小林酒造を後にし、お次は開拓記念館へ向かう
栗山町は1888年(明治21年)5月16日宮城県角田藩士泉麟太郎が「夕張開墾起業組合」を設立し、7戸24人が阿野呂川左岸(角田)に入植。
室蘭からも川を上って入植しにきたそう
開拓記念館内では当時の様子を再現した展示が行われています
角田では開田の他に炭鉱も開鉱したそうで当時はかなり賑わったのでしょうね
室蘭本線と夕張鉄道線が交叉する駅として賑わっていましたが、貨物取扱駅としては昭和50年に役目を終えたそう
なんかノスタルジー
こちらは同じ敷地内に内にある泉記念館
1898年(明治31年)に泉麟太郎(いずみりんたろう)が建築した木造平屋建ての住宅で、栗山町有形文化財に指定されています。
室内
こういう高い天井は同じ年代に建てられた小樽の青山別邸に通じるものがありますね。
あちらは山形から職人を連れてきて建てたと聞いているけど、こちらはどうなのかなぁ・・・
解説によるとあらちと比べると、泉麟太郎が元藩士だったせいか、こちらの方が武家屋敷風の造りになっているそう。
屋根をふく萱を手に入れるのが大変だったそうで、北津軽から取り寄せていたようです。
建てるのに掛かったお金が100円というのにも驚いたけど、昭和50年まで子孫の方が実際に住んでいたというのも凄い!!
明治31年の100円の価値ってどれくらいだったのだろう???
栗山町は1888年(明治21年)5月16日宮城県角田藩士泉麟太郎が「夕張開墾起業組合」を設立し、7戸24人が阿野呂川左岸(角田)に入植。
室蘭からも川を上って入植しにきたそう
開拓記念館内では当時の様子を再現した展示が行われています
角田では開田の他に炭鉱も開鉱したそうで当時はかなり賑わったのでしょうね
室蘭本線と夕張鉄道線が交叉する駅として賑わっていましたが、貨物取扱駅としては昭和50年に役目を終えたそう
なんかノスタルジー
こちらは同じ敷地内に内にある泉記念館
1898年(明治31年)に泉麟太郎(いずみりんたろう)が建築した木造平屋建ての住宅で、栗山町有形文化財に指定されています。
室内
こういう高い天井は同じ年代に建てられた小樽の青山別邸に通じるものがありますね。
あちらは山形から職人を連れてきて建てたと聞いているけど、こちらはどうなのかなぁ・・・
解説によるとあらちと比べると、泉麟太郎が元藩士だったせいか、こちらの方が武家屋敷風の造りになっているそう。
屋根をふく萱を手に入れるのが大変だったそうで、北津軽から取り寄せていたようです。
建てるのに掛かったお金が100円というのにも驚いたけど、昭和50年まで子孫の方が実際に住んでいたというのも凄い!!
明治31年の100円の価値ってどれくらいだったのだろう???