夜行寝台列車、
なんとなくロマンティックな響きです。
それまで私は一度も寝台列車に乗ったことがありませんでした。
まだ日本にもその頃は寝台列車が存在していました。
乗ったことはなくても
テレビや映画でその様子も見てそれなりに知っていました。
決してそれと同じものを期待していたわけではないけれど、
実際列車に乗り込んだ時にはやっぱりその違いに驚きました。
インドの列車は日本より幅広のレールを使っているので
必然車体も日本より大きいです。
車内は三人がけの座席が向かい合わせになっています。
乗車口側には通路と窓際に向かい合わせの一人席が並んでいました。
座席指定券を持っていたので自分の座席があるわけですが、
行ってみると座席は木の板。
クッションは何もない、ただ平たい木の板だけです。
幅は広く
スペース的にはゆったりしていましたね。
後でわかったことですが、三人がけなのは寝台を下ろすと三段のベッドになるからです。
ベッドは背もたれ部分に下ろしてあって
寝る時には板を上げて太い鉄の鎖で吊るせる構造になっていました。
寝台列車といっても板が三枚吊るされた棚のような寝床です。
その一番上が私の場所でした。
縄梯子のようなステップを上って自分の場所に陣取ると初めて辺りを見回す余裕ができました。
一番上にしてよかったです。
車内は人でいっぱいでした。
すでに夜中の時間なので暑さはそれほどでもありませんでした。
ただ人々のざわつく空気はなかなか治らず車内が静かになるまでにはしばらく時間が要りました。
とりあえず誰にも邪魔されない自分の場所を確保して、少し安心した私は
リュックサックを一番奥に押し込んで寝袋を広げました。
とりあえず寝袋に入り込んでしまえば、
形だけでもこの雑踏から逃れて自分の世界に入ることができるような気がしたのです。
手持ちのショルダーバッグと虎の子のトラベラーズチェックは抱いて寝ます。
インドの人は旅行好きというか、
色々と宗教的な巡礼とかあるのでしょう。
相当な数の鉄道利用者です。
派生して思い出したことですが、インドにはダラムサラーという宿が
国中にあるようです。
ダラムサラーとは聖地巡礼に行く人のために用意された
低賃金の宿のこと。
もちろんホテルのようなサービスは受けられませんが、
お金のない人でも旅ができる工夫を政府が面倒見てくれるのです。
こんな制度が日本にもあったらいいのにと思いますわ。
巡礼の旅に出る人の数はとても多いのでびっくりしますよ。
当時のインドの鉄道駅は日本のそれと違って
誰でも自由に出入りできました。
ですから誰が旅行者で誰が見送りの人なのか、わからないような大勢の人の固まりをいくつも見かけました。
中にはちょっと怖いような異質な風体の
オレンジ色をまとった人たちもいました。
それは社会から離れ宗教的に生きる道を選んだ人々。
サドゥです。
サドゥのことは日本語で「行者」とか「苦行僧」と訳されてます。
このサドゥは運賃を払うことなしに、いつでも自由に鉄道を使って良いことになっています。
インドの国はこの者たちの存在を尊敬の気持ちを持って認めているのですね。
その多くの身なりはオレンジ色の衣服を見にまとっていました。
けれども実際は黒い衣服、白い衣服などのグループがあったのですが、
オレンジ色はよく目立ちました。
食べ物も食べたいところに行けば
もらえるようになっています。
何人もサドゥの要求を断れない掟のようなものが存在しているのです。
それが国の決まりです。
これは全く異質の文化ですよね。
だからインドは面白い、と言えるでしょう。
異質なものを見たり聞いたり触れたりするのが旅の面白さなのです。
ヒンドゥ教の人たちにとってサドゥは絶対です。
なぜならサドゥは現生の楽しみを捨て出家した者たちだからなのです。
家族を持つ楽しみ、家を持つ楽しみ、ご馳走を食べる楽しみ、
