長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ぼくらが本気で卵かけごはんを食べる時は

2017-03-20 07:32:36 | Weblog

今話題のオギの映画のタイトルみたい。まだ眠っている。

昨日は小春日和で、スカイツリーとまったくリンクしていない、そこから徒歩15分、

うらぶれ、やつれはてそうな十間橋通りにも人がぞろぞろきて、朝5時から元気にばんばん打った

蕎麦が2時過ぎに空になった。南島原で大盛況だった「蕎麦会」が続いているようだ。

ぼくのHPに「暮らしの実験室 やさと農場」というのがある。毎年の暮れにそこで育てた蕎麦を

打って食べる会があり、今年で4度目になる。そこで野菜や卵を注文すると、新鮮な野菜や卵の箱の中

に、農場で働く人たちの日常のエッセーとか季節の野菜の調理方法などが綴られた会報が入っていて、

読んでいると「田舎暮らしの幸福」が伝わってくる。スポットでも注文できるので、「!」と来る人はぜひ一度どうぞ。

最近は、新しい土地を開墾して、「開拓村?」のようなはたらきも始めたらしい。生徒さんも募集しているらしく、

気あいのこもったパンフもおくられてきた。「くらし・・・・」で少し農業の勉強をして、島原とか能登とか・・・なんとなく

生理にあいそうな土地に移りすむ、というような計画は、若い人だけでなく、リタイヤ組の人でも可能なことだと思う。

加えて、ぼくのまわりには、「山菜とりの名人」や「釣りの名人」か「鉄砲打ち」とか「罠をかけて猪なんかをつかまえる名人」

などがいるので、誰かに師事すれば、いろんな土地にいっても支持される「ひと」として生きていけるのではなかろうかしらん?

これから「卵かけごはん」

南島原で蕎麦会をやった小学校の近くに「空き家バンク」にもでてこない素敵な空き家があり、みんなで見学にいった。

標高600mだけど、さわやかな風が吹き、棚田の景色がすばらしく、鶏小屋、牛小屋も昨年まで現役で使われていたらしい。

こんな場所でコケコッコーを聴きながら、「南島原の朝は玉かけごはん」を食べたりするのは、筆舌が及ばぬご馳走ではなかろうか?

雲仙・・・雲の上の仙人。日本人は本来、みなこんな暮らしをしていたのだろう。

今日の夜は「福の会」福という字は、田んぼや畑でとれた成果物を神棚に手向ける、そんな象形文字。

♪幸せって、なんだっけ なんだっけ・・・・そんなことを、みんなまじめに考えはじめている気配。感謝。

 


満つまめの会が大盛況

2017-03-19 08:37:17 | Weblog

毎日いろいろな寺子屋のスクーリングが目白押上。

スケジュールに「満つまめの会」というのがある。ぼくの肩が50肩

になった時、お客さんに「騙された、と思って・・・・」といわれ、騙されたつもりで気功整体を受けた。

ら、自転車をのってくるのを忘れ、スキップしながら帰っていった。5回くらいですっかりよくなり、猫背も

まっすぐになったころ、お客さんやまわりが「どうしたの?」ということになり、11月くらいから、天真庵の

二階で週一回のペースでやることになった。今年になって、週二回のペースになったけど、口こみで

どんどん広がり、なかなか予約がとれにくくなりつつある。知らない人がくるのは、お互いにいやなので、

今のところ「顔がわかる」人か、その人の紹介してくれた人に限定でやらせてもらっている。

今月おわりには、南島原からじゅんさんが受けにくることになった。きっと彼女のことだから、またどこか

海が見える風光明媚な場所で「海を見ながら、背筋を伸ばす会」なんかを企画してくれそうだ。

整体を受ける人は、みな体の中の自然とか気とか宇宙について、興味があったりする人が多く、今回の南島原

の蕎麦会の話や島原の観光カタログなどによく反応する。昨日も「移り住みたい」という声が続出し、最後のお客さん

が帰って時間を見たら、閉店時間を2時間も越えていた。みんな重度の「南島原病」に感染している。

来月4月1日で「押上天真庵10周年」だ。その日は「山本ひかり」ちゃんがボサノバをやってくれる。(すでに満席ごめん)

