長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ジャズやクラシック

2010-08-30 07:47:05 | Weblog
昨日はnobieと伊藤志宏くんのジャズライブだった。
ふたりとも若いし、時代や音楽や哲が、くくりがない、
というか融通無碍で、しかも基礎がしっかりしているので、
ジャズでもボサノバでも、マイケルジャクソンでも、なんでも
「ならでは」で、演奏したり歌うことができる実力を持っている。
伊藤くんのアルバムで、彼が奏でるアコーディオンとクラリネット
のセッションを聴いていて、「なるほど」と痛感した。
これからの音楽は、いろいろなジャンヌを超えて、「ここでしかやれない」
「自分しかやれない」という世界が広がっていけば、いい。
11月13日(土)に、またふたりでやってくれることがきまった。

9月25日(土)のKazuko Babaと国貞雅子のジャズも楽しみになってきた。
10月31日(日)は「JAZZ 十間橋」spice cafe と天真庵と、中小企業センター
の三箇所でジャズ祭り。この街でかやれないもの、を目指したい。

明日から9月3日まで「夏休」のためお店はおやすみ。

あけて、9月8日(水)は「クラシックコンサート」19時開場 19時半開演
2000円(蕎麦・珈琲つき) 若干の席あり。


フルート 小松崎恭子
オーボエ 今西香菜子
ピアノ 田淵祐子

1 ドビュッシー:小舟にて 2 ジョプリン:エンターティナー
3 ニールセン:二つの小品 4ノブロ:メロディー
5 ショパン:ノクターン第2番
6 ショパン:革命
7 シューマン:トロイメライ
8 ジュナン:グランド・テデュオ・コンセルタント

(休憩)

7 グリーンスリーブス
8 テレマン:二本のフルートの為のソナタ3番より1・2楽章
9 大島ミチル:風笛
10 ホールニューワールド
11 スティル:魔法と踊り
12 フォーレ:ファンタジー
13 ドゥメルスマン&ベルテルミ:ウィリアムテル

毎月1回、このパターンで、「これからの音楽家の出番」
みたいなことをやっている。今のところクラシックが多く、
12月まで埋っているけど、JAZZも同じような機会をつくる予定。


いろいろたいへんな時代だけど、「夢」とか「希望」とかが
なくなったら、おしまい。
ジャンヌを超えて、音楽にふれあっていると、明るい明日が
見えてくる。 感謝。

素敵な日曜日

2010-08-29 07:43:08 | Weblog
今日は、「エリカ庵」の日。
夏の間、こりこりに体をほぐしてもらう日。
「もなか屋」も、元気に開店。
天真庵は、16時までやっていて、それからはリハーサル。

明後日から3日までは「夏休」
といっても、この屏風を避難させるために、実家と往復する旅。


月落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る (『楓橋夜泊』 張継)

寒山(かんざん)が文殊菩薩の化身で、拾得(じゅっとく)が普賢菩薩の化身であると、
日本人は教えられてきた。そんなことを知らないのは、日本人ではない、
と、大塚の江戸一に通いつめた文人の言葉が懐かしい。
今日は、中国語や書を学ぶ「文人」みたいな人たちが、夜のライブに
やってくる。
この絵を描いた南條さんは、よく寒山拾得の絵に「相語相笑」と揮毫した。
「相(あい)語り、相(あい)笑」 時には先生になったり、時には生徒になったり、
時には演奏したり、また反対にお客さんになったり、「共に楽しむ」という和
が、静かに広がっていく。そんなイメージが沸くときは、幸せな時間。




jazzな日

2010-08-28 07:21:10 | Weblog
8月25日にリリースされたKazuko babaさんの新しいCDを昨日は
1日聴いていた。「The Power of Tate」。
「運命を変える愛の力」・・・過去と他人は変えられないけど、自分と未来は
変えることができる。もちろん運命も。
最後に愛が勝つ、という歌があったが、やはり愛がいい。
近所の江戸っ子のおっちゃんは、暑い日でも「ほぼぶらじるのほっと」
と注文する。「江戸っ子が、アイス(愛す)なんていえないよ」とのこと。
確かに、「愛」というのは、日本語で発音すると気恥ずかしいところがある。

