ようこそ、卯月です。
カウンセリングから帰ってきて、早めの夕ご飯を食べて、返してもらってきた性犯罪被害者の手記を読み始めたら、せっかく食べた「さぼてん」のエビグラタンコロッケをおおかた吐いてしまいました。
先生はちゃんと1週間で本を読み終えてくださっていて、「事件の様子が詳しく書かれているので、いろいろなことを思い出してつらくなるかもしれないけど、今でも昔の事件が頭を離れることがないのなら、今よりひどい状態になることはないと思います」と言ってくださったのでしたが。
自信がなくなってしまったので、この手記は、年が明けて次のカウンセリングが近くなってから読むことにしようと思います。
実は、今日はカウンセリングにカッターを持っていって、自分の首を切りつけようとしたところで取り上げられてしまいました。
これまで何本、カッターを持って行っては取り上げられたことか、もう思い出せないぐらいです。
性懲りもない私。
私がカッターを持ち歩いていて、あちこちで自傷をしていたころ、夫が家じゅうのカッターを全部隠してしまったことがあって(宅配便のダンボールを開けたりするのにとても不便だったのでしたが)、私は気が変になりそうでした。
どうか、周りに自傷癖のある人がいても、その人から刃物を全部取り上げたりしないでください。
理由はうまく説明できないのですが、まさに今、身体を傷つけようとしている、というときはとめてあげてほしいとは思いますが、ただカッターを持っているときは、「ああ、カッターを持っているんだな、不安で怖くて寂しくてたまらないんだな」と思って、怪我をするかもしれない不安(それは見ているほうの不安です)を抑えて、ただじっと見守っていてあげてほしいのです。
私は夫がカッターを全部隠してしまったときに、とても寂しかった。気が狂いそうでした。
死んでしまいそうなときは勿論とめなくてはなりませんが、刃物を持っていたい気持ちをまずわかってほしいのです。
勝手な言い分でしょうか。
私はでも今日は、ちょっと危ない感じでした。自分でも、ああ、死神に半分引きずられてる、やばいな、と思っていました。
死のうと思って来た、先生のところなら怖くないかもしれないと思った、と私は言いました。先生は、「場所は問題じゃない、死ぬこと自体が怖い、という感覚をよみがえらせてください。死ぬことは怖い、死ぬより怖いことなんてないんですよ」と私に言いました。
生きていたら、先生は私をずうっと助けてくれるの?と私は泣きながら聞きました。「ずうっとずうっと、支えてくれるの?」
はい、と先生は言いました。
死神がすうっと抜けていった瞬間でした。
私は弱虫です。
自傷癖も抜けません。
でも、やっぱり生きていこう。
年賀状に「今年もよろしく」って書いちゃったし。
こんな、ひやひやものの私ですが、これからもどうぞお付き合いください。
ああ、吐いたのでお腹が空いちゃったよ。
何か食べよう。
じゃあまた明日。
ごきげんよう。
今は落ち着いているけれど、やっぱり刃物がないと不安です。
私の場合は、カミソリなのだけど、台所においてあります。
あるだけで、安心なのは、どうしてなのでしょうね。
いつでも切れると思うと、不安がちょっとなくなります。
傷跡が残るのが嫌で、衝動が止まっていますが、
またいつ、傷つけたくなるか分からないから・・・
お守りみたいな感じです。
タラさんは、今日はつらかったんだね。
先生の前だと、安心して、自分をさらけ出せるんだね。
そういう人がいること、嬉しく思います。
でも、死んだら、悲しいよ。
その瞬間は、何もかも忘れて、死の虜になってしまうんだよね・・・
私も、何度も自殺未遂をしているので、分かります。
娘や息子、そして犬たち・・・大切な存在があるのに、
そのことを忘れて、死にたい気持ちだけでいっぱいになってしまう。
結果、いつも母に迷惑をかけて・・・
今年も、救急車のお世話になってしまったし。
来年こそ、希死念慮が湧かないようになりたいな。
お互いに、自分を甘やかして、自分に優しくなりたいね。
自分を許せるようになったら、ちょっと前に進める気がします。
私もまだ、道の途中です。
タラさん、辛い思いをしましたね。
タラさんが無傷でよかった。。。
私もカウンセラーの先生の前でナイフを取り出し
手首を切ろうとしたことがあります。
その時、もちろん先生はナイフを取り上げ、
「ここはそういうことをする場ではありません。
ここはお話を聴かせていただく場所です。」
と言ったのを覚えています。
私はただ、先生の前なら生きていることが
確認出来るだろう。
その確認をするために身体に刃物を当てよう。
先生の前なら怖くないだろう。
そう思ってナイフを出したのでした。
「もうそんなことをするならカウンセリングを
中止しますよ」と言われてしまいました。
とても、寂しかった。辛かった。
タラさんの先生は絶対的にタラさんを支えて
下さっているのですね。
そうしたら、タラさんも先生を裏切らないように
しなくては。
私の先生は、私だけを見てくれている訳じゃない。
私は大勢いるのクライアントの中の
ただの一人に過ぎない。
そのことを思い知らされた瞬間でもありました。
分かってた。分かってたけれど、寂しかった。
タラさん、先生と一緒なら生きてゆけるよね?
信頼のおける頼もしい先生と一緒なら大丈夫だよね?
みんながいるよ。
何の力にもなれないけれど私もいるからね。
刃物があると安心するの、同じです。
いつでも切れる、今でなくても大丈夫、もっともっと悪くなったら、そのときには切ればいい…って思って、待てるのです。
私も今は、子どもたちの手前、傷をつけるわけにいかずに我慢していることが多いですが、それでも自傷の誘惑は時に激しく私を引きずり込もうとします。
かのこさんの言うとおり、私も自分に少し優しくならなければ。先生に「いつも人のためにばかり動いて、自分のことは後回しにしてる」と言われたし。
自分のために動けるようになりたい。
また来てくださいね、待っています。
あたたかい言葉をありがとう。
みんながいてくれる。こうして書けば、読んで心配してくれる人がいる。
幸せなことです。
もう少し生きてみようと思います。
れおんさんのカウンセラーさんは、ちょっと距離がある感じですね。
寂しくなるの、わかります。
でも、私だって多分、先生にしてみたらたくさんいる患者の中の一人(しかもちょっと手がかかりすぎる厄介なやつ)だと思います。
いつも私だけを特別に見ていてほしいけど、それはかなう望みではないと私もわかっています。
寂しいです。
カウンセリングは自分を見つめる作業。
カウンセラーさんはその手伝いをしてくださるひと。
そう思っても、しがみつきたくなって、孤独感にさいなまれます。
「私がいる」と言ってくださってありがとう。れおんさんにも、私がいます。
また来てくださいね、待っています。