こんにちは。
だるくてついゴロゴロと寝転がってそのまま時間が経ってしまう、という日々を送っております。
こんなにだるいなんて、コロナだろうか?と、ちらっと思ったりもしたのだけど、やっぱり持病の鬱が悪化しているのだと思います。
5月は本当に、これでもかというぐらい、1年中で1番、具合悪くなるので、まぁ例年それなりの覚悟をして、無理しないようにしているのだけど。
私は今、仕事は新型コロナの影響で自宅待機の状態なので家にいます。
なんだか怠けているようで、後ろめたい気持ちがあります。
こういう時こそ、普段読めない本を読んだり、何か有意義と呼べる過ごし方をすればいいのに、鬱だと文字を読むのが辛いです。
仕事が再開すれば、緊張感が背中を押してくれて、ちゃんと動けるようになるのだろうと期待しているのだけど。
昨日は朝、私にとっては非常識と言っていい時刻に母の電話で叩き起こされ、何があったのかと思えば、「アンタ今度来る時、紅茶買ってきてね! ティーバックの、黄色いのね!」とだけ言って切れたという迷惑な話。
今度いつ行くとも言ってないし、そもそも今度があると勝手に思っている母に、朝からムカムカする。
人にものを頼む時のものの言い方とか、態度とか、親しき中にもなんとかってあるだろう。
一応、私の中では、「今度」はあったし、今も、いつ行ってあげられるかなと手帳を見たりしているのだ。
でも、それを当たり前と思ってもらいたくはない。
こっちにだって都合や体調や、いろいろあるのだ。
私は母のようにバリバリ元気ではない。その辺りが、わかってもらえていない。
まぁ、私が心を患ったのは中学生の頃で、それからずっと、波がありつつもこの病いと付き合っているのだけど、30代になって初めて精神科の門を叩いた私に、母は「自分の根性の無さを医者にどうにかしてもらおうなんて、どういう了見だ」といったような罵声を散々浴びせてくれたのだった。
そして、まぁ私の子どもの不登校や引きこもりやいろいろあって暫く音信を絶った時期もあり、その時は母からは解放されて楽だと思ったけど、夫があの世に旅立ってしまい、それからまた実家と私の関係は復活してしまった。
ところが、不思議なことに、音信を絶ってる間に私の病いは完治したことにされていて、夫に先立たれた傷も実際よりずっと早く癒えたことにされていて、今や私はピンピンしている、だからこき使っても全然大丈夫な存在、と、母の中ではそうなっているようで。
いやいや、あなたの方がずっと元気です、お母さん。
でも、施設のゴハンが不味いという彼女のところに、今度の週末頃にまた差し入れに行くかなぁ。
私はどうしてこんなに母に甘いのだろう。
すみません、今日は楽しい話じゃなくて。
毒親という言葉は好きではないけれど、彼女を毒親と呼ばずして何と?と、幼い頃からの仕打ちや支配を思い出しては、こんなにも長くその影響を引きずるものなのかと茫然としてしまうのよ。