長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ウーンとうなる!

2011-05-31 08:23:35 | Weblog
便秘ではない。

昨日は、順受の会(論語の会)だった。この会は、先生が鹿児島。幹事の
清水さんが長崎。なんとなく九州の臭いの強い会だ。
昔から「白波」を飲みながら談論風発する、のがならわしだ。
今は「黒霧島」が中心だが・・

昨日はその幹事の清水さんが山から山菜をもってきてくれた。
毎週のように山にいき、そちらが人生の中心で、ときどき、猿や
猪みたいに里に下りてくる、みたいな生活。うらやましい。
お店を始める前に、その「山の会」の人には、ずいぶんお世話になった。
山菜や茸の季節になると、彼らのキャンプ地にいって、蕎麦をだした。
群馬の山の中まで、さながら「出張蕎麦屋」よろしく、車に蕎麦や出汁を
つんで出かけた。その時にごちそうになった「山菜のテンプラ」や「こしあぶらごはん」
などが、ぼくの蕎麦会の原点みたなところがある。いつかは、山紫水明の場に庵を
結んで生活したいと、思っている。

論語の会、と、わかりやすくいっているけど、今は「陽明学」をやっている。
後半は、明代の哲人、呂新吾(りょしんご)の「呻吟語」。「しんぎんご」という。
九州弁で、いやなこと、辛いこと、ウーンとうなりたくなるようなときに
「おらぼーごた」という。その「うーん」を呻吟という。
論語ほど有名ではないけど、 幕末から明治にかけて「菜根譚」(さいこんたん)
などといっしょに、文人たちに愛読されたものだ。
この混沌として、世界中が国家の存亡みたいな時期には、ぴったりの内容だと
思う。

入りずらいお店でやっている、一番入りずらい会だけど、15年くらい(それ以上)
続いている勉強会。「文花的な寺子屋」の手本みたいなものだ。
7時から、3000円(蕎麦会・焼酎つき)

この会の優秀な生徒は、7時前(一時間くらい前)にくると、カウンターに座って「ビール」を注文する。近況を話す。7時になったら、お茶を自分でコップに入れて授業
を聴く。一時間すると、授業が終わって飲み会。カウンターの前に京都の「おばんざい」みたいに料理が並び、各自で手分けしながら、配膳をする。お茶を飲んだカップ
に焼酎を入れる。お湯割り、お茶割り、蕎麦湯割り・・・を飲みながら談論。
最後に蕎麦がでて、それを食べ、そば湯で蕎麦猪口を洗いながら飲み干すと、
そろそろお開きになる。禅僧みたいに、自分で使った茶碗やそば猪口などは、自分で
カウンターまで運ぶ。日本人としては、当たり前みたいな作法の会だけど、こんな会
は、ほかにはないと思う。東洋思想だけではなく、生きた「哲」を学ぶ気の
ある人は、重い扉を開ける勇気をもってほしい。(梅雨時はほんとうに扉が重い)

今日は「ねっと31」の会。
IT業界の社長連中が集まって、「ねっと21」というのを結成していた時が
ある。最後の10年は、不肖野村が、理事長だった。「無門塾」という勉強会を
やっていた。その時に料理をやってくれたのが、林副理事長だ。
ぼくの料理の中には、林さんが教えてくれたことがあまたある。
今日は、5年ぶりに、林さんが料理をつくり、最後にぼくの蕎麦を食べる会。
しかも、国貞雅子の弾き語りを聴きながら・・・
お店は4時で閉店。
「ドタサン」希望の方は、お店に電話ちょうだい。 会費4000円。 感謝。




月曜の朝は卵かけごはん

2011-05-30 05:19:43 | Weblog
昨日で「もなか屋」は緞帳を下げた。
涙雨?のような雨が一日中ふっていた。
今日も朝から恵みの雨?が元気にふっている。

今日は、卵かけごはん。
なので、この日は、蕎麦を打ちながらその用意するので、
ブログを書く余裕がない。ま、夕方にイベントがない日なら
大丈夫だけど、今日は濃い日。
「順受の会」(論語の会)があるので、その仕込みもしなくてはいけない。

「順受の会」は、最初は渋谷の商工会館、みたいな公の箱ものの中で
やっていた。その後、近くの居酒屋で飲み会。松田先生が鹿児島の
人なので、白波の一升瓶をどんと置いて、飲んでいた。
もう15年以上たつけど、そのころ池袋に天真庵を結び、南條先生
の描く「寒山拾得」を飾っていたので、自然に天真庵で勉強会を
やることになった。もちろん、ぼくを含めてメンバーは15歳若く、
酩酊しすぎて階段を踏み外したり、ケンカになったりすることは
茶飯だった。

