長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日で半分終わり

2009-06-30 06:07:20 | Weblog
今日で6月が終わり、明日から7月。
インフルエンザとか、空からおたまじゃくしがふってきたり、
テポドンが飛んできそうだったり、政治や経済が混沌として
きたり、いろいろあるけど、「時間」という自然の流れは、
いろいろなものを運びながら、さらさらと、たださらさらと
流れていく。これから「夏の陣」「秋の戦い」「冬の陣」・・
政治家もサラリーマンも年金暮らしの老人も、みなそれぞれ
大変だけど、今はやっぱり「大変な時代」なんだと思う。

7月3日(金)は、「三丁目のジャズ」がある。ニューヨークで活躍したジャズピアニストの「かずこ ばば」さんと、ギターの井上智さんが演奏してくれる。すでに満席だけど
楽しみだ。秋には(10月10日、11日、12日)三日連続で、「三丁目のジャズ祭り」をやる予定。荒武君、音遊び、かずこばば、という豪華な3日間。

7月25日は隅田川花火大会。5時から昨年と同じように、「もにじんさん
と浴衣でライブ」。これもすでに満席だけど、7時からは、界隈で花火が見えるので、浴衣で押上あたりに散策にくるのも一考だ。
26日は「エリカ庵」。新しい企画。

7月17日(金)の19時からは「ビールの寺小屋」をやります。
「お酒の寺小屋」に続く第二弾。今回はベルギービールを飲み比べて
みようという企画。会費は5000円。昨日企画書があがったばっかりなので、
まだ空席あり。

7月は家を引っ越すので、ゆっくり時間をつくりたいと思っているけど、
けっこうハードなスケジュール。





順受の会

2009-06-29 06:44:32 | Weblog
今日は「順受の会」。
お店にあるホワイトボードにスケジュールを書いてある。
順受の会は、いつも最終週の月曜なので、字が消えたり
うすくなったりして、はっきりしないので、それを
みたお客さんが「ジュンアイの会って何ですか?」ときかれる。
「純喫茶でジュンアイの会?」・・・なんとも、意味深ではある。
昨日は雨だったが、蕎麦が3時前にはなくなったので、それ以降は
「純喫茶」だったけど・・・

「順受の会」は、別名「論語の会」。
昔渋沢栄一という実業家がいた。王子に彼の書斎が記念館として
残っているけど、彼は論語を生涯バイブルにした。
彼の著書に「論語とそろばん」というのがある。
相反するものではあるが、バランスを大切にした彼らしい本だ。
昔から「論語読みの論語知らず」というのがあるが、哲学はみな
実践してこそ、意味がでる。




杜若をいけた

2009-06-28 06:35:05 | Weblog
かきつばた。
昨日は杜若をいけた。竹の寸胴に「くばり」をVの字に
削ってつくる。昔、書きかた鉛筆を削ったみたいな手つきで
削っていく。この作業をあせって、おろそかにすると、
花を生けたときに、しゃん、とか、りん、とかしない。
大事な土台つくり。人生と同じように、土台つくり(基礎)が
大切なのだ。

ビオラのヨッシーの引越しもいよいよ近づいてきた。昨年の秋に引っ越して
きたばかりなのに、縁あって嫁いでいくことになった。来月17日に
入籍する。京都祇園祭の宵山の日だ。
お母様も引っ越してきたときと同じように、手伝ってくださっているが、
来たときよりも、何倍か幸せそうだ。あたり前だけど。
こちらも彼女がこの街からいなくなるのは、寂しいけれど、元気に
送り出したいと思う。昨日はお花の原田先生よあえて幸せそうだった。
この天才的なビオラリストがどんな花を生けるのか、少し楽しみだ。

夜は、来月の2日に入籍する親族の「お祝いの蕎麦会」があった。
この子?たちも、自分の子どもみたいに思えるくらい、親しく
させてもらっている。どちらの両親も、子どもたちが気があうように、
初めてだとは思えないくらい、しっくりしている。「花泉」「小左衛門」
などで乾杯した。

年をとってくると、結婚式より葬式のほうが多くなってくる。
でも天真庵を文花に結んでから、結婚式のほうが多くなってきた。



人生50年

2009-06-27 06:27:02 | Weblog
今月は、「気骨の会」の幹事だった菊川君が
49歳で旅立った。昨日50歳で逝ったマイケルジャクソンと
同じ心臓発作だった。
平均寿命は延びたけど、元気で長生きするというには、
なかなか大変なことだ。
自分も20代にガンになった経験があるけど、ガンというのは、
突然召されることはないので、ある意味、生まれ変るチャンス、
生き方を変えることができるチャンスでもあると思う。
人間は100%死ぬようになっている。毎日一生、日々好日で
いきたいものだ。

