長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

恵みの雨

2009-09-29 06:19:23 | Weblog
久しぶりに雨がふっている。
毎朝庭に水をまいて、お店の前のプランターにも水を
あげ、めだかにえさをあげる、というのが日課になっている。
雨の日は、だから朝の仕事がずいぶんはぶける。

今日から日曜日までSPICE CAFEで、まりちゃんが個展をやる。
昨日は搬入で、その後前夜祭?花泉をかなり飲んだ。
この町に初めてきた日に、陶芸家の升さんといっしょにSPICE CAFE
で、カレーを食べた。その時に、まりちゃんが、SPICE CAFEで
スタッフとして明るく働いていた印象が、今でも脳裏に焼き付いている。

夕方林君たちが、挨拶にきた。
「こんどの満月の日に旅立ちます」とのこと。
つまり10月4日に、いよいよ和歌山に引っ越すことになった。
今回は養蜂にも挑戦するらしい。生き方そのものがアーティスティックで
おもしろい。ぼくのおじきも宮崎で養蜂をやっていて、小さいころ
よく遊びにいった。水のきれいな里山の風光明媚なたたずまいは、
自分にとっては、強烈な原風景。

昨日「七緒」を買ってみた。プレジデント社の着物の本。
裏表紙に、天真庵で撮影した着物の写真がのっている。
中の記事を見ていたら、「好日居」がでてきた。
先月お茶会をやってくれた横山さんのお店。不思議な縁を感じる。

今日は「英語で蕎麦会」
夕方に、旧友がそばを食べにくる。不思議な蕎麦会になりそうだ。




みかん君

2009-09-28 06:17:57 | Weblog
天真庵の暖簾は、不思議な紙の繊維でつくっている。
製作したのは、みかん君。昨日はわざわざ静岡から、元気に
あいにきてくれた。奥さんのなおちゃんも、娘のひなちゃんも元気をえらく
かわいがってくれた。マホマフは、3人の合作みたいなものだ。
天真庵の改装をやってくれた中心人物のひとりでもある。
いろいろな雑誌に紹介されるとき、表から店を撮影すると、
必ず、暖簾がいい風合いでうつっている。
昔から「のれんわけ」というように、のれんというのは
とても大切な店の「顔」だと思う。

元気を火葬する日に、彼の足を写真にとって、友だちにトレース
をしたもらった。それを、次の暖簾に入れてみよう、と突然
思い立った。どんな具合になるかわからないけど、今日その
打ち合わせ。

今日は普通なら、月末の月曜日で「順受の会」という論語の会だけど、
来月になった。明日は英語で蕎麦会。






松茸ごはん

2009-09-27 06:40:12 | Weblog
ちょっと贅沢だけど、昨日の夜のスケッチの会のとき、
松茸ごはんをつくった。
米を炊く30分前に洗う。
松茸に、大木代吉さんの料理酒(うちのチーズケーキにも
いれる)をスプレーする(味が別物になる)。
魔法のフライパン(注文して3年かかる)で、干し海老を
煎って、それにだし汁(うちの場合はそばつゆ)に入れ、
松茸を刻んでいれる。これで下準備がOK。
伊賀の釜に、お米と上の仕込んだ松茸汁をいれて、15分
待つ。松茸の「松」は「待つ」という言霊。
鳩山さんも、時を待った、けど、「待つ」というのは
とても大切な才能だ。
15分たったら、15分くらい蒸らす。やはり、待つ。
「はじめちょろちょろ なかぱっぱ 赤子泣いても
蓋とるな」
松茸ごはんのふたを取る瞬間の幸せなこと、至福の秋。

秋はいいなあ。
10月6日に「クラシックのコンサート」を
やることになった。N響のやまねさんが「ぼくが一番尊敬する音楽家」
という人が初めて、天真庵で演奏する。とても楽しみ。

