卯月です。
なんだかもやもやしています。
ちょっと思うところあって、息子の小さい頃のこととか思い出して。
息子は可愛かった。娘も可愛かった。
子どもたちが大好きで大事だった。
今もそう。
それなのに、嫌だったことしか思い出せない。
みんなが私のことを「過保護」「神経質」と言った。
私の子どもたちは周りから「甘えてる」「わがまま」と言われた。
学校に行けなくなったとき、「ほら見ろ」「やっぱりね」みたいな言葉しか、かけてくる人はいなかった。
夫は私に「子離れできない母親」と言った。
「家が居心地良すぎて学校に来られないのね」と担任の先生に言われた。
育児は思い通りにいくものではない。そんなことは知っている。
子どもが集団に入れずに怯えている。それで明らかに心身に不調をきたしている。そんなとき、「学校にも行けなくて将来どうするの」(まだ不登校児が100人に1人ぐらいの時代だったか)という嵐の中、「母親失格」と言われても、子どもの気持ちを汲んで味方になってやるしかない、私しかいないんだ、と腹をくくった。
子どもが笑顔で一緒に暮らせていれば幸せ。そう思って、ずっとやってきた。
だけど、私だって、本当は授業参観に行ってこっそり手を振ったり、運動会で走るわが子の姿をビデオカメラにおさめたり、「行ってきまーす」と元気にランドセルを背負っていく後姿を笑顔で見送ったり、したかったんだ。
みんなに交じって一緒に何かをやっている、そういう姿を、フツーのママたちに交じって、見守りたかったんだ。
そういう、小さな幸せ、普通、がほしかった。
みんなちがってみんないい?
そんなの、普通の範疇での「ちがい」じゃないか。
普通の圏内にいる人たちの言葉じゃないか。
私が悪かったんだ、きっと私に問題があって子どもたちは引きこもりになって、夫は自殺した。
そんな私に、子どもたちは優しい。ごめんね、ありがとう、と思ってきた。思っている。
でも。
私はそんなに悪いことをしたのか。
あんなに周り中の非難を浴びなくちゃならないような、「普通の幸せ」を引き換えにしなくちゃならないような、そんな罪が、私にはあるのか。
ひがんだり妬んだりするのは嫌だと、思ってきた。
今ある幸せを数えて生きるんだ、と決めていた。
でも、今、振り返ると、幸せなんてなかった。
つらいことばっかりで、孤独で、いつも泣きたかった。
いい思い出なんてひとつもない。
自分の子ども時代から、叱られて責められてばかりだった。
親になってからも、「しつけも満足にできないダメな母親」と責められてばかりいた。保育園の先生、幼稚園の先生、保健婦さん、お医者さん、親・親戚。夫。
息子の乳幼児歯科検診のとき、たまたま当たった先生が、いつも大泣きして「ごほうびシール」がもらえないでいた息子に、「Hくん(息子)はえらいね。ちゃあんと歯がきれいに磨けてる。ここで泣かないのがえらい子じゃない。歯をきれいにできてる子がえらいんだよ」と、シールをくれたことがあった。
3歳児健診のとき、「こういう敏感なお子さんを育てるのは難しいでしょう。叱りすぎてもいけないし。大変ね」と小さい声でねぎらってくれた保健婦さんがいた。
わかってもらえた、という記憶はそれだけ。
私の子どもたちは、繊細で心の優しいいい子たちだ。私は2人の子どもを、誇りに思っている。大切に思っている。
でも、私は普通のお母さんになりたかった。
みんながサラさんみたいに「普通なんてない」って思ってくれたら、社会は今より温かいものになると思う。
でも、世間にはやっぱり見えない線が引かれている、と感じる経験が、私には多分、多すぎたんだ。
ほんとはサラさんの言うとおり、普通の家とか普通の子どもとか、そんなものはないんだよね。
私も含め、みんなが、競ったり排除したりしない広い心を持てるようになれたらいいなあ。
そう思います。
また来てくださいね、待っています。
うれしいよ。私もミヤンちゃんに会えてよかったって思っているよ。
身体に気をつけてね。
また来てくださいね、待っています。
かのこさんは可愛い子どもたちと離れ離れだったんだもんね、つらくて寂しい思いだったでしょう。
不登校で白い目で見られたり、私もそうだった。
周りの理解と協力がほしかったよね。
運命と思って背負う覚悟を決めてるかのこさんはエライなあ。
私は、腹をくくったつもりだったけど、やっぱり整理しきれていない。
時間がかかると思う。
また来てくださいね、待っています。
どこからどこまでが 普通で どこからが異常なの?
普通なんてのは 個人のものさしの中にあるんだと思う。
だから 私は 普通は~よね~とか 聞くと 普通って何よ!
それは あなたの中で 普通だったり 普通じゃなかったりするだけじゃん!って 言いたくなる。
だから 百人いたら 百通りの考えがあって 百通りの生き方があるんだよ。
普通なんて言葉はないんだよ。
私は いつもそう思っているよ。
一番可愛い盛りを、一緒に過ごすことが出来なかった。
意までも、息子はババを母親代わりに慕っているし、
私なんて、眼中にないくらい。
淋しいし、悲しいし、一般的な母親したかったよ。
でもね、これが運命なんだと諦めたよ。
我が家の形は、これなんだって。
離婚したから、子供が不登校になったとか言われて悔しかったけど、
だから病気になったんだ、ほれ見たことかと言われたけど、
私は、離婚しなかったら、ずっと仮面鬱で苦しんだし、病気になれてよかったと思ってる。
何の慰めにもならないけど、ここにも「普通」じゃない母親がいるって思って。
タラさんは、タラさんとして、母親をやっているんだと思うよ。
お弁当、がんばってるじゃない。いい母親だよ。
子供達が慕ってくれてるじゃない、思いやってくれてるじゃない。
悪い母親に、子供達はついてこないよ。
タラさんは、充分いい母親なんだよ。