昨日ワカが夕方天真庵にきた。
彼も昨年7月に食道ガンが発見され、9月に手術し、
その後抗がん治療んぼため、2度入院し、ビタミン療法とか
食事療法、いろいろな運動療法をし、今のところ普通の
人とかわらない状態までもどった。これからは、新しい
道を歩く決断をしたらしく、昨日は「じゃばら酒」で祝杯。

今日は「花のお稽古」。山口から月に一度原田先生がやってこられる。
「花は野にあるようにいけよ」と、利休はいっていたらしい。
野に下った人、自然の中で自分が生かされている、と謙虚な気持ちに
なってみないと、見えないものがある。
縁あって、今日からワカも、机を並べて、花をやることになった。
「落飾」 いろいろなものを、そぎ落として、生きていきたいものだ。

煎茶

2009-06-26 06:13:47 | Weblog
昨日は煎茶のお稽古に表参道ヒルズの裏にある教室にいった。
もう少しまじめにやると、今年は教授の免許をいただける予定だ。
免許はどうでもいいけど、名前を決めなければならない。
織田流煎茶道では、「南」をつけるのがならわし。
3代前の家元は「南洲」。西郷隆盛の号だった。

自分の名前をとって、「南栄」というのが、無難な名前。
天真庵の名前をとって、「南天」というのもいいが、のど飴
みたいな感じがしたりして・・
焼き物の名前から「南蛮」というのもいいが、これは差別用語らしい。
九州弁の「なんでんかんでん」からとって「南田」というのもいいか・・
などと毎日悩みながらいろいろ考えているところ。

来週は7月だ。今年も半分が終わったことになる。
政治も経済も「夏の陣」は、暑い戦いになりそうだ。

呼吸を整え、こころを波打たないようにし、煎茶をゆっくりいただく。
そんな「りん」とした時間を、1日1回は持ちたいものだ。

住む

2009-06-25 08:30:33 | Weblog
そんな名前の雑誌を時々買ったりする。
先月は「日常茶飯」という特集だった。
本屋で立ち読みしていたら、中にかっこいい外人が
宝瓶(ほうひん)で玉露を入れているページがあった。
写真の構図やお菓子の写真はいまいちだったけど、そのページ
が気に入ったので買った。

また違ったページに茶道具が紹介されていて、その中に
樺細工の茶入れがあり、銀座の松屋で売られていると
あったので、昨日はまよわず銀座へ。
そして松屋に入るころになって、「あの骨董や」
のことが気にかかった。
そして、やはりその奇人の骨董や、ほとんどあいてなくて、
玄関のブザーも接触が悪く、いればラッキーな骨董やに
いった。

ラッキーに主人はおられて、45度の急な階段をあがり、
古色蒼然とした布張りのソファに腰を下ろして、
四方山話をしながら、井上春峰の染付け茶碗で、宇治茶を
ごちそうになった。
この主人は、主従(人生で何が大切で、なにがどうでもいいか)がしっかりとしている。
東大を出て、高級官僚の道を歩まれていたけど、そんな
道を捨てて、野に下って、骨董やになった。
「大学」とか「職業」とか「財産」とかそんな見栄とは、
対岸を生きてきた。だから、この店に飾ってある「書」
は、「人間らしく生きてきた文人」たちの人生があふれていて、
そこに座っているだけで、清らかな風がふいてくるようだ。

天真庵の二階には、エアコンがついていない。ので
これからは暑い。でもそんな中にあっても、飾っている書が
「清風」をおくってくれるのだ。
「主従」をしっかりきめると、ブレないし、小さいことに悩まなくなる。
悩んだり、苦しんだりするのは、自分がまだ半端な証拠かもね。



休み

2009-06-24 09:50:24 | Weblog
今日と明日は連休。
長野に眠る友だちの墓参りにいこうと予定していたけど、
元気が少し昨日の暑さのためか、元気がないので中止。
引越しの準備などをやる予定。

昨日ひさしぶりに、三上君が遊びにきた。相変わらず
子どもがおかまになったみたいな、不思議な雰囲気を
漂わせながら、近況報告。
もう部屋を借りて半年以上になるけど、ときどきチャリンコやかさ
が一階のカフェ予定部分にあったりするけど、一向に進展していない様子。
彼のまわりにも、舞台の道具係や機用なアーティストがたくさんいるので、
本気になれば一気呵成にカフェは完成すると思う。
「時を待つ」というのも立派な才能だ。

最近若いけど、カフェをやっていたり、農業をやっていたり、
好きな道を歩いていたり、また歩いていこうとしている元気な
人たちが集まってくる。
一昔前は、少しお店が成功すれば、いい車にのったり、ブランド
ものを身につけたり、なんとなくチャラチャラしたタイプの人間が
多かったが、最近の店主で元気な人たちは、身の丈をしっていて、
地道に足をつけて歩いていたり、大地を耕そうとしていたり、
芸術の大切さなどを体で理解している若者が多い気がする。

「ひとの顔」が見えないお店や、「ひとのぬくもり」のない会社は、
そろそろ敗戦の準備をしなけばいけない時期になっているような感じ。
やっぱり「ひと」がこれからのキーワードだろう。


今日は英語は中止です!