ニューヨークから日本に活躍の場所を変え、この会に参加していた
ジャズピアニストの「kazuko baba」が、その縁でときどき、
天真庵ライブをやってくれるようになった。

また、メンバーのうちふたりが関大の落研出身で、若い
千里屋万馬(せんりやまんま)くんが、来月の15日(水)に
落語をやってくれることになった。題して「二階で落語かい?」
2000円(蕎麦・珈琲つき)
落語家といえば、落語会の重鎮・三遊亭円窓さんとは、よく
ゴルフをした、「まるまど会」という彼を囲むコンペを
高坂カントリークラブで開催していた。いつか彼が引退する前に
天真庵の二階でやってもらおう、と密かに思っている。

明日は「ねっと31」の会。
この会のメンバーとも、よくゴルフをやったり、旅行をしたりした。
みないいおじさんになった。新しく押上天真庵で縁あった人も加わり、
国貞雅子さんの弾き語りがあったり、楽しくなりそうだ。


♪キトキト キッチャン キトキッチャン・・

2011-05-29 08:45:11 | Weblog
雨が朝から元気よく降っている。今日は明け方に夢を見て、
5時前にお店にいって、少し模様替えをした。ショールームの
中に、南條先生の額を入れ、本勝手流?いや無手勝手流に花を
生けてみた。雨もまた楽し、植物たちも喜んでいる。
ついにショールームにも「寒山拾得」の臭いがし始める?

今朝の朝日新聞の「大江戸朝日」に押上文庫がのった。今回が
最終会。とり、に、文庫くんが紹介されるのが、にくい。
酔香のすがちゃんといい、文庫くんといい、こんなうらぶれた街に
移り住んで、「日本酒茶論」みたいなものをやる、なんて、奇妙きてれつ
な奇人だ。だけどまた奇人がよく似合う街でもある。

♪キトキト キッチャン キトキッチャン・・
こないだの休みに、中津川まで足を伸ばし、そんな名前のギャラリー
にいってきた。「キトキト」という。字は「木と器と」でキトキト、
なんともいい響きの言霊だ。ここの女将がかくnewsの文がすこぶるいい。
天真庵には、ふたつの水出しコーヒーの器具がある。そのふたつのサーバー
を、このキトキトから買った。ガラス作家の安土忠久さんのものだ。
安土さんとは古いつきあいで、うちのビールグラスは、「へちかんだグラス」
といって、彼の名刺がわりみたいな器をつかっている。ときどき、天真庵にも
ひょこっとやってくる。彼はぼくのことを「奇人」といっているが、2倍か
3倍にして返してあげたいほど、安土さんも立派な奇人だ。

今日は「竹細工」の日。森上先生と竹馬の友みたいな人が、わざわざ
ご挨拶にやってくるらしい。西郷さんにそっくりらしい。
西郷さんは南洲という号だった。織田流煎茶道の13代家元も鹿児島
生まれで、雅号を南洲といった。関東大震災の時に稽古場が壊滅して
満州に放浪の旅をし、その縁で、14代の家元が見つかり、仙台に
拠点を移した。15代目が、今回の震災の直後急死され、ぼくが
指導をうけている奥村南裕先生が16代目の家元になる予定だ。

明日月曜日の朝は「卵かけごはん」TKGの日。
明日の夜は「順受の会」(論語の会)
この会でも何度か「西郷南洲遺訓」などの勉強をした。
松田先生も「かごんま」の「よかにせどん」である。
うちのお店も入りにくいらしい(自分だとぜったいに入らない、と思う)
でも、この会は、2倍くらい入りにくい。でも「居」がある。
居場所がないと右往左往している輩がいっぱいいるけど、「居」を
みつけるのも、自分で動いたり努力しないといけない。
うちの便所に飾ってある南篠先生の額を見つめていると、そんな
声が聞こえてくる?シッコの音や雨音しか聞こえない?

