初めての寝台列車に乗って私は次の目的地ブッダガヤです。
列車の旅はまあまあ快適でした。
初めは緊張があって眠れないかと思ったけれど、
鉄道のあの独特のリズムをを聴きながら目を瞑っていると
いつの間にかぐっすりと眠ってしまったようです。
あたりがざわつく音に目が覚めた時はもう夜が明けて、
列車の中にもうっすらと朝の日の光が差し込んでいました。
大陸の夜明けは朝靄のかかることが多く、日の出とともに赤みを増す空の色が
その靄を通してロマンチックな優しいピンクに見えるのです。
朝もやとともに開けていく一日。
それは私の大好きな光景でした。
だからインドにいる間は早起きをして居ました。
一人旅のつまらないところは
あまり夜遊びができないところです。
女一人の夜遊びはやっぱりどこの国でも危険が伴うのです。
インドの夜は賑やかでとても楽しいのですが、
連れがいる時にした方が無難でしょう。
でも朝が素敵だからその美しい瞬感をいっぱい楽しみました。
それに何より、誰かに教えてもらったことがあります。
悪事を働く者は大抵夜に仕事をする、早朝は寝ているはずだから
早朝は悪者のいない一番安全な時間なのだ、とね。
インド滞在中、いつも頭の片隅に警戒心を持っていました。
日本でこんなことは滅多にありませんね。
だって平和ですもの。
泥棒もいるだろうけどコソ泥はあまりないでしょう。
田舎なら家の鍵をかけずに出かけても問題ないくらいです。
インドはどこに居ても油断できません。
私だって何度かコソ泥の被害に遭っていますし、コソ泥未遂の楽しい話も知ってます。
びっくり仰天。
多分きっとここでしか起こらない出来事じゃないでしょうか。
でもその話はまた後ほどにしておきましょう。
警戒心を持ちながら日々を生きる、のがインドの旅の面白さなんです。
物見遊山だけでは済まされない奥の深さがある旅の面白さ。
インドを旅した人の根底にはこの国の在り様をこよなく愛する心があるのだと思います。
日本では決して見ることのできない自分が見える事も楽しいのかもしれません。
列車がガヤの駅に着いたのは昼下がりの一番暑い時でした。
その日の目的地は実はここから何キロか離れた
ブッダガヤという場所だったのでここには泊まらないつもりだったのです。
でも鉄道の遅延でもう午後になっています。
お腹も空いて居ます。
結局私はガヤで一泊することにしました。
ブッダガヤへは明日出発します。
インドの旅って本当に予定通りには行きませんよね。
それもまた楽し、と思うのが旅の醍醐味でしょう。
ガヤ街ののことはほとんど覚えていません。
結構ガヤガヤして居た印象はあります。
地方都市なのでバスや車も多かった気がします。
覚えているのはわずかに
泊まった宿のおじさんの風体と
その部屋から見た駅前の喧騒だけですね。
宿はバスターミナルの近くでした。
様々な方向に行く乗り合い乗用車や馬車が好き勝手にたむろしている風に見えました。
私は馬車に釘付けになりました。
聞けばその馬車でブッダガヤまで行けるようです。
馬車で行けるなんて、素敵です。
日本なら観光地でしか乗れない馬車で
旅から旅へと移動です。
なんてロマンチックでしょう。
こんな事なかなかできない経験です。
誰だって当然馬車に乗るでしょう。
まあ、馬車と言ったって乗り合いですけどね。
その馬車で行けば目的地まで二、三時間くらいかかったのでしょうか。
その辺ちょっと覚えていませんが、遥か遠くまで野や畑や丘が続いて行く大地を縫うようにして
馬車は進んでいきました。
一本道でした。
一本道というのもいいものです。
広い大地に一本だけ道がついて居て
皆がそこを通ります。
一本道を行く経験も日本ではあまりないですよね。
なんてことはないのだけど、だた気持ちがいいのです。
当時は途中に町らしきものはなかったと記憶しています。
ブッダガヤはお釈迦様が悟りを開いた場所です。
そこにはその沖の下で悟りが開かれたと言われる菩提樹の木があり、それを囲むように寺院もあります。
インドの古い遺跡のようなお寺でした。
私が訪れた時には本当に小さな村でした。
でも今やホテルとかできてとても賑やかになっているようです。
私が行った時にはお寺以外にはほとんど何もなかった気がします。
ホテルなんかなかったし泊まるのはその周りにある寺の宿坊だけ、
私はネパール寺院の宿坊に泊まりました。
五ルピー(百円ちょっと)くらいだったと思います。
まだタイのお寺もブータンのお寺もありません。
今はカラフルなお寺や土産物屋がいっぱいあって
以前とは色調がすっかり変わってしまったようです。
私が当時泊まった部屋はネパール寺院の宿坊でした。
部屋は暗くてドア以外はその横にある窓だけです。
そこからw塚に外界の光が入り込んで居ます。
暗い石の部屋でした。
ベッドが一つあるだけで奥にシャワーとトイレがついて居ます。
もちろん水シャワーで
窓には御多分に洩れず鉄格子がついています。
インドでやだなと思ったのはどんな金持ちの素敵なおうちでも
窓には鉄格子。
鉄格子があると刑務所とか、動物園とか、
とにかく檻に閉じ込められている印象が強すぎますよね。
私がその日ネパール寺院の宿坊で
初めて知ったのは日本製の蚊取り線香の威力でした。
蚊帳がなかったので夜の蚊の多さには閉口しました。
でも私はガイドブックに推奨された
日本の金鳥蚊取線香を持参していたのです。
窓際のちょっとしたスペースに蚊取り線香を置いて寝ると、
朝起きてびっくり。
線香の周りには大量の蚊の死骸が転がって居ました。
まさに大量殺戮です。
日本製蚊取線香おそるべし、!
