歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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(執筆・編集中)超自然と私性――鬼なるものをめぐって(仮題)

2025-01-12 07:19:36 | 月鞠の会
本投稿は未定稿で、執筆・編集中。過去記事を再配分、再構成しつつ、随時更新します。

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超自然と私性――鬼なるものをめぐって


一 はじめに

この稿は、拙考「『定家十体』考」を書きつつ、鬼なるものをたずね当てようとするうち、これも通い路の一つではないかと、いざなわれる処を行くものです。

定家の鬼は、美意識のあり方の一つ。これを和歌十体のうち「拉鬼様(鬼拉の体)」として、初めに構想したのが定家であるとすれば、鬼なるものは、『風姿花伝』の物まね条々にも、美意識の一つのありようとして進展を遂げたと見られます。「年来稽古」において、世阿弥が和歌を意識したことがうかがえるからです。しかし、他方、鬼なるものは、また違った進展を見せています。それが、酒吞童子です。

時系列では、室町時代の世阿弥よりも、南北朝時代の大江山絵詞が、先。すると、世阿弥は、美意識の構築に酒吞童子を念頭に置いたと考えられます。

酒吞童子といえば、知らない人は現代人にもいないほど、ポピュラーです。酒吞童子は不老不死であり、悪行の残忍さと異常性は決して身近なものではないとしても、酒を飲み、みずからの境遇を縷々と語るところが、あまりにも人間的です。

「鬼」という漢字は、古代中国では死者の霊の意味。この国の古代には、「おに」という和語がもともと存在して、精霊のようなものを指していたが、中国の思想とともに漢字が伝来し、これに「鬼」の字が当てられたと、という風合いの示唆を、折口信夫博士がしておられました。すると、鬼なるものは、いたく変節を遂げたということになります。そして「鬼」字の持つ意味の来歴を、馬場あき子氏が、『鬼の研究』において、まとめておられます。








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