10月の「三丁目のジャズ」も、チケットが残りわずかになった。
3日は、3回目の「エリカ庵」。秋は、体のケアーも大切だ。
秋は、お酒も食べ物も音楽も、みなおいし。

時を刻む時計

2009-09-26 06:09:29 | Weblog
昨日の朝、白井晟一さんのアトリエで、彼が生前から
愛用していたクラシックな時計のぜんまいをまいて、
振り子をふってみた。
「チクタク、チクタク・・・」と動くけど、2分くらいすると
止まる。時計がまっすぐ安定していない場所だったので、
何箇所か掛けなおして、やってみたら、ぴたっとくる場所
があった。そこに備え付けて、再度振り子をふってみると、
動いた。
「古時計」の歌は、おじいさんが生まれた日にやってきたけど、
ここの古時計は、元気が旅立ったときに、いただいた。
鳥が玉子から孵化するとき、卵のなかからつつく(そつ)。すると親鳥
は、ここ、というタイミングで外からつつく(たく)、その微妙な
タイミングが同時に行われて、新しい命が誕生する。
その「そつ」と「たく」のタイミングを見て、「悟りの瞬間」
みたいなその時を禅では「そったく」という。
そんなことを考えていたら、この時計の「チクタク・・・」
というのが「ソッタク・・・」に聴こえてきた。

夕方は、富川勝智さんの「19世紀ギターの夕べ ぱーと3」だ。
いつものように1830年にフランスで生まれたギターを
かかえて、富川さんが颯爽とあらわれた。
そのギターをつくった職人、そしてそれを最初に弾いたギタリスト
も、その演奏を聴いた人たちも、もうこの世にはいない。
でも、ギターは縁ある人たちに受け継がれていき、いつしか
海を渡って日本にやってきて、生きている。作曲家も逝って
しまったが、「曲」は時代を超えて、生きている。
調弦も大変な古いギターだけど、現代のものとは次元の違う
「音」で、昨日もクラシカルでクリスタルな気分になった。

最後にターレガが作曲したラブリマを弾いてくれた。
「元気君にささげる曲です」とのこと。
ラブリマ、「涙」という悲しい曲だ。でも人は、
悲しいこと、寂しいことを音楽にしてきたけど、
涙を流すことで、浄化してきたし、涙で目を洗って
きた。だからたくさん泣いてきた人の眼は美しい。

今日は「花」のお稽古。月に一度山口から原田先生
がやってくる日。今日はピアニストの赤松林太郎君も
参加する。日本一の花の先生のもとに、多士済々な
人たちが集まってくる。
音楽や花や書など、芸術はとても素敵だけど、
人間が出会ったり、分かれたり、悲しんだり笑ったり
して生きていくものがたりそのものが、アートでは
あるまいか、と、つくづく思う。

夜は「スケッチの会」。
今日は芸術のダブルヘッター。



白井晟一

2009-09-25 06:36:43 | Weblog
という天才的な建築家のアトリエが、引越しをする。
昨日は、その手伝いにいってきた。
アトリエそのものも、作品であり、建築家の間では
あこがれの対象だ。新目白通りに面した、なぞのような
建物。重いドアを1歩踏み込んだだけで、そこは別世界だ。
松濤美術館、芹沢圭介美術館、親和銀行・・などを設計した
仕事場にお別れをしにいった。

書も有名で「文人の書」としては最高峰にある。
天真庵の2階には「生」という作品を飾ってある。
天真庵の窓際のランプも、贅沢だけど白井さんのコレクション。
昨日は、アンティークな時計と鏡をいただいてきた。
それらを飾ると、また店の雰囲気がかわってきた。

今日は「19世紀ギターの夕べ ぱーと3」
明日は、お花。夕方から「スケッチ」


こんないい天気

2009-09-24 08:53:36 | Weblog
朝から涼やかな風がふき、空気はからっと気持ちがよく、
空も青々と澄み切っていて、草や木や鳥たちが、謳歌しているようないい朝。
こんないい天気は、1年でも何日もないので、大事にしたいと思う。
軽く一時間くらいジョギングと散歩をし、朝食をすませ、ひさしぶりに
「つばさ」を見た。
庭木に水をあげ、めだかにえさをやり、お店の植物にも水をあげる。

