昨日は休日だったけど、「論語の会」だった。池袋時代、正確に
いうと、渋谷の公共の施設「商工会館?」で勉強をし、近所の
「がんこおやじ」とかいう居酒屋で、薩摩白波の一升瓶を酌み交わし
ながらやっていたのが原点。昔、我が母校の先輩が書いた「二十歳の原点」
という本が話題になったことがあるが、来年はこの論語の会(順受の会)
も二十歳の原点。紆余曲折はあっても、続けていくことの大切さをしみじみ
と感じる。昼間はてんてこで、蕎麦も珈琲豆も空っぽになったけど、清貧を
旨とする会なので、クロキリと花(そば焼酎)の蕎麦湯割りを飲みながら、
薩摩の黒豚の角煮や、ぜんまい、菜の花、長岡京の筍の土佐煮などを酒肴に
有意義な夜を堪能した。
天真庵の「文花的な寺子屋」の原点でもある会。教育というのは、お互い
が研鑽しあう「共育」でなくてはいけないし、これからはその中に「食育」
があたりまえのように鎮座しているのではなかろうか。
今日は狭間の平日で雨がふるらしいから、ゆっくりと大石さんの新しいCD
でも聞きながら、近づいてきた「ホーチミンで蕎麦会」の準備でもしたいと思う。
明日は「かっぽれ」
明後日にホーチミンからお客さんがきて、打ち合わせ。
いうと、渋谷の公共の施設「商工会館?」で勉強をし、近所の
「がんこおやじ」とかいう居酒屋で、薩摩白波の一升瓶を酌み交わし
ながらやっていたのが原点。昔、我が母校の先輩が書いた「二十歳の原点」
という本が話題になったことがあるが、来年はこの論語の会(順受の会)
も二十歳の原点。紆余曲折はあっても、続けていくことの大切さをしみじみ
と感じる。昼間はてんてこで、蕎麦も珈琲豆も空っぽになったけど、清貧を
旨とする会なので、クロキリと花(そば焼酎)の蕎麦湯割りを飲みながら、
薩摩の黒豚の角煮や、ぜんまい、菜の花、長岡京の筍の土佐煮などを酒肴に
有意義な夜を堪能した。
天真庵の「文花的な寺子屋」の原点でもある会。教育というのは、お互い
が研鑽しあう「共育」でなくてはいけないし、これからはその中に「食育」
があたりまえのように鎮座しているのではなかろうか。
今日は狭間の平日で雨がふるらしいから、ゆっくりと大石さんの新しいCD
でも聞きながら、近づいてきた「ホーチミンで蕎麦会」の準備でもしたいと思う。
明日は「かっぽれ」
明後日にホーチミンからお客さんがきて、打ち合わせ。