今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

思うこと。

2018-02-10 19:34:37 | タラの日記
おかげさまで熱は下がり、今週はシフトどおり仕事に行けました。
と言ったら、いつものクリニックの先生、「素晴らしい!」と。
それが当たり前なんですってば!
まあ、現実に休んでばっかりなんで、そうも言えないか。

息子が16〜17歳ぐらいの頃かな、こもってる彼の気晴らしに、月2回ぐらいカラオケに連れていってた。
ま、私の気晴らしでもあったかもしれない。

私は、スピッツをよく歌った。
今も好きだけど、その頃すごく気に入ってよく聴いていたし、スピッツの曲は私の声にキーがちょうどいいのだ。
いつも、「ロビンソン」「スカーレット」あたりを歌っていたのだけど、ある時、気分を変えて、「楓」を歌ってみた。

思ってもみないことが起きた。

「風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに」
という部分にさしかかった時、声が出なくなった。
歌声は嗚咽になり、私の目からは、涙が後から後から溢れて膝の上にこぼれた。

なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。
息子が肩を抱いてくれた。

それから何年も、つい最近まで、「楓」を聴かずにいた。

ひとと同じような幸せを信じていたのに、という言葉にあまりにシンクロして、痛くてたまらなかったのだと、今、思う。

虐待と呼んでいいような仕打ちを受けて育ち、学校でいじめられて、中学2年の時に精神疾患を発症した。
不調を抱えたまま大人になり、私を理解し愛してくれる人と結婚し、2人の子どもに恵まれた。
その子たちが、幼い頃からそろって不登校になる。
不登校に対する理解などこれっぽっちもない時代、過保護、甘やかし、と周りから責められ、母親失格の烙印を押される。
親もきょうだいも、誰も味方はいなかった。
息子が小学校2年生になった春、私の心は更に壊れていった。
初めて精神科に繋がり、自分が中学の時から病んでいたことを知る。

やがて私と子どもを支えきれなくなり、息子の15歳の誕生日に夫が自殺。
私の人生は、42歳で一度終わっている。


その後、大切な友達をやはり自殺で失った私は、恐る恐る、心理学の道に入っていった。
カウンセリングを学び、大学で心理学を学んだ。
カウンセリングスクールで、私はようやく、重い荷物を背負ってもがいているのは自分だけではない、と知った。
みんな、それぞれに、荷物を背負っているものなのだ。

誰にも取り替えてもらえない、この人生を生きるしかない、そう覚悟を決めた。
そして生きている。

ときどきは、それでも人生を放り投げたくなり、泣いたり喚いたりジタバタ足掻いたり、している。

いろんなことを、このところ、考えた。
好きで病気になったんじゃない、と、今日はクリニックで泣いた。

いろんな日がある。
いろんな人がいる。

うまく言えないんだけど、私はできるだけ、真面目に、誠実に、生きていきたい。
多分それは、ずっと変わらない。
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