5月は5日に、クラシックギターの富川さんが、福岡のダンサーをつれてきてコラボ。なんやら今からウキウキしそうな内容。

19日は「やまね組」のクラシック。20日が「たけしぃの沖縄ワールド」

7月海の日の大石学さんのライブも席がうまってきた。

今日は「お花」と「お仕覆」  同じ福岡出身の竹内先生が両方やってくれる。この人も南島原に

教室ができたら、お誘いしないといけない。

九州の話題が満載だが、5月ころから不定期で「空の女子会」というのをやることになった。

九州男児のパイロットさんが、空のことをいろいろお話してくれる会。

 


呉汁と呉豆腐  どちらも郷土料理

2017-03-18 08:40:36 | Weblog

先日の卒啄珈琲塾に郷土料理研究家?のようなお弟子様がこられて、

「呉汁」(ごじる)のことを教わった。埼玉のある一部の地域の伝統的な郷土料理。

大豆を味噌にする前、つまりそのまんまを茹でて、すり鉢でつぶして、そこに野菜

などの具(み)を3種類くらいいれて、食べるものらしい。昔から日本人は簡素な食事(粗食)を

とりながらタンパク源やミネラル・ビタミンを摂取してきた。今朝の我が家の朝食はさっそく「呉汁」がでてきた。

み、は、桜島大根の大根と大根葉。なかなかシンプルだけどうまい。ホンモノは簡素の中にこそある。

島原の蕎麦会の後、佐世保の親和銀行に立ち寄り、有田と伊万里をまわった。有田焼は17世紀の始め、

朝鮮からわったってきて、焼き物に挑戦した初代金ケ江三兵衛(通称・李参平)を祖とし、昨年400年を迎えた。

長崎から佐賀のこの界隈に伝わる郷土料理が「呉豆腐」(ごどうふ)。普通は豆乳ににがりを入れて造るのが、おとうふ。

豆乳に葛をいれてかためると、呉豆腐になる。つまり、天真庵の「そば豆腐」は、呉豆腐に蕎麦粉が入ったものだ。

昨日は織田流煎茶道の先輩師範が、お花をもって蕎麦を手繰りにこられた。少し大きな「吾妻しぼり」をピアノの上の

染付花器に投げ入れた。「升たか」さんの作品。11年ほど前の秋、この近くの長屋をアトリエにしていた升さんを訪ねたのが

きっかけで、その日に十間橋通りにある壊れかけた物件をみつけ、そこに「天真庵」を結び、池袋から越してきた。

升たかさんも、生まれは佐世保。そしていろいろな若者たちが改装の手伝いをしてくれ、その縁で佐世保からこの地に

越してきて木工をやっている「あだちくん」も、この街にはなくてはならぬ存在人になっている。今回の長崎の旅にも、

「茶箱」をもっていった。中に煎茶や珈琲の道具が入っている。それは彼がつくってくれたものだ。いわば「茶箱の里がえり」

かもなんばん。昔から文人墨客が多く通った長崎の土地の根っこには、そんなDNAが脈々と流れているように思う。感謝。

今日は「満つまめの会」 まめまめしく働き、粗食を食べ、少し飲んで、へをこいて寝る  簡素な健康法也。

明日は「お花のお稽古」「お仕覆のお稽古」  営業は16時。それから「蕎麦打ち道場」&「なんとなく蕎麦を食べる会」


おぎの映画と小城の羊羹

2017-03-17 08:57:44 | Weblog

おぎの最新作「ぼくらが本気で編むときは」が好評なようだ。

東京では来週までなのでこんどの休みにいく予定だ。

水木は、煎茶を楽しんだ。今回の島原の蕎麦会の帰り道、小城で羊羹を調達。

それをお茶うけにして、福岡の星野村のお茶を入れてお稽古。掛け軸は池玉蘭(池大雅のおくがた)。

お茶碗は久保さんの斑唐津。角居くんから新作の錫の茶托が届いたので、昨日はそれをお披露目。

「ワー」と声があがったけど、残念ながら、ニセットとも売約済。彼の錫の茶托はひとつ1万円近くするけど、

「一生つかえる逸品」である。先日のブログに書いたけど、長崎は文人墨客たちがあまた集まり、煎茶を

楽しんだところ。原爆が落ちて、そんな貴重な資料とかが灰になってしまったけど、DNAは生きていると

思うので、ぜひ「煎茶が盛んな街」にしてほしい、と、先日蕎麦会にこられた街の重鎮さんたちにお伝えした。

変な箱ものをつくってエセ街おこしをするよりも、茶箱に煎茶道具をつめて、風光明媚なところでお茶を楽しむ

ほうがいい。

本日7時、10時、12時から地元の「ひまわりてれび」で、蕎麦会の映像がでるそうな。

五感を研ぎ澄ませて、先人たちが楽しんだ煎茶世界を逍遥していただきたい。

いけない、こちらも10時から取材。

3月28日の読売新聞に天真庵の絵とエッセーらしきものが紹介される予定である。

 