これから、少し準備をして、今日は建築家の白井さんのアトリエに
いく予定。

先週は、元気のことで、いろいろな人にお世話になった。

まず、水曜日に元気を病院に連れていくとき、前のガス管工事の人たちは、
お店にくる人に、「ワンちゃんの具合が悪くなって、病院にいった」ことを
説明してもらった。病院の先生やスタッフには、ほんとうにお世話に
なった。元気も「吉田病院」と縁があったことを、きっと喜んでいる。

その後、自宅で息をひきとった。それを聞きつけた近所の経師やさんが
「寂しくなったので、最後にシゾウ(秘蔵の意味)の酒をもってきた」
と、田酒の山廃をもってきてくれた。洗張りやの張福さん、近所の黄粉飴や
の家族も、花を手向けにきてくれた。ねんどのまいか先生、英語の岩本先生も
元気におわかれをいいにきてくれた。

翌日は、骨になった元気を、親戚や友だちが、尋ねてきてくれた。
一番喪失感の強い日だったけど、いろいろな人に励まされた。

金曜日は、朝から、じんじんさんや、お茶の会にきてくれたMさんたちが、
花をもってきてくれた。ぼくは、花が似合わないけど、彼らは絵になっていて、
それをおくられた元気も、なんとなくうれしそうだった。SPICE CAFE
のシャフのご両親も、茶花をもってきていただいた。伊藤さんは、腕のいい
木工やさんで、元気の小屋とベランダのドアをつくってもらった。
細部まで神経が行き届いていて、元気も新築の天守閣に鎮座する殿様みたいな
気持ちだったのではなかろうか。あまり食欲もなく、気落ちしているぼくたちに、
SPICE CAFEのおかあさん、通称しょうこさんが、あんぱんを差し入れて
くれた。あの慈悲深い味は、一生忘れられないと思う。10月3日にやる「エリカ庵」
さんも不思議な食べ物を差し入れしてくれた。

金曜日の夜は、「偲ぶ会」みたいなタイムドメインになった。いつものメンバー
と、元気を偲びながら、「早春」や「くどき上手」などを飲んだ。
親といっしょで、くどき下手だった元気は、一生独身だったけど、
ほんとうに、いろいろな人に愛された。
元気も最後まで、「逝く日」を決めていたように、次の日が定休日の午後に
旅立ち、誰にも迷惑をかけず、次の日が火葬の日になり、翌日に仲間たちに
おくられ、シルバーウィークも連日いろいろな方が、弔問にこられ、ピアノ
と、その隣の席が、祭壇のようになっている。

昨日はSPICE CAFEのシェフ夫妻が、夕方の休憩時間に弔問に
きてくれた。親子家族スタッフ、お客さん・・みんないい人たちだ。その後ピアニストの文庫ちゃんが、「蒼天」をもって、きてくれた。
「蒼い天に帰っていった元気を思い」ということらしい。彼が
天真庵の工事中に差し入れてくれたお酒が「帰山」だった。
「自然にかえる。自分のほんとうにいい場所にかえる。」というような
意味だった。そして、その酒を扱っている四つ木の杉浦酒店さんと縁ができ、
世継ぎのあやちゃん夫婦とも家族みたいな付き合いになり、よく間違われる
東砂のリカーショップすぎうらさんたちとも、親戚みたいなつきあいになった。
そして、いい酒友のSさんが大学の後輩で酒博士みたいなSさんを連れて
きてくれたり・・・・酒の和も広がってきた。元気は生前は飲めなかったけど、
今は、お店では、久保さんの織部の盃で、家では、志野の杯で飲んでいる。