2009-06-23 06:39:36 | Weblog
昨日の朝、英語の岩本先生から、「友だちのお母さんの
お葬式が入ったので明日の英語は中止にできますか?」と
メールが入った。
ので、すぐにBCCにて、みんなに配信した。今朝はそれに
返信してくれた仲間に、返信した。

昨日お店にいったら、岩本さんがやってきた。
「今朝メールをうったのですが、明日の英語・・・」という
「すぐに返事をだしたよ」
「見てませんでした」
なんとなく、間の抜けた話だけど、歩いて5分の長屋に引っ越して
きたからこそできる技だ。感謝。

携帯のない時代。
代々木に事務所があり、歩いて15分の新宿南口で、
友だちと6時半に待ち合わせをしたことがある。
時間に正確なまじめ、いや、くそまじめな友だち。
会社にその友だちから直前に電話があり、「10分おくれると
伝えてください」とのこと。
その電話をとった社員が、走れメロスみたいに汗だくになって、南口に走って
その友だちの伝言を伝えてくれた。
そのあと、何もなかったように友達が涼しい顔して、新宿南口の改札に現れた。
その友だちとは、いまだに友だちでいる。

お金は落すとチャリンと音がするが、信用は失っても音がしない。

そんな言葉を思い出した。


小さな家に住む

2009-06-22 06:06:20 | Weblog
昨日は一日中雨だった。
こんど引っ越す家は、とても小さな一軒屋。
池袋で最初に住んだ家は、敷地が140坪で、
三階建て(約80坪)の鉄筋の家だった。
最初は「インターネット寺小屋」をはじめて、その次の年に
南條先生の寒山拾得の絵を飾り、「天真庵」が始まった。

最初に我が家に嫁いだ絵は、今でも天真庵の二階に飾ってある。
寒山拾得の絵に「白日青山に遊ぶ」と揮毫されている。
会社はとても順調だったけど、一度リセットしたことがある。
その時に「出直し」の気持ちで、新宿の街を歩いていた時、
ちょうど雨が降ってきた。陽水の歌みたいに、傘がなかったので、
目の前にあった三越美術館に雨宿りしたら、そこで南條先生が
いた。傘もないし、お金もなかったけど、その絵がとても気にいって
買ってしまった。しばらく、家にはその絵しかなかった。

こんどの家は、小さいけど、小さい庭があり、そこには池もある。
床の間もある。
床の間に気に入った掛軸を飾り、お茶を飲む。
「それだけいい」と思っている。ちゃぶ台があれば、そこは天守閣。

立って半畳、寝て一畳、どんなに飲んでも二合半

毎日、いらないものを整理する。落飾。いらないものを
極力身の回りからはずして、シンプルにしたいと思っている。







カシアス・クレイ

2009-06-21 06:32:07 | Weblog
昨日かえってテレビを見たら、クレイ(のちのモハメッド・アリ)とフレージャー
の3度にわたる死闘のドキュメントをやっていた。最初の試合があったときは、
まだぼくが中学の時だ。ビデオもない時代に、どこでどうやって見たのか
覚えていないが(時効になっているけど、授業をさぼって、どこかで見たような
気がする)、鮮明に覚えている。でもそのころは、ボクシングは好きだったけど、
そんなに知識もないので、昨日あらためて見てみると、ふたりの偉大なチャンプの
ボクシングに再び感動した。あのころは国内の試合もゴールデンタイムで放送されていて、世界戦をやるときは、塾をさぼってテレビで応援していた。
平成10年からヨネクラジムに通ったので、そのころ応援していたガッツ石松や
柴田さんとジムで時々当事の話なんかをするのが、また楽しかった。

来年あたりは、またヨネクラジムに通ってみたいと思う。
若いボクサーたちが、体ひとつで、ボクシングに打ち込む場というのは、
「気」に満ちていて、空気も凛としていていい。

明日は「スケッチの日」 和香菜さんにあうと、元気がもらえる。
あさっては「英語で蕎麦会」
先日岩本さんの家の前にいくと、郵便受け(うそ、ないので、表にはさまっている)に英字新聞が見えた。「長屋で英語」もいいもんだ。

なんじゃかんじゃで今年も「半分」おわる。