9月25日にKAZUKO babaさんといっしょにライブをやってくれる「国定雅子」
さんは、イメージチェンジした。黒人のソウルっぽい音楽に見せられた彼女
なので、髪の毛もそれっぽくカールして、コンタクトもやめ、黒ぶちのメガネを
かけて、こころの底から語りかけるように、JAZZを歌う。
下関出身。やまねさんや、お花の原田先生も同郷。
誰がこのふたりを会わしたかしらないけど、天の配剤、のごとし。

今日、明日は「もなか屋」が開店日。
暑いので、平日でも「もなかありませんか?」
といわれること多し。ほんとうに暑すぎるよね。

明日は「エリカ庵」
もうすぐ暑い夏も終わり、季節は秋を迎える。
この季節は体をちゃんとケアーしていないと、疲れが
抜けない。戦国時代みたいな時代だから、やはり
体が大事やね。

明日の夜は、nobieのライブ。
ノビー、っておもろい女子だ。
昨年のある日に、ふらっと蕎麦を食べにやってきた。
なんどか蕎麦を食べにきて、「ここでライブやらして」
という話になった。うまく言えないけど、うまい。



本所警察

2010-08-27 07:42:02 | Weblog
昨日はおやすみだった。午前中本所警察にいってきた。
別に悪いことをしたわけではない。免許の更新。
墨田区では初めての更新。係りの人に免許を渡したら、
「ここではできません」といわれ、紙をもらった。
講習区分に(過去5年間に軽微な違反1回のみの方)という
ところに、えんぴつで○が書かれてあった。
記憶にないけど、逆らってもしかたがないので、あきらめて、
出直すことになった。

義理の親父が、大森の病院に入院しているので、見舞いにいき、
気分転換に、千葉のそばやにいった。池袋時代に出会い、意気投合し、
それから天真庵の蕎麦粉はそこからひいている。
蕎麦屋の隣が、そば畑だ。いつもの年なら、もうとっくに蕎麦の種まき
をするのだが、今年は雨が少ないので、土の具合がよくなく、一雨を待って
いるとのこと。異常気象は、珈琲も蕎麦も影響を受ける。

ここの蕎麦屋の主人は、書をやる。
自分が揮毫したものが、店内に飾られている。
「そばよ、おまえは、石臼に挽かれ、こねられ、のばされ、
たいへんな思いをしながら、おいしくなっていく・・・」
そんな感じ。
トイレには
「人生には、ふんばりどころがある」
と書いてある。お客さんも用をたしながら、なるほど、とうなずく。
新しいのがあった。

「携帯もいいけど、のびちゃうよ。あまりながいと、
蕎麦も僕もきれちゃうよ」
なるほど、このお店も携帯でメールしながらや、写真をとって・・・
という人に悩まされているらしい。

そんなことを思っていたら、「軽微な違反」を思い出した。
4年前に陶器などを積んで、池袋と押上の往復をしていた時、
携帯が鳴って、それをとったら、チャリンコにのった警官に
つかまった。やはり、携帯をところかまわずやっていると、
いろいろなものが、きれる。ま、こんど携帯が壊れたら、
二度と買わないつもりでいるけど・・・

今日は「ねんど」の日。
コネルのまいこさんが先生で、みなで土をこねる日。
自分の手を使って、自分の思うものをつくる日。

明後日(日曜)は、「エリカ庵」。
エリさん、リカさんがやってきて、整体をやってくれる日。
まだまだ暑く、とくに二階は暑いけど、二階で整体を受けて
降りてくる人の顔は、みな別人。(ブスが美人になる・・・
そんな別人ではありません)

