昨日の午前中は「卵かけごはん」だった。
こんどの日曜日にお店を休みにして、茨城の「暮らしの実験室 やさと農場」に蕎麦打ちにいく。
今年で3年目。一年目は、泊まりでいった。昨年も今年も前日にライブがあるので日帰り出張蕎麦打ち会になる。
昨日は、その「暮らし・・・」でつくっている「まじめ卵」を使った。「天真庵流無手勝手流たまごかけごはん」の食べ方
で食すと、おいしさが倍音のような感じになる。筆舌を越えた超絶技巧だ。
それが10時終わって買い物にいく。帰ってきたら、島原・・・の箱が届く。島原の太公望の「やっさん」が一本釣り
したもので、きれいに血抜きされていて、「さっきまで島原の海で泳いどったばい」という顔をしている。
開店まで30分。ブリといってもいいような大物にメス、いや、出刃を入れてさばく。ちゃんと3枚におろし、
刺し身用に「さく」をつくり、残ったアラをかったぱしに、寸胴にいれ、準備完了。
「ぶりだいこん」ならぬ「はまちだいこん」にし、なんとかのれんがだせた。同時に、今月の「島原蕎麦会」に参加してくれた
Mさんが来店。大きな声で「ふみぜん」という。さっそく寸胴の中の「はまちだいこん」のはまちを酒肴に出す。
「ぼく、終の棲家を島原か天草にしたい」とのこと。この人は、いつもポツリと冗談みたいなことをいうと、そのおもいを
確実に実現していく人。来年の年末には、「天草で釣ったブリばおくる」とかいうことになっているかもなんばん。
平日の月曜日なのに、日曜日なみに人がきて、満席になった。こころの中で「魚がスムーズにさばけてよかった」と安堵。
「満つまめの会」も、休憩する暇もないくらい人がきたので、19時に「論語の会」がはじまるころ、「おさきに失礼します」
とマーくんが挨拶したのが、本日の会話、だった。
論語の会では、その魚を酒肴に、島原の話で花が咲いた。この会の先生は鹿児島産だし、幹事さんは長崎の諫早(いさはや)産。
ぼくが福岡産。九州人度が高い会である。
各地で「ふるさと創生」が叫ばれているけど、その土地土地にあったものを、無理くりではなく、自然発生的
に、そして持続可能に必要な「胆」をすえ、地元の人たちと共に楽しみながら生きていく覚悟をもち、こころゆたかに暮らす工夫を
しながらやっていけば、この国は「いたるところに青山あり」の国がもどってくるような気がする。
今日は「書の会」。「明日は鰤になれ」とでも書こうか?今日は「はまちのにぎり鮨」をやる予定。
もちろん参加者みんなが参加、が、天真庵流。明日の「おんなかっぽれ」は、「はまちのしゃぶしゃぶ」にしてみようか?
書きながら、自分にプレッシャーをかけている。そんなことよりも、これから珈琲豆を焙煎しないと、今日のお店の営業に
支障をきたすことを忘れている。
というわけで、今日は「書の会」
明日は「おんなかっぽれ」
12月の3つのライブはお陰さまで「満席御免」とあいなりました。
島原そば打ち倶楽部も、元気にそばを打っているようだ。ひょっとしたら、来月中あたりに、また元気な魚が
飛んでくるかもなんばん。そば粉と原始的ぶつぶつ交換するのがならわし。