目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

インド一人旅の思い出・カルカッタ

2019-02-06 | お題

久しぶりにインド旅行の思い出話をいたしましょう。

初めての一人旅でインドのカルカッタに到着した時、

航空会社の手違いから荷物が受け取れなかった私は、成り行き上カルカッタの街に

五日間滞在することになりました。

ーその経緯については記事が別にあります、よかったら読んでみてください。ー

その間、持って居たものは手荷物だけ。

中にはガイドブックと筆記用具など、

小型のショルダーバッグには

そんなものしか入って居ませんでした。

なんとか目指したゲストハウスにたどり着き部屋を決めて

いざベッドに横になっても

体を覆う布一つありませんでした。

寝袋だって持ってきているのに、ボンベイまで行ってしまうなんて

考えもしませんでした。

最初から想定外のことが起こる旅の始まりです。

あの時の心細さは今でも忘れられません。

何しろね、ベッドに横たわって、体に何もかけずに眠るってなんとなく落ち着かないものでした。

薄布一枚でもあると違うと思います。

読者の中には

え?ホテルなのに布団もついてないの?と

思われる人もあるかもしれませんが、

インドの安宿にはベッドと枕があるだけってところがあります。

ブランケットがついているところもありましたが、

信用できない、という情報がガイドブックには書いてありました。

ナンキン虫とか、そう行った虫に刺された旅行者に出会ったこともあります。

その上安宿は水のシャワーです。

カルカッタはわりと南に位置しているので水でもOKですが、

デリーなんかだと一月二月は結構寒く、若い時はそれでもできましたが今はとても無理。


ただそんなところは、お湯を頼むことができるのがインド。

初め何のこっちゃ、と思ったホットバケツなるものは

バケツに入れたお湯をシャワーールームに運んでくれるというものでした。

私はこのサービスが案外好きでしたよ。

小さな桶がついていてそれで水道の水と湯加減を調節しながら自分好みの

湯温で頭からかぶれるというのが気に入ってました。

バケツ二つ分のお湯をいかに効率よく使おうかと、

頭を使ったのも楽しい思い出です。


初めての異国の夜はその身ひとつをベッドに横たわらせて過ごしました。

旅の始まりから起こるハプニング、

これから何が始まるのか、期待と不安でドキドキしながら

疲れた体はいつしか深い眠りに落ちていきました。


翌朝、目が覚めた後朝食を摂りに街へと一歩を踏み出しました。

その最初の日から私はインドが大好きになったと思います。

目の前に広がるインドとインド人の繰り広げるその社会が

面白くてたまらなくなったのです。

街へ出ると多くの人が声をかけて来ました。

見も知らない私に多くの人が興味を持って近づいて来ます。

人々は興味津々で私を見ました。

まるで私を目の奥に焼き付けようとしているかのように

しかっと凝視する目。

ご機嫌な気分を移そうとするかのようにほほえむ目。

多くの目が私に向けられました。

日本ではこんな経験したことありませんでした。

彼らにとって私は自分たちと違う人間、というだけでなのにね。

人に見られる、という経験は

私たち日本人にとってはあまり馴染みのないものです。

だいたいの日本人は知らない人のことをジロジロ見るのを失礼だと思って居ます。

ですから人生で初めて人から注目されるという経験をしたわけです。

なかなか気持ちの良い経験でした。

言ってみればアイドルになったような気分じゃないでしょうか。

ちょっと言い過ぎか。。。な

人々がちやほやするってわけじゃありません。

私に興味を持ってくれるのです。

どこから来たの?

いくつ?

どこへ行くの?

いつまでいるの?

見知らぬ人に何度こう聞かれたでしょう。

最終的には

「かんべしてよ、一日に何回同じ質問に応えていると思うの、

もう応えたくない、」

なんて思ったものでした。

実際それを言って相手をあっけらかんとさせたこともありました。

でも最初はそれがとても面白いって思っていたのです。

だってそうでしょ。



そこが全く知らない場所なのに、

街に出れば

人々が気持ちよく挨拶の声をかけてくれるのです。


おはよう、と声をかけられるから

おはよう、と応えます。

それだけで気分が高揚しませんか。

だって日本じゃこんなことありませんでしたもの。

おはよう、と言っても見て見ぬ振りして頭下げながらだったりです。

それが面と向かって

朝から気分良く

「Good Morning」と声がかかれば、

本当に言葉通りGoodなモーニングな訳ですよ。


どこへいくの?