日曜の夜は、nobieの歌と伊藤志宏さんのピアノのJAZZライブ。
一ヶ月前から満席状態で、ファンの方なんかにもうしわけない思いをさせた。






The Power of Tate

2010-08-26 09:19:23 | Weblog
昨日は店を早仕舞いして、六本木のアルフィーにいった。
Kazuko Babaのピアノで、国定雅子が歌う、という不思議な
そして、とても素敵な企画。
Kazuko Babaは、ながくニューヨークを舞台に活躍したジャズピアニスト。
あの、ブルーノートでも何度か演奏したことのある実力派。
ある日、論語の会にきた。それが縁で天真庵にくることになった。
そして、天真庵の一周年記念に、ワカがジャズピアニストの荒武裕一郎くん
を連れてきてくれて、天真庵にピアノがくる縁ができた。そして、ワカがイチオシ
のボーカリストが、国定雅子さんだ。天真庵でも2度ほど歌ってもらった。

それから、オーボエのかよちゃんが、バロック音楽をやってくれたり、
音楽祭を企画してくれたり、N響の山根さんや、赤松林太郎くんたち、
若いアーティストたちが、コンサートをしてくれるようになった。
もにじんこと、ギタリストのじんじんさんとマツモニカさんのライブも
天真庵には、きってもきれない関係になってきた。
そういえば、今日の朝日の朝刊のオフィス設計の一面広告に、赤松林太郎
くんたちの「ホルン三重奏」のことが掲載されてある。

それと同じ内容の「ホルン三重奏」を「十五夜コンサート」として、9月22日にやることになっている。
昨日のジャズ「Kazuko Baba&国定雅子」も9月25日の夜にやることになった。
一時が万事、こんな調子で、出会うものはみな縁、別れるのもまた縁みたいに、
めくるめく、いろいろな音楽家の人たちと、ふれあう日々を楽しんでいる。

世界中の政治も経済も自然も、この星そのものが悲鳴をあげているような状態だけど、
少し呼吸をととのえて、1日1回くらいは、静かに珈琲でも飲みながら、いい音楽を
聴きたいものだ。そして月に1回くらいは、コンサートホールやライブハウスに出かけて
、「生」の音楽にふれあうくらいの「ゆとり」がほしいものだ。
昨日はひさしぶりに「オールドクロウ」をロックで飲みながら、そんなことを思うた。

昨日リリースされたKazuko babaさんの新しいタイトルが「The Power of Tate」。
「運命を変える愛の力」・・・過去と他人は変えられないけど、自分と未来は
変えることができる。もちろん運命も。




KAZUKO BABA

2010-08-25 08:01:09 | Weblog
今日は、六本木のアルフィーでkazuko Babaさん、
とジャズの歌姫・国貞雅子のコンサートがある。
そして、Kazuko Babaの新しいCDも本日発売になる。
たまたま、別々な機会に、天真庵でライブをやってくれた
ふたりが、いっしょにアルフィーでやる、というのは
なんだか感慨深い。

そして、このふたりが天真庵で9月25日に、ライブをやってくれる
ことになった。秋の夜に、ジャズを聞きながら蕎麦会。まさに「じゃずそば」
だ。今から、なんだかウキウキする。
9月の27日は、N響のクラリネットのふたりが競演する「クラシックコンサート」
がある。どちらも、「こんなところ(天真庵)でやるには、もったいないような
内容」だと思う。でも縁があって、そうゆうことになった。
昨日はクラリネットをやる若い音楽家がきて、カウンターにおいてあるホワイト
ボードを見て、「私、この方のCDを聴いています。彼の名前が手書きでホワイト
ボードに書いてあるの、初めてみました」といった。褒められているのか、けなされて
いるのか、一瞬とまどったが、何か新鮮だった。
あり得ないようなことが、おこる。だから昔から「ありがとう」といって、そんな
ことに感謝してきた。
まだまだ暑い日が続くけど、確実に秋が近づいてきた。

