今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

母のこと。私のこと。

2020-06-13 19:04:00 | タラの日記
いつものクリニックに今日も行ってきた。
最近、母の話ばかりしている。主に、愚痴なんだけど。

コロナ以降、施設からの外出ができなくなった母が、あれやこれやと私にわがままを言い、まるで私を自分の所有物のように顎で使うことに、私は心底、嫌気が差している。

息子は、体力の無い、鬱持ちの私が母に振り回されてくたびれ果てているのを見て、母(息子にとっての祖母)に対してとても腹を立てている。
同時に、何故、私が母の言いなりになってしまうのか、不思議がってもいる。

私自身、こんなに憎たらしく思っているのに、どうして母に不便や寂しさ、悲しさを感じさせないように動いてしまうのか、わからないでいた。

今日、私がそう言うと、私の主治医の先生はこう言った。
「幼い頃にもらえなかった愛情を、今になってもらいたいと思って必死になっているのかなと思います」

え。
私、あの人の愛情なんぞ欲しくないんですが。

そう言う私に、先生は言った。
「いえ、あの人そのものの愛情というより、母なるものの愛情が欲しいんだと思います。たくさん可愛がられた人なら、突き放せるものなんです。それが無かったから、意識のもっと深いところで今も可愛がられようと動いてしまう。そう見えます。私はあなたに、自分を最優先して、自分を大事にしましょうと、ずっと言い続けてきたんですけどね、今のあなたはとても自分を大事にしているとは思えない」

可愛がられようとしているーー。
それは、図星、のような気がした。
すとんと、胸に落ちる感じ。

私は、母との関係を切りたくても切れないのは、今や歳をとって私無しには何もできない母は弱者であり、立場的に強いのは私の方だからだと信じてきた。
つまり、母を切っても痛くも痒くもない私が、私無しに生活がままならない母を切るのは、弱い者虐めだと思っていたのだ。
弱い者虐めはしたくない。

だが、息子は私に言う。
今なお、強いのは母の方であり、弱者は私であると。
親というものは、どれほど歳をとろうが病気になろうが、子どもにとって絶対的存在であり、「私が助けてあげないと母がかわいそうだから」と言っている、この私こそが、かわいそうなのだと。
無理を重ねて母の為に奔走している私を、息子は心配で見ていられないと。

私は、正直、今でも母がこわい。
幼い頃からの虐待は私の健康な感覚を歪めてしまった。
小さな頃、いつも怯えて暮らしていた傷は、癒えていない。
今になっても、もう大人になっているのに、それでもこわい。

それは、多分、母に捨てられたくない幼い私が、まだ私の中にすんでいるからなのだろう。
こわいのは、怒声や折檻そのものでもあったけれど、一番は、愛されないことだったはずだ。

可愛がられたい。嫌われたくない。
あんな人、なのに。

「クズだね、早く死なないかな」と言いながら(面と向かって本人には言わないが)、私はやっぱり母というものを今もなお求めているのか。