 


佐世保にいったら、ぜひ見てほしい。

2017-03-16 09:17:31 | Weblog

南島原の蕎麦会をおえた後、かすみちゃんを空港におくっていき、

その足で佐世保にいった。街のいたるところに「親和銀行」がある。

駅前の商店街に親和銀行本店がある。この街にこんな建物があるんだ、

という古色蒼然とした石造りの建築物があり、若い建築家にとっては、まさにあこがれの「神話」の世界

みたいで、わざわざ全国から見に行かれる方も多い。世界的な建築家・白井晟一さんの代表的な作品である。

ぼくが修行した広島達磨を設計したのが、子息の白井昱磨さん。その縁で、ぼくも蕎麦の世界を逍遥するハメになった。

そして島原に二度も蕎麦打ちにいく、というのは、まことに不思議な天恩である。

カステラ、砂糖と繋がる「砂糖街道」と、珈琲を始めて飲んだのが出島にいききしていた遊女であることは昨日のブログに書いた。

煎茶も長崎とはきっても切れない関係である。隠元和尚さんは、長崎唐寺の興福寺の招きで渡来した中国のおぼうさん。

宇治の黄檗山を開くまでは長崎にいた。そして黄檗の禅と普茶料理(卓袱)、煎茶を伝えた。売茶翁、田能村竹田たちもその影響

を受け、竹田の親友である頼山陽や釧雲泉、木下逸雲、村尾萬載、水野媚川などの長崎ゆかりの文人たちが「煎茶」の世界にのめりこんでいった歴史あ

る。今回、空港にいく途中、風光明媚な千々石(ちじわ)海岸の近くに「頼山陽が泊まった宿」という看板を見つけた。

南島原に「青一髪」という焼酎がある。頼山陽がこの地を旅して読んだ「泊天草洋」の中から命名された。耶馬渓も頼が命名した。

北九州では騎馬戦のことを「川中島」という。♪べんせいしゅくしゅく・・・・と吟じられてきた詩も頼山陽作。

白井晟一さんが生前に使っていた煎茶椀が手元にある。確か青木木米だったと思う。次に長崎にいくのは6月か11月になると思うが、

田能村竹田か頼山陽の掛け軸をかけて、青木木米の茶碗で煎茶会をやりたいと思う。

今日はこれから「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

まーくんの「満つまめの会」も10時から。

 


桃かすてらを食べる

2017-03-15 07:41:36 | Weblog

九州で産まれて60年。長崎や島原になんども遊びにいったけど、こげなお菓子があるとは知らなかった。

最初の日、じゅんちゃんおすすめの「本田屋かすてら本舗」にいき、かすてらに、砂糖?で桃のような

ハートのようなものがのっているかわいらしいお菓子が酒席にでてきた。上喜元を飲み、上機嫌に

なっていたけど、不思議な組み合わせの妙に一瞬目が覚めた感じがした。

カステラというのは、南蛮人(これは差別用語らしいが、ポルトガル人)が長崎に伝えた。一番最初についた港が

「口之津港」で、本田屋さんは口之津の近くにある。カステラの語源もスペイン語の「カスティーリャ」からきた。

これが最初に名古屋港についたら、きっとみんな名古屋弁だと思っただろう。材料は、卵と砂糖と小麦粉。どれも

当時は貴重で、徳に砂糖は貴重品で、出島に出入りする遊女に頼んでいた、という逸話がある。珈琲を

初めて飲んだ日本人も出島の遊女であるし、彼女たちはまさに「時をかける少女」だったわけだ。

南島原にいったらぜひ本田屋にいってかすてらを食べてもらいたい。

鎖国時代に出島に上陸した貴重な砂糖は、長崎、佐賀を通って小倉に運ばれ、そこから京阪神や江戸に運ばれた。

長崎ではかすてらをつくり、佐賀では小城羊羹になり、北九州ではひよこのおかしになったりした。

西のほうの醤油が甘いのは、砂糖がそれだけふんだんにあったからだ。この街道のことを「砂糖街道」といった。

左党のぼくだが、そのくらいのことは知っている。

今日明日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

無茶しぃの会のお茶うけは「小城羊羹」なのです。明日は「満つまめの会」もある。甘党日和?