9月は8日(水)に、「オーボエ」のコンサートもある。
9月22日は、「十五夜コンサート」(クラシック)

芸術の秋、音楽の秋、蕎麦もうまくなる秋。

50を超えても、迷う日々。

2010-08-24 07:37:41 | Weblog
昨日は、「順受の会」の日だった。
論語の会。もう15年近くやっている。
それだけ、みんな年をとった。孔子では
なく講師の先生が、
「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳にしたがう、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず・・・という孔子の言葉がありますが、40を過ぎて15年くらい過ぎても、
まだまだ迷っています」という話をされた。まさに小生もしかり、だ。

久しぶりに若い青年が入門した。関大出身の25歳。
こころなしか、関西弁もすがすがしい。
今、竹細工の講師をやってくれている清水くんも、関大出身だ。
今はどうかしらないが、ぼくらの学生のころは、「士農工商」
みたいに、大学のレベルを並べて称した。
大阪では「関関同立」(かんかんどうりつ)といった。関西学院(かんせいがくいん)が先か、関西大学(かんさいだいがく)が先かは、知らないが、それぞれの大学が、
「最初のカンは、うちや」といっているのだろう。
京都では「同立関関」といっていた。でも、♪吾が母校立命、
では、「立同関関」といっていた。律令制度みたいに古いお話しだ。
ちなみに、ソフトバンクが創業したころは、誰かれともなく
「士農工商コンピュータ」といっていた。これは、今もそうかも?

その関学でのにいちゃんが、トイレからかえってきた時に、
亀田窮楽の書に、関心があるらしいことをいった。
まさに「漢学?」か。久しぶりに若い入門者が入って、
新しい風が吹いたような夜だった。
「精研窮本原」 精しく研いていけば、本原(根本)を窮める、
つまり、井戸(水)は深く掘れ、といったような意味だろう。
老若男女を問わず、研きあう仲間、ともに楽しみあう仲間がいる、
ということは、幸せなことだ。 天恩感謝。

jazzな日

2010-08-23 07:22:20 | Weblog
土日と、「すみだストリートジャズフェスティバル」が開催された。
昨日は、それに参加したジャズドラマーのセシルモンローさんが遊び
にきた。同じ文花一丁目に住む町内会仲間でもある。
こないだkazuko babaさんとセッションしたギタリストの井上さん
がきた時に、なんやらなつかしそうに英語で話をしていた。
「なんだ、モンローさんは英語がしゃべれるの?」と日本語できくと、
「ちょっとだけ、下手だけど」と流暢な日本語がかえってきた。
なんとも陽気なジャズマンだ。
界隈でも10月31日に「JAZZ十間橋」がある。

まだまだ残暑が厳しい中、昨日は竹細工の教室をやった。午前、午後
とそれぞれ、10人近くの人が二階でもくもくと竹を編んでいた。
まったく、下にいると、人の気配がない。みんな集中していると、
異次元か異空間にシフトするのかしらん。
多士済々な人たちが、思い思いのものをつくる。そして、それぞれの
生活の中で使われ、育っていく。とてもいいことだ。

今日は、「順受の会」。
先月から王陽明の「伝習録」を勉強している。
教科書は「新書漢文大系 22 伝習録 」明治書院22  近藤康信【著】/鍋島亜朱
華【編】

なんやら難しい学問をやっているみたいやけど、学問はみな
実践哲学みたいにならないと、あまり意味はない。かといって、
学問にふらずに、生きていても、「いざ」というときに、何も
できない。人生には、のぼり坂と下り坂とまさかの坂の3つの
坂がある。のぼり坂と下り坂は、経験とか努力とかで、なんとか
対処できる。「まさかの坂」というのは、日ごろのこころがまえとか、
思い、とか、人柄とか、で、超えられるか否かがわかれるらしい。
まさにこれかの時代は「まさかの坂」が多そうだ。

