会の定例会に、施設長の代わりに行って直帰。
今日は、世話人会議の後、やっぱり新ユニットに行って、またひたすら掃除(3室あるのだ)。
という具合で、このところグループホームのメンバーさんと全く接触がない。
これは施設長が意図してのことなのか、たまたまなのか。
今日は、先輩から「卯月さんて、相手の話した言葉をそのまま返したり、よくするけど、あれは何かあるの」と聞かれたから、「傾聴の基本のひとつなんですけど、形だけ繰り返すのではダメで、まだ勉強中です。ポイントとなる言葉をそのまま返すことで、相手に『わかってもらえてる』という思いが生まれる、というのがあるんです」と言ったら、「聞いてて不自然なので、何の意図があるのかと思って」と言われて凹んだ。
私の仕事は世話人で、カウンセリングをやってるわけではないし、そのつもりもないけど、相手の話をしっかり聞こうとすると、自然とそういうふうに返してしまう。
一種、癖のようになっている。
それが良くない場面もあるのだろうけど、「不自然」とは思っていなかった。
というか、凹んでいるのは、本当に不自然だから忠告してくれたのでなく、その先輩が、単に難癖つけたくて言ったように思えているから。
なんとなく、関係が良くないのだ。
別の場面で、その先輩に「卯月さん、もう学校は卒業したんですか」と聞かれたので、「まだなんです。カウンセリングスクールは仮修了で、まだ本当の卒業ではないし、大学もあと1年ぐらいかかりそうで、今、必死に勉強しています」と笑いながら答えたら、「そのために、この間、Mさん(利用者さんの一人)のファイルを見て、事例を書き出してたんですね」と険しい表情で言われてびっくりした。
仕事のため以外にファイルを開いたことはないし、事例を書き出した覚えもない。
そんなことするほど非常識な奴だと思われてるんだ、と呆気に取られた。
倫理とかプロ意識とか、何もない奴と見られてることが、少なからずショックで。
その後も、別の利用者さんのファイルを家に持ち帰ってるんじゃないかと勘ぐられ、それも身に覚えがないので、きっぱり「外部に持ち出すのはまずいので、していないです」と言ったけど。
なんだかなぁ。
本当に信用がないのか、それとも。
でも、この前のブログで愚痴った件に関しては、反省もした。
卒業したメンバーさんのこと。
やっぱりOG支援を勘定に入れるのではなく、卒業の時点でちゃんと手を放せるようにするべきだった。
しがみつかせるような支援をしてしまったのは私の責任だ。
卒業というのは独り立ちすること。
一人で、他の支援者(グループホームの世話人ではなく、ドクター、カウンセラーさん、ワーカーさん、訪看さん、ヘルパーさんなど)をうまく利用しながら暮らしていけるように、してあげないといけなかったんだと思う。
細く長く、彼女とはこの先も関わっていきたいと思っていた。一生でもいいと思っていた。けど、それだけの覚悟があるのかと改めて自分に問うと、今の、私を恋しがって泣いている彼女を思った時、細く長くという軌道に乗せるまで、めいっぱいもたれかかってくる彼女を背負っていけるか。
本当にできるのか。
無謀という言葉が浮かぶ。
そしてそれはもう、支援ではない。
彼女のために、本当にそれがいいのか、幸せにつながるのか。
私の方のわがままなのではないのか。
また長くなってしまった。
明日は休み。
試験勉強します。
おやすみなさい。
ここまでお付き合いくださったみなさま、ありがとうございます。
では。