実はね、知る人ぞ知る話ですが、
アジアの国で日本製の蚊取り線香はスーパースターなんです。
これほどの殺傷能力はインド製やタイ製にはありません。
メイドインジャパンの猛毒です。
だってタイ国では金鳥の蚊取り線香の箱には大きなドクロマークがついて居ますのよ。
その威力を異国ブッダガヤで知ることになろうとは。。。。
でもここではた、と気がつきました。
この毒を、
睡眠中、私自身も吸っているのか。。。。。?
私たち日本人はこんなに強力な蚊取線香を
結構昔から使っていたその傍らで
マスクもせずによく寝て居たものです。
ある時期からは電気で無臭。
睡眠中どれほどの毒を吸引してきたか、
全く無意識でした。
でもこうして目の前でその威力を見るとちょっと怖くなったのです。
それ以来蚊取り線香には気をつけています。
ブッダガヤは物凄い数のハエもいました。
寺院の石のレリーフが遠くから見ると真っ黒です。
何だろうと思って近づくと
止まっていたハエが一斉に飛び出してそのうるさいくらいの羽音が聞こえるのでした。
その数には本当に驚きました。
見たことがないハエの数。
本当に真っ黒。
それが蠢いているように見えるので目を引くのです。
そうですよ、無数の生きているハエが手をこすったり足をこすったり。
あの時以来あまりそういう光景にお目にかかったことがありません。
村のレストランにもハエ取りのリボンが下がっていたのを思い出します。
ハエ取りリボン、
シニアならご存知ですよね。
粘着剤の塗ってある紙のリボンを天井から下げて
飛んでいるハエをくっつけて捕獲するものです。
昔は日本にもありました。
結構ハエが多かったものですが、これほどの大量のハエを見たことはありませんでした。
でもそれも今は昔のこと。
現在は観光客も多く環境も整えられているようですから
衛生面も強化されてハエも昔のようにはいないと思います。
何しろヒンズー教の聖地ではないし、
仏教国からのツーリストも少な時時代のことですから
土産物屋などもありませんでした。
インド人観光客でさえもまばらです。
日本寺はあったし、時々日本からツアーが来ることもあったようですが、
そういう人は大概ガヤの街のホテルに宿泊して
日帰りでここを訪れるコースでした。
お釈迦様はこの菩提樹の下で悟りを開かれたと言われているその大きな木は、
ブッダ誕生以来四代目になる木だそうです。
その当時は
ああそうなんだ、と頭を納得させるだけの感慨だったと思います。
でも実際には、
その場のエネルギーに触れた体験が
魂のどこかに記憶されているはずです。
それが私や私の歩む人生にどう影響を与えているのかは全くわかりませんが、
何かしらの影響はあったはずだと考えます。
日本では先日処刑された
オーム真理教の麻原彰晃が無理やりブッダ悟りの場所に入り込み
ブッダガヤのことが少し話題になりました。
それ以来この菩提樹は鉄柵で囲われているそうです。
九十年代に入って
ブッダガヤを訪れる観光客はとても多くなったようです。
それに伴い村の雰囲気も人々も変わって行ったに違いありません。
旅を続けていると
そのあたりの人々の変遷を見ることもあって、
複雑な気持ちになります。
昔のままの心を持ち続けて居てくれることを祈ります。
三日ほど滞在して私は村の子供達とすっかり仲良しになりました。
日本から持ってきたミルクキャンでぃーもあげたしね。
村をさる時には
馬車に乗った私を子供達がどこまでもどこまでも追いかけてきました。
その時の心を打たれた記憶は今も忘れることができません。
本当にいつまでも必死になって馬車を追いかけて来るのです。
手を振りながら追いかけて来るのです。
こちらが帰り道を心配になるくらいいつまでも追って来たのでした。
美しい思い出の一つです。
幸いなことに私が行った時には
そのような観光地じみた雰囲気は一切感じませんでした。
ただそこにいる人たちに守られている静かで落ち着いた場所だったのです。
私はここに何日か過ごしました。
こんなに落ち着いた静かな場所をそれまでも今も
思い出せないくらいです。
雨季には大きな流れとなるニランジャナ川の川床がその時はすっかり干からびて
まるで砂漠のように目の前に広がっていました。
滞在中朝ごはんの後は水のない川べりで
瞑想したり夢想したりしながら時を過ごしました。
まあ大抵インド人の子供たちが付きまとってきて
日がなおしゃべりをしていた方が多かったかもしれません。
ある日小さな雨が降りました。
傘を差すまでもな小雨です。
あっという間に止んでしまいましたが、
乾期の間にもたまにはこういう時もあるようでした。
砂漠で優しい雨に打たれながら、「甘露」という言葉が胸に浮かびました。
それはまさにスイートな露のような雨だったのです。
何しろその川があまり幅広いので
目の前に広がる川床はまるで砂漠のように見えました。
夕日が沈む頃には地平線がピンクのに染まって天国にいるような美しさです。
見渡す限りのなだらかな起伏ある大地に人工建造物は一切ありませんでした。