新しい窯ではない、有田の古い伝統を持つ「しん窯」。創業は天保1830年かららしい。「青花」
という白磁に藍色の染付の絵が美しい器を生産している。
甥っ子のこうたくんが、そこのぼんを連れて蕎麦を手繰りにきた。旧知の仲らしい。
たまたまだけど、昭和50年代に、青山にあったギャラリーで、「異人さん」の絵のついた珈琲カップ
を購入した。「いつか珈琲屋をやるときに使おう」と思って、九州の実家に置いてあった。実家に帰る
たびに、珈琲をそのカップで飲んでいたら、ひとつのグリップがかけた。それをまた東京に持ってきてしばらく
愛用していた。今はショールームの中に飾って、久保さんの黄瀬戸の珈琲ドリッパーを上にのせている。
ソーサーは、カウンターの上の梁のところのランプの横に飾っている。ときどきお客さまに「素敵ですね」
と褒められたりする。と、「あなたの感性がいいからですよ」とかえしたりしている。ライブの時など、その異人さん
がパイプをくゆらせ、踊っているように見えたりするほど、ゆったりと自然なタッチで描かれている。
有田焼の陶祖「李参平」が1616年に始めたのを原点とするので、来年は400年にあたる。
佐賀の「売茶翁」(ばいさおう)が、昨年没後250周年だった。黄檗の禅僧の位を捨て、58歳で上洛し、
「ていらん」に茶道具を入れ、下賀茂神社の糺の森や、南禅寺界隈でお茶を供しながら、池大雅
や伊藤若冲や陶芸家の木米や太田垣蓮月など、京都の文人たちに煎茶が広まった源流に売茶翁はいる。
死ぬ間際に、自分の使った茶道具をぜんぶ焼いてしまった。茶という一期一会の禅にも繋がる思想の完結には
ふさわしい儀式であり、彼の「哲」が終結されていて素敵だ。たぶ彼が最初に使った道具は、有田の薄手の白い
磁器だったろうと思われる。
これからまた「有田を世界へ」と夢いだくぼんに、昨日は京焼きの井上春峰の「すすり茶碗」で、星野村の玉露を
出した。時空を超えて、李参平や売茶翁や、無名の陶工や染付師や、京都の文人、江戸の趣味人たちと、いっしょに
茶会をしている気分になった。売茶翁は「自然の流れに身をまかせて生きることは清いことだ」と言っていたらしい。
彼はいつも「清風」と書いたものを茶店の看板にしていたらしい。
波打たない静かな呼吸でゆっくりと入れたお茶を飲む。飲む、というより、「喫する」。
そんな気持ちを禅では「喫茶去」(きっさこ)といい、お茶を一服できる場所を喫茶店といった。
いつしか時代がかわり、「きっちゃてん」になったり、最近ではみな「かふぇ」という。
今日は日曜なので16時閉店。それから「蕎麦打ち大会」
明日の朝は「卵かけごはん」 ときどきくる若者がいる。「有田焼を世界に」という仕事をしていて、
住民票は佐賀のしん窯のギャラリーにある。たまたまだけど不思議な縁にびっくりしている。
明日の夜は「大石学ピアノライブ」
4日の山根さんと大石さんは同じ下関西出身。来月は宇部で山根組のコンサートがあり
そこにいくことになった。こうたくんの母、つまりぼくの妹もいっしょに山根組を堪能する。
なんかゆっくりとした流れだけど、一本筋の通った大きな川がゆらりゆらりと流れているような気持ち
がしている。清らかな聖水で玉露や珈琲を飲みながら、いい音楽を聴く。日々是好日。