明後日は「ねっと31」
31のつく晦日に、あうべく人と、はやくもおそくもなくあう、
そんな会になればいいと思う。
7時から、会費4000円。
「相語相笑」・・・それぞれの「今」を語りあったり、笑いあったり
して、共に楽しみたいと思う。今回のゲストが、ジャズシンガーの
国貞雅子さん。彼女の弾き語りを聴きながら、梅雨の夜を満喫したい。

水曜日の夜は「かっぽれ」
ひとり「空席」がある。




着物美人がやってくる

2011-05-28 08:46:49 | Weblog
今日は午前中に着物美人さんがやってくる。
あいにく昨日から関東地方は梅雨に入ったみたいだけど、
京都の時雨ではないけど、着るほうはたいへんやけど、いい
感じになるのではなかろうか?
二度くらい着物の雑誌にお店が紹介された。でも今日のは
「珈琲の専門誌」の企画らしい。ライターは、ここを改装しているとき
から、きてくれた女子なので、何かと楽な気分。でも注文がはげしい?
これからの時期に向けて、「水出し珈琲」を掲載したいとのこと。
この「水出し珈琲」なるもの。

抽出が終われば、ペットボトルに入れて冷蔵庫に入っているので、
注文を受けると、久保さんの白いデミに入れる、ダケなんだが・・
そこまでの仕込みがたいへん。
まず、最高級のモカマタリを焙煎する。豆は高い割には、死に豆
が多いし、どこで火をとめるかが、むずかしい。ほんとうに五感
を全部解放して、震度4くらいまでだと、そんなもの馬耳東風
といった感じの集中が必要。それを、1日寝かせ、石臼で30分
くらいかけて細かに挽く。それを試験管みたいなロートにフィルター
をのせ、そこに流しこむ。そして、静岡から汲んできてもらう硯水泉
(けんずいせん)というお水で、5時間くらいかけて落とす。そして
これも最低1日は寝かす。そんな感じ。書いていても疲れる。

こんなことをしている場合ではない。いかなくては・・・

明日は「竹細工」の日。

月曜日は「順受の会」
通称「論語の会」 論語読みの論語知らず 知らずとも論語はいい。

火曜日は「ねっと31」
きらず、1日の終わりに、今日の出会いとか、縁とかに感謝。
「一日一生」の気持ち。明日はまた新しい一生のスタート。
月末にも、そんあ気持ちで「明日から、また新しい人生」
大晦日には、「明日から、また新しいスタート」
そんなことの繰返しだと思う。31日の日に、いろいろな縁に感謝
しながら、友達と蕎麦を食べる。それだけの日。

癒される とうじ蕎麦

2011-05-27 08:29:12 | Weblog
伊那にいってきた。昔の戦友の墓参り。
30年くらい前にいった葬式の時(4・11)、ちょうど
信州が桜が満開で、京都よりも、開放的で澄みわった空に
散る花が、なんともいえない無常を感じさせた。
それから、毎年春の命日の後に、墓参りをし、界隈の
温泉にとまって、静かに過ごすのが30年近いならわしになった。

携帯の電源を切り、朝から酒を飲み、本を読んだり、山を散策
したり、疲れたら温泉にはいったりして、過ごすのが、「精神のしわ」を伸ばすのには、一番いい。基本は「湯治」だと思う。昔から、観光客がよろこんでいくような有名な温泉地や、宿は經遠している。宴会がやれるようなとこは論外。集客の数を誇るようなところは、仕事でもいったことがない。くらい、無名な「湯治宿」みたいなところが、いい。

「湯治」にかけるわけではないが、野麦峠の近辺には「とうじ蕎麦」
というのがある。「とうじ籠」という竹をあんだかごに蕎麦を入れ、
鶏や茸や山菜がたっぷり煮込まれた鍋に、「投じ」て食す。ので
「とうじそば」という。天真庵の夜の勉強会では、よくこのとうじ蕎麦を
やる。自分的には、湯治にいく場所で食べることもあって、「湯治蕎麦」
みたいな感覚になる。

野麦峠といえば、「ああ、野麦峠」で映画化され、話題になった。
野麦は、野の麦ではなく、熊笹が凶作な時にだけ花が咲き、麦みたいな
穂をつけ、それをひとびとがありがたく食して、腹を満たしてきたので
そうゆうらしい。資料館にいって初めて知った。明治から大正にかけ、
富国強兵策のもと、諏訪あたりに製糸工場ができ、飛騨や高山から
若い女子たちが、働きにでていった。工場が3月1日に始まるので、
12歳前後の女子たちは、平均80kmくらいの山道を、三泊四日
くらいの強行で超えていった。休みは正月だけで、またまた同じ道を
同じくらい寒い中を、歩いて帰った。病気になると、親元に電報が
いき、「病気のため、ひきとりにこい」みたいなものが届き、21歳で
死んだ女子を、兄がおぶって家までかえる銅像が、今もたっている。