竹細工

2010-08-22 08:12:59 | Weblog
今日は竹細工の会。
大阪弁をしゃべる清水さんが別府からやってくる。
「こなもん」が好きな大阪気質。こないだは、
「そばがき」にはまっていた。たしかに、そばがきも
こなもんや。

そんなわかで今日は朝から掃除したり、そばをうったりしていたら、
雨?の音がした。昨日よりも明るいし、考えても「?」なので、窓を
あけてみたら、隣のおっちゃんが、うちのプランターに水をあげていた。
おもわず、「おおきに」と挨拶して、また蕎麦を打った。
下町の人たちは、おせっかいだけど、不思議な「あうん」で繋がっている。
今月末から、4日ほど夏休をとるけど、植物くんたちは、大丈夫だ。

明日は「順受の会」
この会は長いことやっているけど、会員制みたいに、
同じメンバーが机を並べて、勉強している。そして
その後お酒を酌み交わしながら、談論している。
不思議な「論語の会」。

すみだストリートジャズフェスティバル

2010-08-21 07:32:00 | Weblog
今日と明日、そんなジャズの祭りが、錦糸町界隈で
おこなわれる。第一回目だ。
どんなイベントも不慣れだし、最初は苦労するけど、
するだけのものはある。達成感とか一体感がいい。
長く続いていけるイベントになればいいと、つくづく思う。

フレー フレー すみだ すとりーと じゃず ふぇすてぃばる

とエールをおくりたい。

10月31日(日)に、「JAZZ 十間橋」が開催される。
うれしいことに、墨田区の広報や新聞社あたりから取材の
申込があったり、ボランティアに名乗りをあげる人があったり、
小さな「この指」に、とまる和が広がっている。
利害得失に関係なく、いろいろな人たちと音楽やイベントを
通じて、「ともにたのしむ」というのは、感動がある。
ここで、この街でしかやれない、そんなイベントが各地で
広がっていくことがいい。「ものまね」はあかん。

来週の29日(日)には、「ヴォーカル nobie ピアノ 伊藤志宏」
で、ジャズのライブをやる。一ヶ月くらい前から満席だけど、
楽しみなライブ。robieは、ふらっと蕎麦を食べにお店にきて、
二回目の蕎麦を手繰っているときに、「ライブやらせてください」
という話になった。うちで演奏するジンジンさんや、荒武くんや、
近所にいるジャズドラマーのモンローさんたちが、「彼女は天才だ」
という。初めてライブをやった時に、みんなが感動して、「もう一度・・・」
という話がでて、今回のライブがきまった。ピアニストの伊藤さんも
今注目のピアニスト。

明日は「竹細工の会」
昨日は「スケッチ倶楽部」だった。みんなでほうずき市の風鈴付のほうずきを
描いた。それぞれの「個」がとてもよかった。
近所の十間橋は朝から、デジカメをもった人たちがカシャカシャやっている。
毎日見ていると、少し辟易としてくる。ときには、「あなろぐ」になって、
スケッチをしたり、竹を編んだりしたいものだ。人間も地球も「あなろぐ」
なんだから。

月曜日は「順受の会」。別名、「論語の会」
とある企業のえらいさん?が先日ふらっときて、「論語の会に幹部を
参加させてもらいたい」という話があった。
人数の関係(多すぎた)で、今回はやんわりと、おことわりをした。
これから、世界中の会社や組織が、なりいかなくなる、というのは
自明の理だ。「文人」みたいに、組織や体制に関係なく、お金とは
違った価値観で生きていく、みたいな気概が必要な時代、ということに、
大きな会社の人たちも、やっと気づき始めたみたいだ。
文人みたいな「自由人」になるというのは、けっこう最初は不安がいっぱいだし、
途中も人からは変人あつかいされるし、たいへんなことだけど、
肝がしっかりときまってしまうと、おもしろくなってくる。
論語とか、東洋の「哲」には、そんな「自分の肝を鍛えてくれるエキス」
がいっぱいつまっている。