 


♪おどみゃ島原のおどみゃ島原の梨の木育ちよ

2017-03-14 15:48:34 | Weblog

なんのなしーやら なんのなしやら 色気なしだよ ほろろんばい。

11日、12日と、二日連ちゃんで、南島原の公民館と、廃校になった小学校で「そば会」をやってきました。

「なんもない」というところが、魅力のところであります。スタバもチャーン店もない。高速道路もないし、

飛行場もない。全国津々浦々・・・どこの街にいっても、同じようなチャーン店とかショッピングモールばかりがあって、

おもしろくないでしょ。九州のぼくの実家の宗像でも、ショッピングモールがあったり、チェーン店があります。

便利とか効率とか考えて街をつくっていくと結局どこの街も、住宅展示所みたく、「ひとけがない」味気ない空気がみなぎっています。

それに比べると南島原は、自然がいっぱいあって、その自然の一部みたいな人情たっぷりの人たちの多く住むとこです。

半島の最南端、「口之津港」の古民家をなつきくんが改装して「くちのつ巷珈琲焙煎所」を今年オープンしました。

近所のおじいちゃんおばあちゃんの「憩いの場」になっております。元船員だったというじいちゃんの島原弁は2割くらいしか理解できないけど、

半分くらいのこった歯を見せながら笑う姿に、幸せな雰囲気がつたわってきます。

次の日はそこから徒歩一分の「公民館」で蕎麦会です。そばを茹でてだしたら、おばあちゃんが「ねぎばとってくる」といって、自分の畑に

走っていって、元気なねぎをとってきてもらいました。「ご馳走」とは、走って畑にいき、畑と相談しながら、料理のもてなしをすることです。

まさに「ご馳走」であり、「おもてなし」の原点だと、おばあちゃんに教えてもらいました。東京や熊本の友達、区長さんもきてくれ、なごやかな雰囲気の蕎麦

会でした。

「このにごっとる湯、どげんすると?」とかいう質問が新鮮です。島原はソーメン文化です。「蕎麦湯」をはじめての人たちばかりでした。

次の日は、雲仙岳のほうに向かって山をのぼったところにある廃校になった小学校が開場です。前回きたときに立ち寄って「ここで

蕎麦会をやりたい」とひとりごとを大きな声でいったのを、なつきくんが実現してくれました。アンフォゲッタブルな蕎麦会になりました。

島原にある「日本一のイタリアン」、ペシコの井上くん家族、そこの野菜をつくってくれている「鈴木ファーム」さんご夫婦も校庭で出店していただき、

花を手向けてもらった気分です。昔はオルガンが置いてあったのですが、今は机とイスが残っている教室。そこになつき君が、レコードとオーディオ

を持ち込み、音楽と珈琲担当。蕎麦打ちを始めると、静かなピアノの曲が聴こえてきました。サティーのジムノペティー。校庭のブランコで遊んでいる子供

や、元子供のおじいちゃんたちが遊ぶ映像がまるで映画みたいでした。この題名のもとは、ギリシャ神話で、老若男女の祭典かなんかの意味だった

ようです。なんかピッタリはまりすぎて、蕎麦打ちが中断されました。

島原出身で南画家であり、煎茶の人である「釧雲泉」(くしろうんぜん)という文人がおられました。煎茶の世界ではあこがれの人でも

あります。酒と煎茶と釣りが好きで、最後は良寛さんゆかりの新潟の蕎麦屋で酒を飲みすぎで旅立った、という人であります。なんか他人

だと思えないところがあります。雲仙岳界隈もいいお茶がいっぱいとれます。次の蕎麦会は、地元のお茶を入れて島原にあまたおられた「文人」

たちにお献茶をたててみたいと思い、なつきくんにおおきな声で、そげんこついいました。きっと実現すると思います。感謝。

 

 

 

 

 

 


桜が開花?