朝ごはん食べにちょっとそこまでね。

そんな挨拶が気軽に交わせる街って良くない?


それに英語が独特なんです、

よく耳をこらすと

その特徴がわかって面白かったので知らない人とよく喋りました。

英語ができたのか?

と聞かれればそれがそうでもないのです。

でも考えてみれば毎日電話でエアインディアのオフィスに問い合わせたりしてたのだから

多少は話せたのでしょう。

思い出すのは

何かするときに必ず心の中で練習してから喋ったことですね。

宿を探すときにはどう言えばいいのか、

一度頭の中で文を組み立てて一度発音して見る、というの良くやりました。

練習即本番ってわけです。

英語は旅で覚えたといえましょうか。



カルカッタは人種の坩堝と言われる街でした。

言葉通りそこには様々な国の人が集まって居ました。

そして大地は見渡す限り平でした。

初めて見る地平線。

日本で見るのと山に沈む夕日が

果てしなく平らな大地の向こうに低く沈んでいくのを見て、

胸が震えました。

自分がそれまでとは違う場所に居る感動を強く実感したときです。

三十八年前のカルカッタは多分現在よりももっと混沌として居たことでしょう。

通りには日本では見かけない様々なことが起こっていました。

まずは乞食。

私が成長する時代、乞食はすでに日本から消えて無くなっておりました。

カルカッタの乞食は黒い肌をもっと薄黒くさせて

着古してちぎれた布がぶら下がって居るような、

そんなランニングシャツのようなのを来て居ました。

女の子はフリルのドレス。

でもそれがずっと来て居るのですっかり薄汚れているのです。

着た切り雀って言葉を思います。

裏通りの交わるところなどに井戸があって

そこでこどもたちは真っ裸。

大きくて真っ黒でキラキラとした眼を

じっとこちらに向けて居ました。

そんな素のままのインドの人々がすぐに大好きになってしまったのです。

インドに恋した瞬間です。

カルカッタはこの後二回訪れました。


人力車も乗りました。

胸が痛くなりました。

カルカッタは平らな土地ですが多少起伏はありました。

どこかの観光地へ向かう途中の坂を

骨と皮しかないように見える痩せた男が

力の限り自転車を漕いで上がろうとするのをみて

申し訳なさで気持ちがいっぱいになり、

思わずリキシャを下りて一緒に歩いて坂を越えたこともありました。

人力車の車夫は大抵英語が話せませんでした。

わかるのはお金を感情だけです。

すでにその頃から道路はオートリキシャや自動車が溢れるように通っていたと思います。

その排気ガスとスモッグと騒音と雑踏の中で黙々と自転車をこぐ姿は

この目に焼き付いて離れません。

リキシャマンのあの鍛えられた足の筋肉。

素晴らしいものでした。

リキシャマンの多くは家を持たず

夜はお客の座席部分に体を丸めて寝ていました。

自転車を借りて商売しているのです。

買い物が

全て交渉制なのも楽しかった思い出です。

交渉する楽しさをインドで知りました。

めんどくさい、と思う人がいるのは承知です。

私も自分の国がそうだと嫌かもしれませんが、

旅人として滞在する期間限定なら楽しいって思えるのです。

ディズニーランドに行ったような気分じゃないかしら?

非日常を楽しむのが旅の一つの楽しさですものね。


もちろん現実ですから、

騙される時もありました。

でも私の一人旅は概ね平和。

あまり平和ではストーリーとして面白くないかもしれません。

危険なことも多少はあったかもしれませんが、

それよりも、案外みなさんが経験していない出来事が

そこそこ起きていると思うのです。

楽しかったインド旅行の思い出、

書きたくなった時にまた書きます。




カルカッタは今はコルカタと呼ばれているそうですね、

そう言えばそんなニュースを聞いた覚えがあるような無いような。。。。

ムンバイも当時はボンベイでしたっけ。

都市名も歴史と共にかわるものなのです。









コメント (2)
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