金持ちになり、所有する楽しみ、そんな極上の楽しみを脇に捨て
その身一つで自分の信じる祈りの道苦行の道だけを歩む覚悟。
その覚悟に対する尊敬と感謝の気持ちを多くの人が持っています。
そういった宗教に対する土壌の違いは
とても興味深いものです。
話がサドゥのことに及んでしまいましたが、
そんなわけ鉄道を使うとサドゥの姿を見ることが多いのです。
初めは見てちょっとびっくりしましたよ、
何あの人たち、ってね。
そう思うと、日本にはあまり毛色の変わった人っていませんよね。
昔に比べれば多様になっているには違い無いと思います。
が、まだまだ大陸インドや欧米諸国に比べれば
同じような人ばかりの国に属するでしょう。
だいたい日本人の気質に異質を嫌う傾向があるのも影響しているのでしょう。
そんな風に今まで自国では見たこともない人々を観察しながら、
ついに私の待ちかねた寝台列車が十七番線ホームに現れました。
本来なら夕方出発して昏れなずむ大陸の景色がまだかろうじて見えるはずでした。
でも五時間ほど遅れています。
明日の朝には目的地に着く予定だったのに、
これではいつ着くのか見当もつきません。
とにかく流れに身を任せるしかない状況なのでした。
駅は大変混雑していました。
人と人の間を縫うように進んで目的の列車を見つけた時には
ホッとしました。
それから自分の乗る車両に貼り付けてある一枚の紙を見つけて
座席番号と予約番号の名前の一致を確認しました。
なんとも面倒な手続きです。
なんのために?こんなことするの?
その理不尽さに腹が立ちました。
この国では信じられないような理不尽がまk李通ることがままあって
そんな時には本当に腹が立ちました。
が、旅人としては従わざるを得ないのです。
張り出された名簿に名前がなければチケットを持っていても
乗車ができないと言うのです。
重いリュックを背負いながら自分の名前を確認し、
この儀礼を通過してさ、いよいよ待望の列車の旅が始まりました。
席の番号はすっかり頭に入っています。
その席は三人がけの板の一番奥。
鉄の柵で防御された小さな窓のそばでした。
聞けば鉄の柵で守らないと窓から席を取ろうとする人がいて
大騒動になるからだとか。
あと、夜中の強盗の侵入を防ぐため。
やっぱりインドは噂通り物騒な国なのです。
列車はあっという間に人でいっぱいになりました。
皆が私の方を見ています。
私が珍しい者だからでしょう。
実はここで驚きの告白をしますが、
当時私は人々がよく私のことをネパーリー、ネパーリーというの聞きました。
私は今の今まで、よくネパール人に間違われたよね、と記憶していたのです。
でもこうして思い出していると、
当時の私の髪型はショートカット。
そしてそのいでたちは赤い綿のパンツ姿であります。
もしかしたら、インドの人たちの目に私は
ネパール人の男として写っていたのでは無いでしょうか。
そんな気がします。
だってインドネパールで当時の女の人はパンツを履かないし、
リュックサックも背負わないし、髪も短くしていないのです。
私のスタイルはどう見ても男です。
胸も割と質素ですし。
今の今までそこに想いを馳せたことは一度としてありませんでした。
しかし考えてみれば見るほど
そうに違いなく、
私はずっとインドの人にネパール人の男だと思われていたようです。
だからセクハラもなく旅ができたのかもしれませんね。
そっか、なんだかちょっと微妙です。
勇敢にも私に声をかけてきた人は私が女だと気づいてさぞかしびっくりしたことでしょうね。
それにしても、もしもその当時にこのことに気がついておれば
旅もまた違ったものになったかもしれません。
怪しそうな人間にはわざと男らしく振る舞って見たり、
それはそれで楽しかったでしょうね。
全く新しい発見に旅の思い出を辿るのがもっと楽しくなってきました。