まだこちらにきて、お店を開いて、2年半しかたっていないけど、ほんとうに
素晴らしい人たちに囲まれながら、毎日過ごしているのだなあ、と痛感した
一週間でもあった。

明日は富川勝智さんの「19世紀ギターの夕べ ぱーと3」
元気が演奏の時、拍手がおきると、駆け寄っていって「ブラボー」みたいな
ことをやっていたけど、明日は静かに、19世紀のヨーロッパの秋、みたいな
ものを満喫したいと思う。




実りの秋

2009-09-23 06:09:42 | Weblog
夏に植えた「つり花」が、実を赤くして、そこから
赤い果実が見えてきた。この秋の姿を、「花を釣っているみたい」
と思った古人が、そう命名したのだろう。
あまりみない植物なので、路行く人たちが、たちどまって
よく見ている。

シルバーウィークも今日まで。高速道路の上りが渋滞して
いるらしい。

「人の行く 裏に道あり 花の山」
高速道路が休日料金になり、シルバーシートならぬ
シルバーウィークができて、行楽地へ・・・
みんなと同じことを、あいかわらず好む日本人。
でも、これからは、「個の花」をそれぞれ、咲かせる
ようなことがとても大切になってくる。
個の花は、人と同じ道を歩いていると、けっして見つける
ことはできない、と思う。

秋は本来は「実りの秋」だけど、今年の秋は
同時に、「種まきの秋」だと思う。
新しい時代に向けて、まわりの「心ある人」
たちは、新しい1歩を踏み出してきたように思う。




芸術の秋

2009-09-22 06:07:03 | Weblog
昨日は林君たちが、元気に線香をあげにきてくれた。

天真庵の改装をやってくれた中心メンバー。
ちょうど、3年前に彼がヨーロッパから帰国していたので、
手伝ってもらった。
厨房の中に、神棚がある。土間を掘り返したときにでてきたものを
祀ってある。昭和20年の東京大空襲の時に、ここが焼けたときの生活用品
みたいなものがたくさんでてきて、その中のひとつの「かけら」を
お供えしてある。界隈の人は、あの日のことは、みんな昨日のことのように
鮮明に脳裏に焼きついているのだ。ときどき手をあわせて、お祈りをしたり
する人がいる。
その神棚をつくってもらったのが、けいちゃん。その神棚の神域で、ふたり
が結ばれ、昨年結婚をして、今年の春に、長屋で産婆さんが、男の子を
とりあげてくれた。名前を「仁葉」(には)という。昨日は「仁葉君の
天真庵デビュー」の日でもあった。みかんジュースをおいしそうに飲んだ。
あと15年くらいすると、お酒も飲める。

天真庵の玄関とか、椅子をつくってくれた般若君も、今年の7月に
結婚した。たまたまこの1月、自分のつくった玄関のドアをあけ、自分の
つくった椅子に、ヨッシーが座った。そこからビビビ、なのか、ピーン
とくるものがあったのか、電光石火のようなひらめきがあって、
7月の木曾の祭りの日に入籍をした。

ときどき「縁結び」みたいなことをいわれることがあるが、
それは、きっと厨房の中にある、その不思議な神棚の「おかげ」
だろうと思う。

林君たちは、来月早々に和歌山のほうに引越しをする。
ヨッシーも、木曾の花嫁になって7月に、山に嫁いだ。
出会いというのは、別れと表裏一体だし、子どもが生まれる
、というのは、命を次の世代に紡いでいく、つまり「死」の準備
でもある。

林君が最近つくった、林の中の木の精霊を布に焼き付ける、
不思議な作品をひとつ、いただいた。
カウンターの前の壁にかけたら、涼やかな風が吹いた。
みんな、風のように、自然の中で、生まれそして死んでいくのだ。




