すずめ休憩室

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気の向くままにつづってみました。

きふぃみさんがやって来た⑥~白老~

2011年01月25日 | お出かけ(道内)
日曜に道東帰りのきふぃみさんを迎えに行き、白老のポロトコタンへ行く。
ここに来るの30年ぶりだよ(苦笑)

 まずは大きな村長の像(コタンコロクル)がお出迎え~

丁度チセ(アイヌ民族の住居)の中で民族舞踊が始まるところ



言葉は判らないけど、不思議な韻です。

アイヌ民族は文字を持たない民族でした。
こういう歌や言い伝えはすべて口伝で語り継がれてきたそうです。
その量は膨大で、明治に入りアイヌ語を調べ始めた人たちをびっくりさせたのだとか・・・。


天井には鮭の燻製(あるいはトバかな?)が



 高床式の食糧庫

 ポロチセ(「大きな家」の意)

中はこんな感じ


白い房のようなものはカムイへの捧げものに備えるもの
つまりこれは神様のものという印
供え物にはすべてこれを付けるそうです

燭台にホタテの貝殻を使っているのは海の近くだからかなぁ??

平取とか、内陸のチセの中はどうなっているんだろう??

蒲の葉が干されていました。

これで伝統的な敷物を編むそうです


「阿吽」を模した熊がなんか可愛い

こちらは敷地内にあるアイヌ民族博物館内の展示

ボランティアの学芸員らしきおじいさんが色々と説明してくれました。
観光客が少なくなって色々言われていますが、人が少ないとゆっくり見れて、尚且つ無料で説明も受けられて、私的にはラッキーだったかも

倭人との交易で手に入れた品々

色んな家紋がごっちゃまぜ
中には葵の紋まであったり・・・

江戸時代の日本国内だったら大問題だったんでしょうけど、何せまだ異国&異国人と思われていたようで、家紋と言うより、ビジュアル的な模様の品として扱われていたそう

まールイ・○ィトンの柄みたいん感じ??(爆)

イヨマンテ(熊送り)に使われる熊の捕獲の様子

冬眠している小熊を捕まえるんだそう

海洋での漁

矢じりは返しとともに回転するように作られていて、一度獲物に刺さると容易に抜けない工夫がされています。
アイヌ民族とオホーツク人が北海道で暮らした時代は違いますか、文化の継承とかあったのかなぁ~??


こちらは機織の様子

綿や絹などは無いので植物の繊維などを使っていたようです。


この後は民族料理を食べてみます

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2 コメント

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そうなんですか~ (たれぞ~→きふぃみさん)
2011-01-27 12:00:40
きふぃみさん
コメントありがとうございます。

道外のガイドブックには載っていないんですか~ココ。
きっと道外からの観光客って北海道観光に求めるものは雄大な自然と美味しい料理なんだろうし・・・
しかもマイナーだしな
仕方が無いのか・・・

以前は札幌から登別、洞爺へ向かう観光バスの立ち寄り場になっていたので、そこそこ観光客は来ていたようですけど、年々右肩下がりのようです。

美味しいものはあるし、観光するトコもあるし、いい町だと思うんだけど、何故かそれを活かしきれて居ないのよね~白老って。

>JR
北海道の田舎ってこんなもんです
バスも似たようなもんです

車がないと生けていけないのが北海道の田舎なのですわ(苦笑)
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ポロトコタンは (きふぃみ)
2011-01-26 00:07:24
こっちで売ってる北海道ガイドブックには、ほとんど載っていないんですよね…。
私はこういう本格的なアイヌ民族のコタンや資料館は初めてだったので、とても興味深かったし、楽しめました。
資料館でガイドしてくださったボランティアさんのお話しも良かったですよね。明治時代の資料写真が、「写真に撮られるんだから」と正装しての日常生活再現の「ヤラセ写真」というのは、言われていればその通り、あの時代なら日本以外でもそんなのいっぱいあり得る!と再認識しましたし、いろんな意味で良い勉強になりました。

晴れてきたのも、湖が良い感じになって、良かったです。

もっと旅行者が、登別への途中に立ち寄ってくれるといいんだけどな~。
そういうツアーもあるみたいですけど、個人旅行だとなかなか立ち寄りにくいでしょうね。まさか午前中、札幌からあんなに不便(停車するL特急が数時間ない!)とは思いも寄りませんでした…。
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