でも、根底には、家族愛とか、大きく見れば、国を思うこころ、みたいな
ものがあるし、美しい恋愛話が花咲いたことも、あったらしい。
国の男子が、諏訪の工場で働く女子に書いた恋文が残っていた。
「略・君の写真がほしい。一日千秋の思いで待つ」という内容。
それに、女子が、「そんなに思ってくれてありがたい」
みたいな内容だった。そこの資料館では、長いこと、「この恋文の
ふたりは、結ばれなかったそうです」と解説していたらしい。
だが、昨年彼のおまごさんがきて、「このふたりは、ぼくのじいちゃん
ばあちゃんです」ということになった。ぼくを含めて8人の孫にも恵まれ
幸せな一生だったとか。

峠とは「たむけ」という言霊でもあるようだ。花を手向ける、自然を愛する、
先祖や家族を大事にする。そんなことを精神の根底にもっていると、どんな
に厳しい峠であっても越えることができる。そんなことを、この野麦峠は
教えてくれる。

日曜日は「竹細工の会」
「とうじ籠」を大分でもつくってもらって、「別府温泉・湯治蕎麦」を清水
くんあたりに流行らせようかしらん。

月曜日は「順受の会」
天真庵が「儒学バー」になる日。混沌とした今みたいな時代
だかこそ、はらわたにどすんと「哲」をおきたいものだ。

火曜日は「ねっと31」
きらず・・・ではないが、縁のある人たちが、31日のある日
に集まって、「これから」を考える、そんな会。今回は
ジャズの歌姫・国貞雅子さんがゲスト。「今」を語るように
歌ってもらう。会費4000円(蕎麦会付き)
「おもしろそうだな!」の「!」ときた人は、誰でも参加資格あり。





三連休

2011-05-24 05:31:22 | Weblog
今日から三連休。3月から毎週2連休をとるようになった。
といっても、木曜日は、「織田流煎茶道のお稽古」をまじめに
やっている。し、水曜日の夜もイベントが多いので、ちょうど
いいかげんになってきた。昨年は「南九」という名前までいただいたので、
微力ながら、お茶の伝道に尽力したいとも思っている。
池袋時代から「天真庵」という名のギャラリーをやっていたのに
「長屋茶房」と冠をつけたのは、そんな意志も含まれている。

昨日は雨だった。平山慎一郎さんのヴィオリンと赤松林太郎くん
のピアノが、涙雨みたいに悲しいことが続く日々に、すがすがしさ
や希望を蘇らしてくれるような、純潔な響のあるコンサートやった。
とくに、最後にやってくれたアーロン・コープランドのヴィオリンソナタ
は、ポップなJAZZみたいなアメリカンの感じがして、ヨーロッパでピアノを学んできた林太郎の指が、JAZZになったような錯覚がした。
「そのうち、セシル・モンローさんといっしょにJAZZしよか」と
冗談でいったけど、あながち空言ではないかもしれない、くらいよかった。
6月6日から「文花的な寺子屋」に、新しい講座ができる。
「クラシック寺子屋」、もちろん先生は、赤松林太郎先生。

今日はこれから信州にいってくる。昭和55年、男の厄年の時(24歳)
京都府立医大で、「骨のガン」だと診断され、大手術をしていろいろ
覚悟を決めていたことがあった。そのころいっしょに「からふねや」で
店長をしていた城倉くんが、足が痛いというので、自分の担当医に見せたら
同じく骨のガンで、同じ病院でガンと向き合ったが、彼は運が悪かったのか、
ひょっとしたら、運命を取り替えてしまったのか、翌年の4月に23歳で、旅立った。
それから、毎年、春に珈琲を入れて、彼の墓参りをすることがならわしになった。
彼の故郷の伊那という長野の風光明媚な山の春は、まぶしいくらいに新緑がきれいで、
薫たつ風の中で、野点のように、墓においてあるイノダのデミカップ
に、「ほぼぶらじる」をたてる。もう30回近くやったことになる。

彼が旅立ったとき、京都の老舗の花屋で花を買って、車で京都から信州まで
走った。先週、その花やの息子が、京都からわざわざ遊びにきてくれた。
縁というのは、ほんとうに不思議なものだ。

加茂川みたいに、さらさらと、たださらさらと生きていきたいと時々
思うかど、いろいろなことがあって、好きになったり、好かれたり、
憎まれたり、嫌われたりしながら、生き暮らしている。