芸術の秋

2009-09-21 06:15:40 | Weblog
やはり、高速道路は渋滞しているみたい。
正月の東京は、人口がぐっと減るので、車も少なく、
空気も田舎みたいに、澄んだ感じになる。
この連休中も、天真庵のある十間橋通りは、車も
人も少なく、空気が澄んでいて、5時過ぎになると、
外が暗くなり、お客さんも入ってくるやいなや、おもわず
「こんばんわ」なんて挨拶したりする。

先週までは、家からお店まで、元気を散歩させながら、シャドーボクシング
などしながら、15分くらいかけて、通っていた。
元気がいなくなると、1分くらいでついてしまう。近所の人がそんなぼくをみて、
「通う路が変る、というのが寂しい」といってくれた。
ので、以前と同じように、SPICE CAFEの裏の団地の
前の道を、ひとりで歩いて通っていると、同じ近所の人に
「後姿が寂しそうだった」といわれた。
では、今日からうさぎとびでもしながら、通うことにしようか?

いつも傍らにいた家族がいなくなる、という寂寥感を初めて味わった。
でも3日目くらいからは、彼の人生に拍手をしたくなったり、見事な
最後に「命の尊厳」、みたいなものを感じ、悲しみの奥底からわきあがって
くるような「生のよろこび」みたいなものを、感じたりするように
なった。うまくいえないけど。
心を精妙にして、音楽、とくにクラシック音楽を聴いていてると、作曲者が
どんな心境で、この曲をつくったか?みたいなところが垣間見られたり、
同じ波動になったりできるようになった、気がする。

連休あけ、25日(金)の「19世紀ギターの夕べ ぱーと3」の富川勝智
さんのライブも楽しみになってきた。

ニューヨークに在中のピアニストからメールがきた。
10月の「三丁目のジャズ祭り」にお客さんとして、きてくれるらしい。
押上にきて、3度目の芸術の秋。少しずつだけど、優美に広がって
いるような手ごたえがある。 感謝。



菰野町

2009-09-20 06:19:02 | Weblog
こものちょう、という。
三重県にある。ここに「早春」という10年寝かせた古酒を
杉浦さんがもってきてくれた。
一昨日の「偲ぶ会」は、みんなでそれを飲んだ。ひねてなく、
秋に常温かぬる燗で飲む、とうまい。元気の人生の大半を
藏で眠っていたお酒を飲む、というのはぼくにとっては、
筆舌が及ばぬ味、歴の味がした。「うーん」という間に、
いろいろなものが去来するのだ。

昨日は、大学の後輩で、日本酒をこよなく愛してやまないS君とSさんが、
元気に花をもってきてくれた。一昨日からピアノが祭壇になり、花で飾られ、その横のテーブルも花であふれ、昨日はその一席が使えなかったので、
お店に入れないお客さんが、あまたいた。

同じタイミングで、また菰野町の
早春が届いた。不思議な縁だけど、天真庵の器の9割が、菰野町で
作陶をやっている久保忠廣さんのものだ。昨日の朝、久保さんから
新作の器が届いた。その中の「志野(しの)」のぐいのみをおろして、
早春を飲んだ。久保さんの志野は、最近の売れっ子陶芸家の「作為のある
白」ではなく、あったかい土にふわっとつもった雪のように、自然で
凛然とした雰囲気がある。年を重ねていくと、お酒、とくに日本酒の
うまさが一段と美味くなる。今回のように、深い悲しみを味わったり
すると、またうまさの底に届くくらい、酒の味わいも深くなる。
鳩山内閣ができた日、日本にとっては、歴史的な瞬間に、鳩山家の
愛犬といっしょに、天に昇華していった元気には、やはり「天命」
があったのだろう。

天真庵の暖簾をつくってくれた「みかん君」からも、
激励の電話をもらった。彼のデザインした魔法のような不思議で
暖かいマフラー、「マホマフ」がそろそろ必要な季節がやってくる。
でもこのマフマフが一番似合っていたのは、「元気」だったような気
がする。