今日は、これから「卵かけごはん」
蕎麦をだしている関係で、ごはんものは、週一回の月曜日
の朝だけにきめて4年になる。
具だくさんの味噌汁と、炊きたてのごはん、そこに平飼いの卵。
それに香のものをつけ、のりとかつおぶしのふりかけをつけている。
550円。珈琲100円(デミ) という簡素なものだ。
最近自分で魚を開き、それをベランダの干し網に入れて、手前ひらきを
よく作る。それを炭火で焼いて、辛み大根をすったんとからませて食すと、
「お燗」といいたくなるくらい幸せな気分になる。ただ蕎麦と珈琲を供するお店
でそれをやると、魚の匂いがとれないので、あくまで自宅で幸せな朝ごはんを食べている。
夜は「論語の会」(順受の会)。今年は21年目。20周年を記念して、来月小川町で
パーティーをやることになった。平均年齢が還暦をちょい過ぎ、といったところなので、
赤いちゃんちゃんこ祝いみたいなものでもある。月に一度、論語や老子や孫子などを
勉強してきて20年。その時は、「儒学カフェ」さながらである。トレンドや流行りの市場調査
では、はしにも棒にもひっかからないような会だけど、「継続は力」よろしく、20年の年輪を
みごとに刻んだことになる。天真庵が寒山拾得ギャラリーとして、始まって20年でもある。
筆を持ったほうが「寒山」(かんざん)で、寒山詩を残した詩人。文殊菩薩の化身。
箒をもった相方が「拾得」(じゅっとく)で、森鴎外の短編「寒山拾得」によると、豊干老師
に拾われて、お寺のまかない、つまり「典座」(てんぞ)である。道元禅師の「典座教訓」
によるまでもなく、料理を作ったりするのは、大切な禅の修行である。
京都のお寺なんかで、ふたりが並んだ構図の襖絵などを発見し、「あ、寒山拾得だ!」なんて
いうと、なんだかえらくなった気分になる。でもその実、何もわかっていない自分に気づく。
生き方や哲学に「これ」というのはないけど、先人が煩悶し学問してきたことをたどっていくと、
「!なるほど」と腑に落ちるようなことがある。論語の読みの論語知らず、という名言はあるけど、
論語読みもしないで、毎日あの店のパウタがおいしいボリボリ、みたいで生き暮らすのはなんだか
なさけない気もする。
♪ぼろは着てても、こころは錦
粗衣粗食を苦にせず、自分の天真(ほんらい具わっている天からいただいた真のこころ)を貫いた
ふたりに学ぶこと多し。
二階でやる「お座敷で蕎麦遊び」は、寒山拾得の世界、お茶の世界など日本人が大切
にしてきたものを、遊びの中で学べるようなそんな内容にしたいと思っている。感謝。