目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

インド一人旅の思い出・安宿街

2019-02-08 | お題

前回カルカッタの街の話を書いたら

突然自分が泊まったゲストハウスの筋向かいにあった

ホテルパラゴンのことを思い出しました。


大きな街には宿泊料金の安い宿が集まった場所があります。

私が泊まったのはホテルモダンロッジ。

一晩の部屋代は二十ルピーでした。

当時一ルピーが二十二円くらいの換算だったと思います。

その頃は円もまだ安かったのですね。

私の部屋は日本円にすると四百四十円、

向かいのホテルパラゴンは確か十ルピーくらいで泊まれたような気がします。

二十ルピーの部屋にはシャワーがついてますが、十ルピーの部屋は共同のシャワーです。

あと、パラゴンにはドミトリーもありました。

ドミトリーは相部屋という意味で

大きめの部屋をカーテンで仕切ってベッドを何台も並べたようなのが大方でした。

さすがに私はドミトリーに泊まったことはありませんが、

ホテルパラゴンで初めてドミトリーを見た時に、ちょっと無理だなって思いました。

何しろカーテン一枚向こう側は見ず知らずの他人ですよ。

寝返り打つのだって聞こえるのです。

旅の日々は楽しいけれど疲れます。

楽しみながらしかしいつも緊張しています。

だからせめて夜くらい、鍵をかければ一応安心な環境で寝たいものです。

その環境を得るのにあと百円余分に払えばいいだけなんだから、

何も無理して節約する必要はありませんよね。


ところが、初めて行ったインドの初めての街で

そのドミトリーに一年も暮らしている日本人がいました。

パスポートも売っちゃった、とか行ってましたっけ。

あの人はいつか日本に戻ってきたのでしょうか?

なんどもインドに行くようになってから知ったことですが、

この国では彼のように沈没してしまう人によく会いました。

日本人では二、三人いましたね。

自分の居場所はベッドの上とその周りのわずかな空間だけなんですよ。

そこで一年間暮らしているといってました。

布一枚を腰に巻いて持っているものは布袋ひとつ。

楽しそうに微笑みながら旅行者と朝な夕なにお喋りしているのです。

ちょっとうらやましくなりました。

そんな人生もいいかもしれない、そう思ったような気がします。



朝、朝食をとるのはホテルの近所の旅行社向けレストランです。

そこへ行けばお客は皆旅行者ですので色々と旅の情報が聞けました。

日本人旅行者と出会って日本語でおしゃべりする楽しみも

こういう場所があったからです。

旅行者といっても当時インドを旅しているのはほとんどが男性でしたね。

それとやっぱり若い人がほとんどでした。

いかに安く旅をするか、それが自慢の旅人が案外多かったので

ホテル代二十ルピーというと、

リッチだね、なんて言われたものです。


街で知り合ったそんな旅行者が泊まっていたのがホテルパラゴンです。



たいていの旅行者はカルカッタには長居しませんでした。




当時のガイドブックには大都市は危ないから早く出た方がいい、なんてそんなお勧めが載っていました。


だから私もそんなつもりでいたのです。

ところが計画は航空会社の手違いで台無しになってしまったわけです。

でもそのおかげで、長期滞在の楽しさを覚えることができました。






インド滞在中いつも思ったものですが、

この国は私にとって魔法のような国でした。


自分の身に起こることには全て教えが隠されているのです。


三十八年前、まだこの国にはトイレットペーパーが普及していませんでした。

インドの人たちは今だって昔のまま紙は使っていないはずです。

それを知っていたので自分で一つは持参したのに、

それはどこかへいったままの荷物の中でした。

マーケットでやっと見つけた外国人用のトイレットペーパーは二十ルピーもします。

トイレットペーパーとホテルの部屋代が同じ値段ですよ。



仕方がないので

トイレはインド式で済ませるしかありません。

初めは、えー手で洗うの?

できるかなーって、ちょっとした戸惑いがありました。

でもやってみると紙を使うよりも清潔感があることに気がつくのです。

洗った手もその後石鹸でよく洗えば、綺麗になっています。

よくよく考えると、

この習慣悪くない、とすっかりインド式のファンになってしまいました。


ミネラルウォーターもその頃は売っていませんでした。


生水は飲んではいけないと注意されていましたから、

レストランで頼む飲み物にも苦労しました。

日本と同じようにサービスの水を運んできてくれるけれど、

素性のわからない水は飲まないようにしていました。

頼んだのはいつもレモンソーダ。

日本では馴染みのない無味無色の炭酸水にカットレモンがついていて

それを絞って飲むのです。

注文すると

ウェイターが栓を抜いた炭酸水のボトルに

フニャフニャのストローをさして運んできました。

ストローが見たことがないほどフニャフニャでした。

飲んでいる途中で潰れてそれっきり吸えなくなったりしましたね。

面白かった。

日本人と会うと、そんなインドのあるある話で盛り上がったものです。


コカコーラも売っていませんでした。

あるのはリムカとカンパコーラという名のコカコーラ風のものだけです。


だからいつもレモンソーダ。

でもこれが熱いインドではさっぱりとして美味しいと知ったのも

選択がなかったからですよね。

そんなこんなで驚くことがいっぱいのインドの旅は始まりました。

五日後にやっと荷物を受け取ってこの街を出ることになったのです。
















コメント
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