東京の吉祥寺で、何の罪もない女性が、少年2人に刺殺されました。
もう本当に悲しいことですし、被害者のご家族様のことを考えると、胸が痛みます。
この事件で、私は2つのことを考えました。
まず1点目ですが、この少年たちのあまりの短絡さ、バカさにあきれると共に
親がどういう教育をしていたのだろう、ということです。
とんでもないことをやっておきながら、
「大変なことをしてしまった・・・」と少年たちは言っているようですが、
あまりにも短絡的でバカとしか言いようがありません。
やっていいこととやってはいけないこと。
善悪の基準。
こういうことをするとどうなるか、ということを
親が子どもに対し、ちゃんと伝えることが出来ていないのだと思います。
おそらくですが、この少年も親がちゃんとした教育をしていれば、
このような事件を起こさなかったのではないか・・・?
で、個人的意見ですが、少年犯罪において、犯人の少年だけでなく、
親も刑を与えるべきじゃないか、と思っています。
少年は許されるべきではありませんが、親も同罪です。
教育を学校になすりつける無責任な親もいると耳にすることがありますが、
そもそも教育の全責任は親にあります。
少年犯罪が起こるたびに、親としての責任の重さを痛感してしまいますし、
子どもと共に善悪の基準を再認識しなければ、と思います。
そして2点目ですが、この事件が日本ではなくアメリカやヨーロッパで起きていれば
「被害者にも問題が大いにある」という見方になるあぁ、ということです。
世界的には、「女性が一人で深夜に歩くということは、犯罪に巻き込まれても当然」
という見方が一般的です。
スリに合うのは、スリの犯人も悪いですが、スラれる方も悪いとみられますし、
詐欺に合うのは、だます方も悪いが、だまされる方が悪いとみられてしまいます。
日本は成果でもダントツで安全な国です。
夜に女性や子どもが一人で歩ける。
鍵を掛けなくて出かけても、結構大丈夫だったりします。
犯罪が発生すれば、犯人が悪いという見方が一般的です。
しかしながら、世界の基準とはちょっと異なるようです。
自分の身は自分で守るということも、子どもに伝えないと、とも思いました。
ただ、最も強く思うことは、
「こうした何の罪も無い方が犯罪に巻き込まれる事件が無くなればいいのに・・・」
ということです。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。
もう本当に悲しいことですし、被害者のご家族様のことを考えると、胸が痛みます。
この事件で、私は2つのことを考えました。
まず1点目ですが、この少年たちのあまりの短絡さ、バカさにあきれると共に
親がどういう教育をしていたのだろう、ということです。
とんでもないことをやっておきながら、
「大変なことをしてしまった・・・」と少年たちは言っているようですが、
あまりにも短絡的でバカとしか言いようがありません。
やっていいこととやってはいけないこと。
善悪の基準。
こういうことをするとどうなるか、ということを
親が子どもに対し、ちゃんと伝えることが出来ていないのだと思います。
おそらくですが、この少年も親がちゃんとした教育をしていれば、
このような事件を起こさなかったのではないか・・・?
で、個人的意見ですが、少年犯罪において、犯人の少年だけでなく、
親も刑を与えるべきじゃないか、と思っています。
少年は許されるべきではありませんが、親も同罪です。
教育を学校になすりつける無責任な親もいると耳にすることがありますが、
そもそも教育の全責任は親にあります。
少年犯罪が起こるたびに、親としての責任の重さを痛感してしまいますし、
子どもと共に善悪の基準を再認識しなければ、と思います。
そして2点目ですが、この事件が日本ではなくアメリカやヨーロッパで起きていれば
「被害者にも問題が大いにある」という見方になるあぁ、ということです。
世界的には、「女性が一人で深夜に歩くということは、犯罪に巻き込まれても当然」
という見方が一般的です。
スリに合うのは、スリの犯人も悪いですが、スラれる方も悪いとみられますし、
詐欺に合うのは、だます方も悪いが、だまされる方が悪いとみられてしまいます。
日本は成果でもダントツで安全な国です。
夜に女性や子どもが一人で歩ける。
鍵を掛けなくて出かけても、結構大丈夫だったりします。
犯罪が発生すれば、犯人が悪いという見方が一般的です。
しかしながら、世界の基準とはちょっと異なるようです。
自分の身は自分で守るということも、子どもに伝えないと、とも思いました。
ただ、最も強く思うことは、
「こうした何の罪も無い方が犯罪に巻き込まれる事件が無くなればいいのに・・・」
ということです。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。