なんとなくロマンティックな響きです。
それまで私は一度も寝台列車に乗ったことがありませんでした。
まだ日本にもその頃は寝台列車が存在していました。
乗ったことはなくても
テレビや映画でその様子も見てそれなりに知っていました。
決してそれと同じものを期待していたわけではないけれど、
実際列車に乗り込んだ時にはやっぱりその違いに驚きました。
インドの列車は日本より幅広のレールを使っているので
必然車体も日本より大きいです。
車内は三人がけの座席が向かい合わせになっています。
乗車口側には通路と窓際に向かい合わせの一人席が並んでいました。
座席指定券を持っていたので自分の座席があるわけですが、
行ってみると座席は木の板。
クッションは何もない、ただ平たい木の板だけです。
幅は広く
スペース的にはゆったりしていましたね。
後でわかったことですが、三人がけなのは寝台を下ろすと三段のベッドになるからです。
ベッドは背もたれ部分に下ろしてあって
寝る時には板を上げて太い鉄の鎖で吊るせる構造になっていました。
寝台列車といっても板が三枚吊るされた棚のような寝床です。
その一番上が私の場所でした。
縄梯子のようなステップを上って自分の場所に陣取ると初めて辺りを見回す余裕ができました。
一番上にしてよかったです。
車内は人でいっぱいでした。
すでに夜中の時間なので暑さはそれほどでもありませんでした。
ただ人々のざわつく空気はなかなか治らず車内が静かになるまでにはしばらく時間が要りました。
とりあえず誰にも邪魔されない自分の場所を確保して、少し安心した私は
リュックサックを一番奥に押し込んで寝袋を広げました。
とりあえず寝袋に入り込んでしまえば、
形だけでもこの雑踏から逃れて自分の世界に入ることができるような気がしたのです。
手持ちのショルダーバッグと虎の子のトラベラーズチェックは抱いて寝ます。
インドの人は旅行好きというか、
色々と宗教的な巡礼とかあるのでしょう。
相当な数の鉄道利用者です。
派生して思い出したことですが、インドにはダラムサラーという宿が
国中にあるようです。
ダラムサラーとは聖地巡礼に行く人のために用意された
低賃金の宿のこと。
もちろんホテルのようなサービスは受けられませんが、
お金のない人でも旅ができる工夫を政府が面倒見てくれるのです。
こんな制度が日本にもあったらいいのにと思いますわ。
巡礼の旅に出る人の数はとても多いのでびっくりしますよ。
当時のインドの鉄道駅は日本のそれと違って
誰でも自由に出入りできました。
ですから誰が旅行者で誰が見送りの人なのか、わからないような大勢の人の固まりをいくつも見かけました。
中にはちょっと怖いような異質な風体の
オレンジ色をまとった人たちもいました。
それは社会から離れ宗教的に生きる道を選んだ人々。
サドゥです。
サドゥのことは日本語で「行者」とか「苦行僧」と訳されてます。
このサドゥは運賃を払うことなしに、いつでも自由に鉄道を使って良いことになっています。
インドの国はこの者たちの存在を尊敬の気持ちを持って認めているのですね。
その多くの身なりはオレンジ色の衣服を見にまとっていました。
けれども実際は黒い衣服、白い衣服などのグループがあったのですが、
オレンジ色はよく目立ちました。
食べ物も食べたいところに行けば
もらえるようになっています。
何人もサドゥの要求を断れない掟のようなものが存在しているのです。
それが国の決まりです。
これは全く異質の文化ですよね。
だからインドは面白い、と言えるでしょう。
異質なものを見たり聞いたり触れたりするのが旅の面白さなのです。
ヒンドゥ教の人たちにとってサドゥは絶対です。
なぜならサドゥは現生の楽しみを捨て出家した者たちだからなのです。
家族を持つ楽しみ、家を持つ楽しみ、ご馳走を食べる楽しみ、