31日は「ねっと31」
京都では、月末に縁を切らないように、という縁起で、
「きらず」というおからを食べる習慣がある。
昭和63年に、IT業界の有志が集まって、「ねっと21」
というのをつくったことがあった。最後の10年を自分が理事長を
勤め、緞帳も自分で下ろした。その時に「無門塾」という勉強会を
やっていて、それが今の「寺子屋」に続いている、その中で
最後に講師をやってくれたのが吉若徹、ワカだ。そのワカが天真庵の
1周年にJAZZのライブを企画してくれ、その縁でやってきたのが
国貞雅子さん。31日は彼女が、弾き語りをやってくれる。ワカが
かよった高円寺のJAZZライブハウスのオーナーもきてくれる。
無駄のない縁で、静かに横にひろがっていく輪・・・そんな会や場所に
なれればといつも思っている。口でいうほど簡単ではないが・・
天恩感謝





卵かけごはん

2011-05-23 05:00:43 | Weblog
昨日は、夏と冬と梅雨が同時にきたみたいな天気だった。

朝から湿度が高く、温度もたかく夏日みたいでもあり、雨が
振り出してからは、冬服がほしい、みたいな不思議な1日だった。
異常気象なのかも知れないけど体調を崩しやすい天気。
「エリカ庵」でゆっくり整体をやってもらったおかげで、元気に
なって、ゆっくり睡眠をとり、これから元気に蕎麦打ち。

明日は連休の代休で、休み。3連休をいただきます。

今日(8-10)は「卵かけごはん」
営業は4時までやって、夜は「コンサート」

5/23(月) クラシックライブ
演奏:平山伸一郎(ヴァイオリン)・赤松林太郎(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥4,000
   (お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

31日は「ねっと31の会」
国貞雅子さんのジャズを聴きながら、「今」を語りあう会。





山口があつい。暑い夏を乗り切ろう。

2011-05-22 09:11:16 | Weblog
昨日は「スケッチの会」だった。
いつものように女子ばかりの会だったけど、やまねさんが
途中から参加してくれたので、飲みすぎた。

そういえば、朝からやまねさんと花を生けた。原田先生もやまねさんも
山口出身。ふたりとも「ひとつごと」の道を歩んでいるので、いろいろと
通じるところがある。昨日は、「かきつばた」を生けた。先月が菖蒲。
いっけん、同じように見えるけど、かきつばたのほうが、はんなりというか
女性のようなやわらかさ、色気みたいなものがある。
くばり(土台)をつくって、真の花をきめたら、葉は裏表を見極めながら、
選んでいく。世の中、男と女、陰陽の曼荼羅。そんなことが、やっていくうちに
少しわかっていく。午後からは、アキバのカリスマ料理人も参加。
音楽家、料理人といわず、陰陽のバランスをとって、道を歩んでいく、
のは、大切なことだと思う。

今日は「エリカ庵」
エリさんとリカさんがやってきて、体を調整してくれる日。
体の中も陰陽の宇宙・曼荼羅みたいなものだ。

明日は、「卵かけごはん」
夕方は4時に閉店して、夜は「クラシックコンサート」
赤松林太郎くんは、来月から「クラシック寺子屋」もやって
くれることになった。いろいろ楽しみ。

連休を休まなかったので、明後日は代休。
火・水・木は、お休み。

31日は「ねっと31」(つなぎの会)
31日の晦日に、縁のある人が集まって、
音楽なんか聴きながら、蕎麦会をやる。(会費4000円19時~)
今回のゲストは、国貞雅子。彼女も
やまねさんと仰げば尊しの恩師が同じで、山口出身。
ジャズピアニストの大石学さんも、そう。
大石さんのライブは7月。やまねさんも6月、7月に
天真庵でライブ。
暑い夏を、長州出身者が熱くしてくれる。これぞまことの
暑気払い。

ひとつごと

2011-05-21 08:29:34 | Weblog
昨日の「炭焼き名人」もそやけど、ひとつごとをやり続けている人はすごい。
途中に、迷ったり、悩んだりすることも多かったと思うけど、ふりかえって
みて、道が一本続いている、みたいな生き方は、だれでもできることではない。

今日は原田先生が宇部からやってきて、花を教えてくださる。齢80とは
思えないくらい、矍鑠としていて、素晴らしい。花をやろうと高校時代に立命
のごとく決心したけど、親に反対され、勘当されても、その道を歩み続けた。
なかなかできることではない。そのなかなかを、泰然自若とやっている生き様が、
花に投影されているし、私たちに「魂」として、伝わってくる。