2017-03-07 08:21:32 | Weblog

昨日・今日は、また冬がやってきた?かのような寒さ。

ストーブの油をつかいきろうモードで昨日は給油さずにいたけど、今朝お店にいったら

12度くらいだったので、また給油して暖をとりながら蕎麦を打った。

昨日は桜でも咲いたの?というような不思議な日だった。

お昼のお客さんのごとんどが「文膳」。つまり「そば前」の酒がついた昼酒コース。

みんな常連さんたちなので、「まずガレットとビールから」とか、「とんさまをつまみにぬる燗から」とか、

いろいろスタイルが変則的だ。居酒屋かわりに蕎麦屋で酒を飲んでいた時代にさかのぼったような景色だった。

夜は「長屋で女史会」  ひさしぶりにメンバー全員がそろって、有意義な会になった。

今日の夜は「普茶料理の会」  それが終わったら「旅するそばや」よろしく、南の方にむかって

走りだします。17日から通常営業。(15・16は、卒啄珈琲塾&無茶しぃの会 16日は満つまめの会)


なんとなく鮨をにぎり喰う会

2017-03-06 08:32:01 | Weblog

毎月月はじめの日曜日は、ベテランの「そばもん女子」が蕎麦を打ちにやってくる。

11月の島原にもひとりは参加。もうひとりが今回の南島原に参加する。

もうかれこれ4年かそこら蕎麦を打っていて、ベトナムの蕎麦会もふたり参加した。

そんなわけで、ベテラン組の蕎麦打ちがおわると、酢飯をつくり、魚をさばき、銘々

が自分の鮨をにぎり、食べる、という会になった。命名が「なんとなく蕎麦を喰う会」。

昨日は奇しくも、「佐賀の気骨の鮨職人」だった片淵さんの一周忌にあたり、みなで目礼したあと、

じいちゃんにならった鮨をにぎって食べた。前回はじいちゃんのふるさとを通って帰ってきたけど、

今回も酒の調達をかねてぶらりといってみるかもなんばん。

今朝は「おっさ」が早朝の蕎麦打ちをやったので、それが終わって家でPCを打っている。

10時までは「卵かけごはん」そろそろスケットにいくとしよう。今日も能登の「義馬藻」が味噌汁

に入っている。放射能がたれっぱなしの状況をときどきわすれてしまっているようだけど、やっぱり

福島の原発はたれっぱなし。なんとか上手にいきていくには、味噌汁に海藻をいれる、というのは

最低限の防御策かもしれない。

たまたま先週古本屋で見つけた「死の同心円」(秋月辰一郎著・長崎文献社)の本を読んでいてそう思った。

長崎被爆医師の記録で、核兵器と人類の共存を許さない強い医師の意思が伝わってくる。名著だ。

今日の夜は「長屋で女史会」 今年は一年かけて本能寺の変を勉強。


ソラからはっかくが飛んできた

2017-03-05 08:52:19 | Weblog

昨日はまーくんの「満つまめの会」だった。先日かっぽれの前にやってもらったら、

かっぽれの先生が、「うしろをむいて」というので、後ろをむいたら「ぜーんぜん違う」

というので、帯を結びなおそうとしたら、「帯はいいの。後姿がまっつぐで、別人みたい」だとのこと。

申年だけど、ずっと猫背だったんが、まーくんのおかげでまっすぐになってきたみたい。

昨日は、おそばのお弟子さまで、島原に縁をつけてくれたくんから電話。

「今スカイツリーから天真庵が見えています」というので、外へでて手を振った。左右ではなく

「おいでおいで」の手をしたら、30分後にプロレスラーみたいな外人を連れて蕎麦を手繰りにきた。

ウクライナの青年で、コンピュータの仕事をしていて、本日の夜の便で母国にかえる、ということだ。

お土産に「はっかく」をもってきてくれた。角煮をつくる時に使う、あっちの八角かとおもいきや、

お魚の「八角」であることが発覚。棘があって、身をきると八角形になっているので、そんな名前がついた。

「ながや」の長屋くんが吉兆で修行中に、天真庵でときどき「味楽会」なる料理会をやってくれ、一度八角を

刺し身にしてくれたことがある。棘がきついのと、骨もかたいので、家庭用の三徳包丁などではさばくのはたいへんかもなんばん。

けさはそれをさばいて、塩焼きにして朝ごはん。こちなんかより、油がのっていて、ここちよい味がする。贅沢な朝餉。

今日は日曜なので16時閉店。それから「日曜蕎麦打ち会」&「なんとなく鮨(もしくは、そば)を喰う会」

昨日はっかくをくれたくんもときどき参加する。彼は仕事で世界中を駆け巡っているので、つくる料理が、多国籍で

おもしろい。そばとすしは修行中。

明日の朝は「卵かけごはん」&「そば打ち早朝」 夜が「長屋で女史会」

火曜日は「普茶料理の会」があり、それが終わったら旅烏になって、島原に飛んでいく。