金持ちになり、所有する楽しみ、そんな極上の楽しみを脇に捨て
その身一つで自分の信じる祈りの道苦行の道だけを歩む覚悟。
その覚悟に対する尊敬と感謝の気持ちを多くの人が持っています。
そういった宗教に対する土壌の違いは
とても興味深いものです。
話がサドゥのことに及んでしまいましたが、
そんなわけ鉄道を使うとサドゥの姿を見ることが多いのです。
初めは見てちょっとびっくりしましたよ、
何あの人たち、ってね。
そう思うと、日本にはあまり毛色の変わった人っていませんよね。
昔に比べれば多様になっているには違い無いと思います。
が、まだまだ大陸インドや欧米諸国に比べれば
同じような人ばかりの国に属するでしょう。
だいたい日本人の気質に異質を嫌う傾向があるのも影響しているのでしょう。
そんな風に今まで自国では見たこともない人々を観察しながら、
ついに私の待ちかねた寝台列車が十七番線ホームに現れました。
本来なら夕方出発して昏れなずむ大陸の景色がまだかろうじて見えるはずでした。
でも五時間ほど遅れています。
明日の朝には目的地に着く予定だったのに、
これではいつ着くのか見当もつきません。
とにかく流れに身を任せるしかない状況なのでした。
駅は大変混雑していました。
人と人の間を縫うように進んで目的の列車を見つけた時には
ホッとしました。
それから自分の乗る車両に貼り付けてある一枚の紙を見つけて
座席番号と予約番号の名前の一致を確認しました。
なんとも面倒な手続きです。
なんのために?こんなことするの?
その理不尽さに腹が立ちました。
この国では信じられないような理不尽がまk李通ることがままあって
そんな時には本当に腹が立ちました。
が、旅人としては従わざるを得ないのです。
張り出された名簿に名前がなければチケットを持っていても
乗車ができないと言うのです。
重いリュックを背負いながら自分の名前を確認し、
この儀礼を通過してさ、いよいよ待望の列車の旅が始まりました。
席の番号はすっかり頭に入っています。
その席は三人がけの板の一番奥。
鉄の柵で防御された小さな窓のそばでした。
聞けば鉄の柵で守らないと窓から席を取ろうとする人がいて
大騒動になるからだとか。
あと、夜中の強盗の侵入を防ぐため。
やっぱりインドは噂通り物騒な国なのです。
列車はあっという間に人でいっぱいになりました。
皆が私の方を見ています。
私が珍しい者だからでしょう。
実はここで驚きの告白をしますが、
当時私は人々がよく私のことをネパーリー、ネパーリーというの聞きました。
私は今の今まで、よくネパール人に間違われたよね、と記憶していたのです。
でもこうして思い出していると、
当時の私の髪型はショートカット。
そしてそのいでたちは赤い綿のパンツ姿であります。
もしかしたら、インドの人たちの目に私は
ネパール人の男として写っていたのでは無いでしょうか。
そんな気がします。
だってインドネパールで当時の女の人はパンツを履かないし、
リュックサックも背負わないし、髪も短くしていないのです。
私のスタイルはどう見ても男です。
胸も割と質素ですし。
今の今までそこに想いを馳せたことは一度としてありませんでした。
しかし考えてみれば見るほど
そうに違いなく、
私はずっとインドの人にネパール人の男だと思われていたようです。
だからセクハラもなく旅ができたのかもしれませんね。
そっか、なんだかちょっと微妙です。
勇敢にも私に声をかけてきた人は私が女だと気づいてさぞかしびっくりしたことでしょうね。
それにしても、もしもその当時にこのことに気がついておれば
旅もまた違ったものになったかもしれません。
怪しそうな人間にはわざと男らしく振る舞って見たり、
それはそれで楽しかったでしょうね。
全く新しい発見に旅の思い出を辿るのがもっと楽しくなってきました。