華道とは、もともと、人間が神(先祖)に花を手向けた、ところから始まる。
自然の神さまに、「生かされていること」を感謝するような儀式を祖とする。
お茶も、茶室の中に花を生けたりするのは、同じような自然の流れだろう。
古人たちが残してくれたそんな素晴らしいことが、廃れていっているのは、
自然や神にたいする敬虔な気持ちが薄れているということかも。

古くからの花は、「真」を大事にしてきた。真善美の真であり、心(しん)
でもある。今回の震災で、私たちの生き方そのものの中心にあるものが、
原発同様、メルトダウンしたような様相でもある。
これから、きっと、いろいろな意味で、残された時間を縮められた気がするけど、
残された人生は、中心にしっかりとした「真」をたてて生きたいと思う。

本日、昼は「お花のお稽古」
夜は「スケッチ」
デジタルカメラより、魂のこもったものが残せると思う。

明後日は「エリカ庵」
ますますもって、「体」が資本になります。


月曜日の朝は「卵かけごはん」
夜は「クラシックコンサート」
林太郎くんも、原田先生の花を勉強する同志だ。
華やか世界に身をおく彼が「落飾」という、削っていく美学を
身につけたら、鬼に金棒かも。

ねこの話 ぱーと3

2011-05-20 08:25:26 | Weblog
今日も朝はやくおきて一時間散歩して、元気に蕎麦をうった。
「墨田ぶらり下町音楽祭」の日に、「おんぷ」が拾われて、
無事に、とある家族の一員になった。さきほど、文花一丁目のコンシェルジュの
おっちゃんが「おんぷの兄弟がみつかった」という。「なんでわかるの?」
と訪ねると、「おんぷとうりふたつ」だとのこと。ほんとうに「匿名性のない街」
だ。

昨日は、上州のひなびた温泉にいってきた。蕎麦の修行をしたとこ。
広島の達磨で蕎麦打ちの修行をやった後、ギャラリーでも毎年1000人
ぶんくらいの蕎麦をうった。ときどき、山菜がとれるこの季節や、秋の茸の
季節に、山の仲間たちからリクエストがきて、「出張蕎麦」をやった。
なぜだか上州の谷川岳が見えるこの界隈にはよくきた。
川で水を汲み、それを沸かしてそばを茹でた。雪解け水のきれるようなつめたさ
が、身にしみたけど、蕎麦をよりおいしくしてくれた。とれたての山菜や茸の
テンプラなどを食べながら、野外で蕎麦を食べる贅は、かえがたい。
今のお店でも、「このような風を感じる蕎麦」をだしたい、と思っている。

今回は、「炭焼きの名人」を訪ねるのが目的だった。目当ての場所にいくと、
名人は留守だった。近くを散歩していたら、畑にいた。「とうもろこしを植えて
いる」とのこと。畑には、竹や間伐材の炭のカスがまかれていた。「これをまくと
とうもろこしがあまくできる」とのこと。82歳になるこの匠は、昨年奥さんを
亡くした。ひとりで、畑と炭焼きと、時間があれば山に入り、山菜摂りなどを
やって暮らしている。
「今朝は6度だった」ということで、囲炉裏には、炭があった。そこで、おもちを
焼いてくれた。お茶は、大きなヤカン、薬缶という字にふさわしいアルミの昔風の
ものに「めぐしりの木の葉」を煎じているものだ。おおぶりの汲みだし茶碗に
ついでくれた。筆舌が及ばないほど、美味い。けっして、おいしいお茶ではないけど、
「おいしく」以外にはありえない、もてなし。
四方山話をしながら、こんどは、炭の上に、五徳をおき、そこに網を
のせ、そこににぎりめしをおいた。しばらくして、味噌と、野蕗のつくだに、
こしあぶらの佃煮などが、でてきて、焼きおにぎりといっしょに食べた。

こんな「もてなし」が、ほんとうの「もてなし」なんやろうな、と
思う。「ごちそうさま」といいながら、強く握手をした。
じいちゃんの焼いたナラの炭を一袋買ったら、竹炭をおまけに
もらった。「これをいれたら水がうまくなる」とのこと。
今日から天真庵の水は、じいちゃんの竹炭入りになる。珈琲や蕎麦
の味が、一味かわるけも?

今日の夜は「タイムドメイン」

明日は昼は「お花のお稽古」
夜は「スケッチ」

明後日は「エリカ庵」

月曜日の朝は「卵かけごはん」
夜は「クラシックコンサート」